社会に出たら、
やりがいのある毎日、
健やかな毎日を過ごしている 漠然とした想像をもっていた 未成年の頃。
で触れたバレーの試合について
『(鮮明なことだったと思う)試合の記憶を疑ってみましょう』
と、先生のセッションを受け明らかになったこと
責任と信頼を寄せてもらい、
前の試合で、勝てる流れを感じていた自分への期待と過信、
負けたときは、がっかりしました。
拗ねていき、
取り組みを中途で諦め続け、
努力せず、怠惰な道を選んでいた自分がいました。
意味の違うラクさを違和感としているだけ だった。
『やってないから、出来損ないかどうか は分からないでしょ』
と、吹聴する傲慢さでした。
結果も出ない訳だ。
試合途中、
私に伝えた顧問の先生の言葉は、
不甲斐ない私へ
誇りに思えるよう最善をつくす叱咤、
悔いが残らないように との激励だった。
励ましを受けていた事実が分かり、
嬉しかった。
顧問の先生に、共に切磋したチームのみんなに、謝りたい気持ちと、自分を怠惰にしてきたことへ申し訳なさがありました。
幼いころの、学生のときの
こころ のまま、
二進も三進もいかなくなった。
もし心当たりがありましたら、
いまの現実を通して、映しだされた自分が本当なのか
SBFのサポートを受け、記憶を見てみませんか。
お願いいたします。