SBFにたどり着いたとき、
自分の外側にすがり、人や物を探して、
常に、寂しさが自分の内に在りました。
探しながら避け、
一人を楽しんでいるように演出していた私でした。
いつだったか…数年前のSBFのセッションで、
自分に在る感情について、名越先生に話したことがあります。
※感情を見ないようにしていた時で、当時の私には怖い瞬間でした。
「(私は)寂しいんだと思います」と。
・この先自分は1人になる
・何も残らなくなるかも
何のために生きるのだろうか…
このようなことだったと思います。
セッションで家系ワークをしていき、
SBF塾を平行して受講し、
そこから自分の被害者意識を診ていく機会を経て、
「自分を観る」をやっと少し理解して来ているかなと思います。
今後も色んなことがあるのかもですが、
これをしていないと や、
こうじゃぁないと という思いが、
今、不思議と出て来ないのです。
全うするだろう と。
自分の存在をどうしようとせずとも、
あるがままを全うする。
ここに「寂しさ」は無かった。
備忘として記しております。
お読みいただきまして、ありがとうございます。