【うさぎは、なぜ かめにまけたのか?】
4代目 三遊亭円歌 落語家
私が、笑いを交えながら人生や経営、
子育てなどについて、私なりの考えを盛り込んだ
いまの落語や、講演のスタイルを確立した
きっかけを与えてもらったのは、遠縁に当たる
ジュポン化粧品本舗の故・養田実社長です。
養田社長は若い頃、柳亭痴楽師匠に弟子入りし、
落語家を目指した経歴の持ち主だけに、私の
気持ちをよく理解してもらい、「これからの
時代、落語だけで食べていくのは難しいから、
半分は落語、半分は講演にして企業を回って
みたらどうか?」と、いろいろな異業種交流会
などに連れていってくださったのです。
私は、ここで学んだ多くの経営者の言葉や、
本で読んだ中村天風、森信三、石川洋といった
元首の言葉にヒントを得ながら、それを
どう落語家の自分なりに消化し、人々を笑わせ、
元気づけていけるかということに知恵を絞り
ました。
古典落語を基礎にこれらを取り入れた
私の芸風の確立は、すなわち私の人生観の
確立でもありました。
養田社長から教わった忘れられない話が
あります。私が真打ちになったのは、昭和62年5月。
林家こぶ平さんと一緒の昇進でした。
真打ちが発表されると、2人がいる部屋に
一斉にマスコミが押し寄せたのです。ところが、
フラッシュを浴びたのはこぶ平さんだけ。
数メートル横に私がいたのですが、どこの社も
見向いてもくれませんでした。考えてみれば、
こぶ平さんは正蔵、三平と続いたサラブレッド。
一方の私は、いわば落語界には何の縁も
ない田舎生まれ、田舎育ちの駄馬でした。
私は、悔しくて涙をこらえられなくなって
走って外に飛び出し、電車に乗りました。
そこに、偶然にも養田社長がいたのです。
「歌さん、浮かぬ顔して、どうしたんだ?」と聞かれ、
私は、理由を話しました。
すると、養田社長は、こう
切り出したのです。「うさぎとかめの童話が
あるだろう。うさぎは、どうして、のろまなかめに
敗けたのか? 言ってごらん」
私は、答えました。
「うさぎには、いつでも勝てると油断が
あったのです。人生は油断をしては、いけないという
戒めです」と。
養田社長は「本当にそう思っていたのか?
ゼロ点の答えだ」と語気を強めて、静かにこの
ように話したのです。
「カメにとって、相手はうさぎでも、ライオン
でも何でもよかったはずだ。なぜなら、カメは
一度も相手を見ていないんだよ。カメは旗の
立っている頂上、つまり人生の目標だけを
見つめて歩き続けた。
一方のうさぎはどうだ?
絶えずカメのことばかり気にして、大切な人生の
目標をたった一度も、考えることを
しなかったんだよ。君の目標は、こぶ平君では
ないはずだ。賢いカメになって、歩き続けなさい」
さらに養田社長は、言葉を続けました。
「どんな急な坂道があっても、止まってはダメだよ。
苦しいときには、あぁなんと有り難い急な坂道
なんだ、この坂道は、俺を鍛えてくれているでは
ないか。と感謝しなさい。ありがたいというのは、
「難」があるから、ありがたいんだよ」と。
私は社長のこの言葉で、迷いが吹っ切れたのです。
そして、自分の人生の目標に向かって、黙々と
歩き続けよう と思ったのです...。
備考:この内容は、
令和4-3-25
発行:致知出版社
「1日1話、読めば心が熱くなる
365人の生き方の教科書」
より紹介しました。