幼児期に不安や寂しさに駆られたこころを否認し、
心配している様を他者へ投げかける(投影) という現象、
自分を落ち着かせようとしている人の行動を、
どう受けとめるでしょうか?
SBFセッションで明らかにされた、無意識の脚本です。
5才のとき、彼女は保育所で、お迎えをまっていました。
迎えがくるのは、園児の中でいつも最後か最後から2番目。
個人商店を営んでいた両親は、早朝から夕方遅くまで仕事で手が離せなかったからだった。
保育士の先生や給食のおばさんは、
なわとびをしたり、3時のおやつのビスケットをくれたり、必ず最後の親が来るまで一緒に居てくれました。
ですが、子どもの居なくなった保育所で、だんだん暗くなっていく夕方、お迎えを待っている彼女はとても不安でした。
彼女は、社会にでて、様々な職を経験した後、中年になったとき、
対人援助職のセラピストを仕事に選びました。
仕事をしながら、クライアントさんは、リラクゼーションや整体にリピートをするのは、(整体等に)依存している と思っていた。(←ここで、すでに、彼女自身が対人へ依存していました。)
からだにつながる、こころの学びを始めた彼女は、心理療法士のセッションを受け始めました。
自覚していなかった、自分の問題がどんどん浮き彫りになっていきました。
そこに光を当ててきた心理療法士が創るオリジナルのワークをする度、中年の彼女は心身が軽くなっていき、正しく感情を感じ始め、仕事を捗らせ、日常の時間に余裕を感じ始めていました。
「今、向かっています。電車の遅延がなければ、13時半には着きます」 という
12時に届いた合流予定の仲間からのメッセージに対し、
「今、ランチで〇〇レストランに入ったところです。お昼は?」
というメッセージをすぐに返信していました。
そのやりとりから、無意識層に隠れていた彼女の問題が、SBFのセッションで明らかになるのでした。
続きます