昨日、夕食の主菜は「ナポリタン」。
たかがナポリタン、されどナポリタン
なので文章も少々長くなる。
<ナポリタンの店>
さすがに最近はわざわざナポリタンを食べに出かけることはないが、以前は結構あちらこちらに出向いた。
一番回数が多いと思われるのが新橋東口の駅前ビル1号館1階にある「ポンヌフ」。
食欲がないときなどに行くのだが、ナポリタンとハンバーグという決して軽くはない組み合わせがそれほど苦もなく平らげられるのが不思議であった。
新橋では西口のニュー新橋ビルにある「ポワ」でも食べた。
東京でナポリタンといえば新橋とともに神田神保町も思い浮かぶ。
ともに喫茶店として名の知れた「さぼうる2」(私には量が多すぎるが)、「ラドリオ」(ウインナーコーヒーもどうぞ)。
喫茶店のナポリタンといえば
上野の「王城」、浅草の「デンキヤホール」「ニューライト」も。
どの店もほかの食べ物もなかなかおいしい。
立ち食いパスタ的なところでは
西銀座(古い言い方だな)の「ジャポネ」、大手町ビル地下の「リトル小岩井」。
虎ノ門の「ハングリータイガー」も評判がいいようだが行ったことはない。
電車に乗って出掛けることがめっきりと減ったのだから、多分これからもないだろう。
ナポリタンを語ろうと思えば横浜を欠かすことは出来ないが、これはのちほど触れる。
我が住まいのある上尾のすぐ隣のさいたま市大宮では「大宮ナポリタン」なる運動を進めている。大宮駅周辺の飲食店30店舗以上が参加しているという。
申し訳ないがまだどこにも訪れていない。
<ナポリタン史?>
ナポリタンが日本独自のスパゲッティ料理であることはよく知られているところだが、例によって、ルーツは?元祖は?となると諸説ありそうだ。
文明開化以来、日本で西洋料理といえばまずはフランス料理。
このフランス料理には「スパゲッティ・ア・ラ・ナポリテーヌ」という料理がある。これは独立した料理というより付け合わせのようなものであったらしい。
フランスでは、トマトソースを使った料理には「ナポリ風」と名付けることが多かったようだ。
戦後、進駐軍・GHQとともにアメリカ人好みのケチャップが日本にも広く普及していく。
私が子どもの頃に最初に食べたスパゲッティもトマトソースとミートボールとパルメザンチーズをスパゲッティと和えたアメリカ人好みの「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」であった。
これがいわゆる日本の「ナポリタン」のルーツになったのか、あるいは戦後あらたに出来たイタリア料理店がアメリカ兵好みに合わせて作るようになっていったものか。
「ナポリタン」の誕生を語るときに欠かせないのが横浜だ。
ドリア、プリン・ア・ラ・モードの元祖としても知られる横浜の老舗ホテル「ホテルニューグランド」ではいまも「スパゲッティ ナポリタン」を食べることができる。
2代目の総料理長入江茂忠氏が、米兵がスパゲッティにトマトケチャップを和えて食べているのを見てアレンジしたものだという。
このホテルニューグランドのナポリタンは、我が家でも真似をして作ったことがある。ケチャップを使った甘いパスタではない。
にんにく•玉ねぎをオリーブ油で炒め、生のトマト•トマトの水煮缶•トマトペースト•ローリエ•塩胡椒を加えて煮込んだソースを絡めたパスタだ。
横浜市・野毛にある洋食店「センターグリル」(昭和21年・1946年創業)は開業当初からナポリタンにケチャップを使用していたという。だとするならば日本風ナポリタンの発祥の店だと言ってもよいのかもしれない。
「横浜のナポリタンの最大の特徴」は茹でたスパゲッティを冷水にさらし、水切り後、サラダ油に絡めて5~6時間(あるいは一晩)冷蔵庫で寝かすことだ。
これはホテルニューグランドの入江氏の工夫だともいうが、缶詰スパゲッティに慣れたアメリカ人好みに合わせた工夫と言えなくもない。
<我が家のナポリタン>
我が家のナポリタンは横浜風。
ポイントは
「一晩、冷蔵庫で寝かす」ことと、「ケチャップをしっかり炒めて酸味を飛ばす」こと。
パスタは野毛のセンターグリルで使うという2.2㎜とまではいかないが、1.92㎜の太めのスパゲッティ。
一応夕食なので、ナポリタンだけというわけにはいかない。
「鶏肉と野菜たっぷりのホワイトシチュー」「ウィンナー&エッグ」「ナスとピーマンの醤油炒め」。
我ながら老夫婦2人の家の夕食とは思えない。
以前、このブログで書いたが、夜食にナポリタンが食べたくなったときは「ほぼ究極の手抜きナポリタン」を作ることがある。決して安上がりではないが。
関心のある向きは
https://ameblo.jp/qpkokko71922/entry-12390809778.html
をどうぞ。