'23いばちば1泊旅~⑭息栖神社(2) | 1・2・3・4・GOーーー☆

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ゼータクはできないけど、飲み会・旅行・ライブ等々 節約しつつ楽しんでます☆

一の鳥居・忍潮井から、また二の鳥居に戻り

境内へ向かいます。

 

 

朱色のご神門の向こうには

もうご本殿が見えるのですが、その前に。

 

 

ご神門入ってすぐ右手にあった朱色の囲いに

狛犬が。

 

 

こんなふうに狛犬が並んでるところもあるのですね。

 

その後ろには「力石」 

 

 

この石は、祭りや、夏の夕涼みの時などに

若者たちが集まって、力比べをするのに用いられたそうです。

右側の石は50貫余=187.5kg!!

 

 

その横には、松尾芭蕉の句碑。


「この里は 気吹戸主(きぶきとぬし)の 風寒し」


説明文によると・・・


いざなぎの尊が、黄泉の国「よみのくに」(死の国)からもどったとき、

筑紫日向の橋の小門「おど」で、身体を洗い、

きたないものと汚れたもの(罪や穢れ)を、すっかりそそぎ落し、浄め流した。

その流れの中から生まれたのが気吹戸主(息栖神社祭神)で、

清浄化・生々発展・蘇生回復の神である。


このいわれにあやかって、この神域に身をひたしていると、

身も心も洗い浄められて、何の迷いも曇りも、わだかまりもなくなり、

体の中を風が吹き抜けるほど透き通って、寒くなるくらいである。

といった、息栖神域の醸し出す風趣・威懐といったものを詠みあげたものであろう。

 

とのことでした。ちなみに

 

松尾芭蕉が、水郷地方を訪れたのは、貞享四年(1687)8月14日で、

親友・鹿島根本寺の仏頂和尚の招きで、鹿島の月を眺めるためで


この旅で根本寺・鹿島神宮・潮来長勝寺と水郷地方を訪ねまわった彼は、

息栖地方にも足をのばしたもののようである。

 

この句碑は、小見川梅庵・乃田笙々といった

この地方の俳人らによって建てられたもので、その年月は不明である。

 

とも書かれていました。

 

 

ところで、境内には、他にも歌碑がありました。

 

 

「新和歌集」に収められた、息栖ゆかりの和歌の歌碑だそうです。

 

 

私、日本史がニガテだったんで

「藤原氏が~」とか「〇〇の合戦が~」など

歴史の授業的な文言が出てくると、拒否反応なのか、

読む気が失せるんですが💦

国語の授業的なハナシだったので、ちゃんと読めましたw

 

(「⑮息栖神社(3) 」に つづく)