私が小学校5年生、
信号待ちをしているときでした。
前に立っていた大きなの男の人が膝をつき、
歩道に崩れるように目のまえでガクンと倒れました。
声をかけながら、
その方の頭を少し両手で引き上げました。
一瞬、なにか、ラクになったような表情が見えたとき、
その方の両手が上にグーッと動いて、びっくりした私は、手が自分に向かってくると勘違いして、身体を離し、頭を支えていた手を離してしました。
コトンと音を立てて歩道に男性の頭が落ちました...
その方は、
立ち上がろうとしていた…
男性は、微かに笑みを向けてくれていました。
手は自分に向けらたものではなかったことを知ってからも、
「(手を離してしまい)ごめんなさい」と謝ることができませんでした。
通りがかりの人が立ち止まり、
私の手の下に上着を寄せ頭に敷き、
側の店の人は「救急車!」っと店内に向って叫んでいました。
周囲に人がたくさん集まってきて、私はその場を黙ったまま離れました。
助けられへんねや…
と、傲慢にも思っていました。
SBFのセッションで、
男性は、何かにつかまろう(立とうとしていた)としていたけれど、
手を離して、間違った・失敗したこと を40年経ってから謝れ、
何か、引っかかっていたものが無くなりました。
私の場合、この出来事が、
前回ブログで触れた仕事を選ぶことにつながって、
救世主症候群(メサイアシンドローム)と自己憐憫に浸る、
私の思考による選択 だったことも分かりました。
分かっていなかった自分を、知り得て、
そのことを踏まえ、軌道修正をしながら、自分と向き合い、人と向き合おう。
そう思いが変わっていった、SBFセッションとなりました。