結婚というものに向かって、私たちは完璧に
理解し合うため、互いの生理について語った。
私は、私の生理のしくみを詳細に話した。彼は
うるさがらずに、耳を傾けていた。それは、心を
許した者同士の真剣な会話だった。
私は、結婚後、ためらわずに自然の赴くままに、
子どもを産もうと思っている。以前は、自分たちの
生活ベースを作れるまでは、それにしばらくは
2人きりで...と考えていたが、今は違う。
人を愛して初めて知ったことだが、女に生まれて
きた以上、いつ妊娠してもよい状態、子どもを
産んでもよい状態におかれることは、
何よりも幸福なことではないだろうか?
愛する人との自然の●▼◆の中であっても、
多くの女性たちは、
(特に仕事を持っていたり、状況が許さなかったりで)
どこかに怯えを秘めながら生理を持つ。
身内に宿ったひとつの命を、断つことしか手段
のない立場に置かれてしまった女性たち、
その心の痛みは計りしれないものがある。
愛の極致を知った女が、愛する人の子どもを
産みたいという気持ちを、私はごく当たり前の
健康的な思想だと思っている。
どんな困難をも乗り越えて、
ある部分、命がけで産もうとする女の
勇気、この女に我が子を産ませてもよいと一生を
約束する男の勇気。
できてしまったから産むので
はなく、望んで産む。新たにこの世に生を受ける
小さな命に対して、それは最低の礼儀だろう。
たとえ、どんな子どもでも、我が子として慈しみ
育てていく。その子にとって完璧な母親になれるか
どうかは予想もつかないが、私は大切なこと
として考えていきたいと思っている...。
去年のある日、私は下腹部(腰骨の内側)を
鋭い痛みが貫くのを感じた。
慢性の盲腸かと思っていた。
だからといって特別気にもとめては
いなかったが、痛みは、秋になって鋭さを増した。
私は動揺した。
生理が今までになく不順になった。
4日ほどで終わってしまったり、45日間
も生理がなかったり。声を出したり笑ったりする度に
鋭い痛みが私を苦しめた。おりものの量が
異常だった。状況からみて、婦人科系の
病気ではないかと察知した。
私は、病院へ行こうと思った。知人から、
信頼できる大学病院を紹介してもらい、
仕事が休みの日に
行く約束をした。
もし、子どもが産めないカラダだったら、結婚を
諦めようと思った。
母は、反対した。ただでさえ、芸能人ということだけで、
入院すれば、やれ妊娠中毒だ。●病だと
さわがれるのに、白昼堂々と産婦人科に行くなんて、
母の表情がこわばっていた。
半ば怒ったように、
背を向けている母の気持ちは、痛いほどわかった。
だが、私は切実だった。歌手としての体面
なんて、もうどうでもよかった。何よりも
私を心から大切に思い、愛してくれる人のために
ひとりの女として、完璧でいたかった。
健康でありたかった。
すべては、その上で成り立っているものだと
堅く信じていた...。
備考:この内容は、
昭和58-12-28
発行:集英社
著者:山口百恵
「蒼い時」
より紹介しました。