境内へ向かいます。
朱色のご神門の向こうには
もうご本殿が見えるのですが、その前に。
ご神門入ってすぐ右手にあった朱色の囲いに
狛犬が。
こんなふうに狛犬が並んでるところもあるのですね。
その後ろには「力石」
この石は、祭りや、夏の夕涼みの時などに
若者たちが集まって、力比べをするのに用いられたそうです。
右側の石は50貫余=187.5kg!!
その横には、松尾芭蕉の句碑。
「この里は 気吹戸主(きぶきとぬし)の 風寒し」
説明文によると・・・
いざなぎの尊が、黄泉の国「よみのくに」(死の国)からもどったとき、
筑紫日向の橋の小門「おど」で、身体を洗い、
きたないものと汚れたもの(罪や穢れ)を、すっかりそそぎ落し、浄め流した。
その流れの中から生まれたのが気吹戸主(息栖神社祭神)で、
清浄化・生々発展・蘇生回復の神である。
このいわれにあやかって、この神域に身をひたしていると、
身も心も洗い浄められて、何の迷いも曇りも、わだかまりもなくなり、
体の中を風が吹き抜けるほど透き通って、寒くなるくらいである。
といった、息栖神域の醸し出す風趣・威懐といったものを詠みあげたものであろう。
とのことでした。ちなみに
松尾芭蕉が、水郷地方を訪れたのは、貞享四年(1687)8月14日で、
親友・鹿島根本寺の仏頂和尚の招きで、鹿島の月を眺めるためで
この旅で根本寺・鹿島神宮・潮来長勝寺と水郷地方を訪ねまわった彼は、
息栖地方にも足をのばしたもののようである。
この句碑は、小見川梅庵・乃田笙々といった
この地方の俳人らによって建てられたもので、その年月は不明である。
とも書かれていました。
ところで、境内には、他にも歌碑がありました。
「新和歌集」に収められた、息栖ゆかりの和歌の歌碑だそうです。
私、日本史がニガテだったんで
「藤原氏が~」とか「〇〇の合戦が~」など
歴史の授業的な文言が出てくると、拒否反応なのか、
読む気が失せるんですが💦
国語の授業的なハナシだったので、ちゃんと読めましたw
(「⑮息栖神社(3) 」に つづく)