【自分を深く見つめて正直に書く】
どう書くかより 何を書くか?
♣勇気をもって、自分と対面する
エッセイを書くにあたって、大きく分ける
と、何を書くか、どう書くのか?の 2つに
分かれる。大切なのは、何を書くか、何を書きたい
のかである・・・。
十分、時間をかけて、よく考える必要がある。
何かを表現したくて書くのだから、その正体
を突き止める必要がある。何かは、どこにある
のか? 自分の心の奥底に潜んでいる。
目に見えるものの形を借りて 表現するに
しても、どう見えるかは、人によって違う。
ドラマ「必殺仕事人」より
例えば、「あじさい」を観て、淋しく感じる人、
群生する様を華やかと、捉える人。さまざまだ。
淋しく感じるなら、なぜ、淋しく見えるのか。
その時の、自分の心の奥と呼応する。では、自分
の奥底の寂しさとは何なのか? なぜ、どうして
としつこく探ってみる。
決して楽な作業
ではない。辛くて途中で、やめたくなることも
しばしば・・・。
それでも、少しずつ掘り進めると、
古代遺跡の発掘のように、思わぬ発見がある。
隠されていた自分の本音と 対面することに
なる。
人には、言えない恥ずかしい自分や、
不安に、おののく自分が居るかも知れない。勇気を
もってあからさまにすること。言葉に表現
することは、自分を知ることに通じるだろう・・・。
「ドラマ 世界の中心で、愛を叫ぶ」より
♣ 何を一番に伝えたいのか?
「ものを書くこと」は、「恥をかくこと」なのだ。
きれいごとや、自分をよく見せるなど必要ない。
そんなものは、決して他人の心をとらえたり、
感動させることはない。
まっすぐな目で自分を見つめ、これでもか、
これでもかと、確認すること。
私は、エッセイを書く時、自分の声が
聞こえてくるまで、時間をかける。食事をしているときも。
人と話しているときも、どこかで考えて
いる。
私は、何を言いたいのか?と・・・。
例にとった
「あじさい」で言えば、私には、あじさいが小さい花
の集まりで、集団になった分だけ、淋しさが
増して見える。
たくさんの人の中にいればいる
ほど、1人ひとりの、そして私の淋しさや孤独が
際立つのは、何ゆえかを、重ねて書きたいと思う。
何を書くか心の声が聞こえたら、
次の段階に進む。
どう書くかだ。何を書くかが決まらず、
つきつめずにどう書くかだけ
考えている人が多い。
私の教室でも、順序や、
引用ばかりに、こだわる人がいる。立派
な言葉を連ねても、それは、空疎な文章に
すぎない・・・。
♣ どうしたら感動が伝わるか?
ハウツー 本で、「起・承・転・結」と書いて
あったので、そのとおりに話をすすめるのがいい
と信じ切っている人がいる。
目に見える事柄
だけで、自分との対話の無いものなど、例えば、
旅のエッセイなど、行った先々を追うだけで、
終わってしまう・・・。
前置きばかり長くなったり、何を書きたい
のか、わからないのもよくない。何を書くか
さえ、決まったら、あとは、正直に向き合うこと。
自分の気持ちを感動を、どうしたら、他人に
伝えられるか、言葉は、自然にDELLてくるはず。
不安なら、自分なりの構成案をメモ書きに
してみる。そして、勇気をもって、一気呵成に
書いてしまおう・・・。
備考:この内容は、
平成20-9-1
発行:PHP研究所
より紹介しました。
(サブテーマ)
映画・ドラマの
「あじさい」シーンを紹介しました。
「映画 フーテンの寅さん」より