BBS 286  正しい選択 | 普通に生きるべき

普通に生きるべき

ブログの説明を入力します。

久々にとある方のブログを拝見しました。

解釈の仕方に問題があると感じるものでした。

 

宗教的なものを奥様が行っている、そして共に主人も行って欲しいと願っている

というもので、鏡の法則で考えると、一緒にやりたい=一緒にやりたくない、ものだというものです。

 

御主人は当然ながらその宗教的な物には反対のようです。

 

相手の気持ちや考えには触れず、だったら一人でやるのが一番良い。という考え方を推進するのはどうなのか?

と感じます。パートナーシップ、男と女に秘密がると、言いながらも、理解できないご主人を排除する思考の推進

これはまさにブレブレであり、宗教的なものをやらせる為の言い訳でしかない。と感じるものです。

 

その講師はこう言いました

 

「なんだ、ご主人が邪魔だったんだね」とです。

 

このような発言をする講師を信じて良いのでしょうか?ご親族を邪魔者扱いです。

要は、宗教的な物への理解のないものは排除、という事です。

何としても一人でも獲得する、その人の気が変わらないように、宗教的なものを正当化する。

という構図が垣間見れた瞬間と言えるでしょう。

 

何気ない言葉のつもりかもしれませんが、発信には気を付けるべきです。

自身の行うものが正しいと思うのであれば、尚の事でしょう。

 

過去に我が家でも近親が一緒に宗教的なものを理解して欲しい、そして一緒にやって欲しい。と懇願してきました。

当然ながら、その期待には応えれません。

 

この手の宗教的なものに嵌っている方は、自身の言い分だけを通し、相手の話を聞こうとしません。

まず、この時点でパートナシップも糞もありません。

 

承認欲求のみです。それを叶えようと信者は必死になるのです。

また、その教団的なものも、信者を支援するのです。(誘い方や誘導)

 

信者一人から、芋づる式に参加する人間を釣りだそうとしているだけなのです。

 

何故、このような簡単な方式に気づけないのか?

それが所謂、洗脳であったり、マインドコントロールなのだという事でしょう。

 

これを行うと、見る見るうちに変わり始める、奇跡が起こる、などと甘い蜜を啜らせるように言葉で誘導、洗脳を行っているのです。

 

近親のケースからすると現在はその教団を抜けましたが、思想はやはりその宗教的なものに近い思想で物事を語ります。

以前よりかはマシになりましたが、その思想に共感、感銘を受けたのでしょう、変わらない部分もあります。

 

また、その思想が全て間違いだとは私も思いませんが、軸にした物事の考え方をすると失敗の元だと感じます。

仕事やプライベートもそうですが、頭のおかしい人と思われかねないのです。

 

例えば、スタートとゴールは一緒である、既にそうである。

 

意識としての考え方だとは分かりますが、実際、スタートとゴールは全然違う場所にあります。

偏った思想の変換は間違いを生み出します。

故に私はその都度、近親には考え方の違いを話します。

 

この宗教的団体は、否定派に過剰反応します、

そして、自身らは宗教ではないと語ります

 

そして、ご主人がダメならあんただけでも続けなさい、となるのです。

私自身が体感し、目撃してきた事実です

 

 

このように、ご家族があり、ご主人に反対されるケースが多いのがこの宗教的団体の特徴です。

 

そして、妻の方は隠れて宗教的なものを続行するのです。

セミナーだ、カウンセリングだ、カリキュラムだ、と投資を続けるのです。

これには終わりがないようにシステム化されています、

 

小さな悩みを拡大かし、大問題のように演出し、それを解決するトークを打つ、

言われたほうは、そのように発信行動を行い、変化があると、講師にそれを伝える

すると、「ほら、ミラクル起きたじゃん」となるのです。

 

そんなものミラクルでもなんでもなく、相手のさじ加減なだけです。

些細な出来事を「ミラクル」と名を打ち、相手をその気にさせるのも、この宗教的団体の特徴と言えるでしょう。

 

この講師は、とても感情的な方で言わば、エゴの塊と言えるでしょう。

本人は気づいていないようですが失笑、、教団の会員ともよく揉めているようです。

この地域の癌であり、団体の癌であると内部からも言われいることに気づいてないようです。

自身から率先し、自己洗脳を行っていると言えるでしょう、またそれで飯を食っている以上、ダメなものでは困るのが実際でしょう。

 

 

このように、家族に理解されないまま、宗教的なものを続けている方も多いかもしれませんが、、

承認欲求だけを訴えるのではなく、何故、反対なのか?何故、理解できないのか?をちゃんと話し合うべきなのです。

そして、違う意見だからといい、聞く耳を持たないのは間違いであると気づくべきと感じます。

 

自身は信じてやまないものかもしれませんが、、

 

 

例えば、

 

ご主人がオ〇ム真理教の信者であって、

 

「一緒にやろう」

 

と言ってきたら貴方は賛同できますか?

 

そこで、ご主人が

 

「これは宗教ではない、全く新しい考え方なんだ」

 

と言ってきたら

 

貴方は「そうね」と理解できますか?

 

 

 

そのような目で見られている、のが貴方の行っている宗教的ものと言えるという事です。

 

講師はここまでは話してくれない事でしょう。

 

故に、ここのブログでは「普通に生きること」として発信をしています。

 

私は自身の近親が宗教的なものを行っている時、近親を恥ずかしい人間だと思っていました。

それと同時に、そのような物に頼るくらい精神的に参っていたのか、と反省もしました。

 

現在、近親との関係は良好ではあります、その宗教的なものを行っていたせいで「大きな失敗」を起こしたのです。

奇跡など起こらなかったのです、全てにおいて失敗の連続でした。

最初から、「それはダメだから辞めておけ」と私の言葉も届かぬまま行動した結果です。

 

その失敗が切っ掛けで気づく部分も多くありました、投資したお金は戻ってはきませんが、

本人にとって社会勉強になったのかもしれません。

 

ですが、一人の人格です、良いと思った事は変わらない事でしょう。

このように、一人の人間の人格にも関わる洗脳を行う団体は”カルト”と言えることでしょう。

 

下手したら一つの家庭を崩壊へと導くからです。

団体では、崩壊後、信者に新たなパートナーを用意します、当人は更なる加速をして陶酔するように仕向けます

 

ですが、離れ離れになるパートナーの方はどうでしょう

宗教的団体に家族を崩壊された、と恨むことでしょう

 

そこまでの責任を考えておらず、自身らの利益の事ばかり考えているのです。

これが真実の答えなのだと見ています。

 

講師の言葉も「鏡の法則」にて捉えるべきでしょう。

反対の反対、が正しい答えなのです、つまり理解無いものへは、自身が相手の理解が必要なのだという事です。

 

信者集め、金集めに必死な講師の口車には乗らない事です。

 

貴方は世界の救世主でもなんでもありません、ただの人です。

 

選ばれた人間でもなんでもないのが真実なのです。

 

貴方見つけた、と思っているのは正しきものとは限りません。

 

人は迷っている時は判断が鈍ります、

 

また苦しい時は何か頼りたくなります。

 

そこは宗教的なものではなく、パートナーと腹を割り、

時には子供じみていたといたとしても曝け出して話をすべきなのです。

 

自分の人生、他者に助けてもらおうなどと考えない事です。

全て自己責任で終わらないこともあるのです、

またこの手の宗教的なものに騙されてお金を搾り取られ、家族を失った人もいるのは事実です。

 

まずは

理解をしてもらう前に、

自身が相手を理解することが全ての始まり

 

なのです

宗教的なものではないのです