最近よく
「たまにはスポーツを」と考える。
このところ、太りつつあるからである、
下腹が出てきた。ズボンが、次々に
履けなくなる、金銭的に損失であり、
スタイルが美的でなくなり、健康上にも
好ましくないらしい。
こんな状態になった原因は、いうまでもなく、
運動不足である。足で細目に歩き回って
書く作家なら、そんなことは無いのだろうが、
もっぱら想像に頼る作風となると、
外出することが少なくなる。アイデアを
得るには七転八倒、身を削る苦しみ、
痩せ細る思いなのだが、現実には
脂肪がたまる一方である。
タバコやコーヒーは、
有害らしいから、辞めようかと思うが、
それを実行したら、さらに太るにちがいない。
どっちにしろ感心しない、不健康だ。
不健康とは、生きていることの実証には、
ならないだろう...。
あっちの山奥に円盤が着陸した。
こっちの海岸に恐竜が出たと、毎週のように事件が
あれば、私も腰を上げるだろうが、
まあ期待はできない。もっとも、そんな異変が
日常的にあったら、私ごとき作家は、
たちまち失業となる...。
世の中の人も、一般に、太りつつあるようだ。
食生活の向上、交通機関の発達、
力仕事の現象などのためであろう。
この傾向が続けば、人類はDEBU化現象によって滅亡
するかもしれない。この対策が必要なことを、
私は声を大にして警告するものである。
もちろん、節食すれば 話は簡単だが、
それは容易ではない。誰だってそうだろう...。
しかし、どうして、脂肪は下腹部に
たまるのであろうか? もう少し上に蓄積する仕掛けに
なっていてもいいのにと思う。
それだと、太りかけてくれば胃を圧迫し、
食べたくても入らない。したがって、適当な
体重が保たれるというわけである。これなら
滅亡しなくて済む。今の人類のカラダは、
この点でまだ不完全である。もう少し
進化しなければならぬ...。
あれやこれやで、「たまにはスポーツを」
ということになる。そこでボクシング漫画に
ついて語ることにする。
べつに私は、ボクシングのファンではない。
それどころか、
ほとんど感心がないと言ったほうがいい。
しかし、スポーツ関係のアメリカ漫画と
なると、ボクシングが圧倒的に多い。
野球やレスリングなどをはるかに引き離し、
むやみとある。人食い人種や、医療ものに匹敵する
大分野である、こうなると、触れないのも
気になる。
私は、知ったかぶりはしない。
知らないのは恥ではない。
素直に調べればいいのだ。
百科事典を引くと、ボクシングの歴史が
載っていた。
紀元前4000年のエジプトの
象形文字の記録に、手を皮で包んで勝敗を
争ったことが書かれているそうだ。それどころか、
紀元前1万年のエチオピア時代に、
すでに存在していたともいう、さらに、
紀元は、それ以前の原始時代に、さかのぼる
という説もある。驚くべきことだ。こうなると、
もっとさかのぼってみたくなる。
かつて、愛知県の犬山にあるモンキー・センターを
見学した時のことを連想した。
サルの生態を調べる研究所である。
そこの学者は、こんな話をしてくれた。
サル vs サルの同族内の争いは、
早く相手の背中に組み付いたほうが勝ち。勝負は
それまでで、流血さわぎに発展することは
めったにない。これによると順位が確率して
いて、時どき意味もなく、この行為を
くりかえし、順位の確認をやっているそうだ。
どことなく、ボクシングと共通点が
感じられる。サルのたぐいには、スポーツやゲームを
やる本能があるのだろう。そして、
これは怒りや自己保存の競争本能とは、別個の
ようである、いいことである。もし、
スポーツをやる習性が人間になかったら、社会は
さぞ単調なものとなろう...。
サルは、やって楽しむだけだが、
人間は他人にやらせ、眺めて楽しむことができる。
さらに、とんでもない事態、つまり、
漫画にまで空想を発展させ、それを楽しむことが
できる。この点では、少し進化しているようだ。
スポーツ漫画の中で、ボクシングが多いのは、
野球やフットボールのようにルールが
複雑だったり、人数が多くなったりすると、
すっきり描きにくいためかもしれない。
ボクシング練習場を舞台にしたのも
いろいろあるが、練習は少しもせず、鏡の前で
両手をあげ、勝ったときのポーズばかり
研究しているのがある、いい気なものだが、
私たちの心の中にも、同じような傾向は
多分にあるようだ。
控室からリングへは、たいてい
堂々と進むことになっている。だが、セコンド
(介添人)に抱きかかえられて乗り込むのがいる。
その理由がふるっている。
「いつも、行きは歩きで、帰りは運ばれてという
ことになっている。今日はひとつ、かつがれて
入場してみよう」というわけだ。
選手の紹介のアナウンスの
「こちらのコーナー、パンツの色は...」で、あとが
続かなくなる構図のがよくある。
色もなにも、パンツを履いていないのである。
ナンセンスの笑いだが、試合前の極度の緊張は、
案外これに近いものかもしれない...。
試合開始前に、両選手は軽く握手をする。
グローブをはめたままの握手だが、漫画には
グローブをわざわざ外してやる
真摯的な人物が出てくる、物の本によると、
ジム・コーベットというボクサーは
18年のリング生活で相手の目を、はらせたり鼻血を
流させたりを一度もせず、「ジェントルマン」の
愛称で呼ばれたそうだ。彼などは
ブローブをはずして握手したかもしれない。
握手した痛みで飛び上がる情けない
ボクサーという案は平凡だが、異色なのにこんな
のがあった。
「おれの結社、独特の握手を
やったぞ」とつぶやいて、首をかしげている。
秘密結社には、会員間にだけそれとわかる
独特の握手サインのやり方があるらしい。
日本流になおせば、土俵前で仕切りに
入る前に、「おひかえなすって...」と、
話しかける形で、でもあろうか?
「やつのフットワークに気をつけろ!」と
セコンドが注意している。ガウンの下の
覗いている相手の足が3本。怪奇ムードだ...。
備考:この内容は、
令和3-12-30
発行:新潮社
著者:星新一
「進化した猿たち」
より紹介しました。
【おまけ...】
きゃは!
Qちゃんの、パッキャオ~!
ジョーカー!
めでたし~!
えっ?
どゆこと?