怪我して1年休場して、戻った年に幕下
33枚目から関脇まで戻りました。
4場所連続で
勝ち越して、今場所優勝すれば大関と
言われた大事な場所で、また左膝を怪我して
しまったんです。今度は、前回より重症で、靭帯も
半月板も、ちぎれてしまいました。
周りの人は「かわいそう」と、言って
くれましたけど、不思議と自分では、かわいそうと
思わなかったし、前回のような「なんでこんな目に...」
という被害妄想も、なかったんです。
再起不能と、言われましたが、自分じゃ
「もう一度やれる、絶対やれる」
と思っていました。
冷静に、現状を考えれば、どうやっても無理なんだけど、
とにかく絶対やれると、信じて
疑わなかったですね。
だから、成功確率は低いといわれた手術も
「自分さえ、しっかりしていれば、絶対大丈夫」
と、思って受けたんです。
とにかく、僕には、皆さんにきちんと土俵に
上がって活躍する姿を、見せる責任と義務がある。
それを果たすまでは、やめなるわけにはいかない
んだ、と思っていましたから、迷いはなかった
ですね。
だから、復帰は、早かったですよ。手術した
翌日から、リハビリして、1ヶ月後には、土俵に
戻りましたから。
ちぎれた靭帯と半月板は、
二度と戻らないから、ヒザの周りの筋肉を
鍛え上げて、関節を保護しようと考えました、
それで、まわしにロープでタイヤをくくりつけて、
毎日、浜辺を引っ張って歩いたんですね。
とにかく、痛かったし、ヒザに水が貯まるけれど、
僕は、ヤメませんでした。
朝から晩まで、浜辺を歩きながら、いつも
心の中で神様に叫んでいました。
「オレは、いま、こんなに苦しいんだ。ツライんだ。
でも、逃げ出さないで、我慢しているんだ。
ちゃんとわかってくれよ、幸せは、公平に分けろよ~!」って。
まぁ、神様にケンカを売っていたというん
でしょうかね?
やはり、若い頃に苦労したことがよかったと、
僕は思っているんです。苦労したからこそ、
「あんなにしんざんをなめて、努力して、まだ
ご褒美をもらっていないじゃないか、やめて
たまるか!」
という気持ちが支えになってたんですね。
だから、下っ端の頃に、大した苦労もせず
のほほんと過ごしてきたら、ほんのちょっと
ツライことに出会っても、「まあいいか」と
思って、やめたでしょうね。
怪我に苦しんでいた時間を、知っている
皆さんから、
「逆境を強い意思で乗り越えた」と
いうようなことを言われることもありましたが、
何の根拠もなかったら、前向きには
なれませんよ...。
努力もしないで、「やれる、やれる」と、
言っても、ただおめでたいだけです、
結局、「俺は、これだけ努力して、これだけの
苦労を乗り越えてきた。だから負けない」
と、自分自身を納得させてきたから、
怪我も苦労も乗り越えられたんです。
人間は、苦しんだ分だけ、強くなれます、人生の局面に
支えるになるのは、結局、自分がやってきたこと
だけです...。
備考:この内容は、
令和4-3-25
発行:致知出版社
著者:尾車親方(元、大関・琴風)
「1日365話、読めば心が熱くなる
365人の生き方の教科書」
より紹介しました。