いつも参考にさせていただいているよもぎねこ様のブログから、一部をご紹介して私のコメントとよもぎねこ様の返コメをUPいたします。

(メインテーマのソ連崩壊雑感も是非元記事をお読みください)

 

 国外追放されてから暫く後ですが、ソルジェニーツィンが訪日したことがあります。 

 どこかの出版社か何かが招待したようでしたが、何しろノーベル文学賞作家だし、彼の本は日本でも沢山出版されていたし、招待した方は下にも置かぬもてなしで高級ホテル・高級料亭などを連れまわしたようです。

 ところが彼はどこに行くにも、汚い外套を着て、汚い大きなリュックサックを持って歩き、絶対それを離さなかったと言うのです。

 この光景を想像すると何とも異様なのですが、長い収容所生活でソルジェニーツィンが受けた心の傷、それ以上に当時のソ連人の感覚と日本など西側諸国の人々の感覚の違いが浮き彫りになる話でした。

 ソルジェニーツィンは西側の人々に対して「勇気の欠如」を非難し続けていました。

 

 共産圏では今なお多くの人々が弾圧され、自由を奪われ苦しみ続けているのに、西側諸国の人々は何でもっと彼等を助けようとしないのか?

 これは勇気の欠如ではないのか?

 

 彼はこれを「勇気の欠如」として非難していたのです。

 しかしこの発言は殆ど無視されました。

 勿論これは正論だし、アメリカ始め西側諸国も自分達の自由と民主主義を守る為の努力は怠りませんでした。

 しかしだからと言って、この時期ソ連と戦うなんて事は、西側の人間からすればあり得ない話でした。

 だって誰がどう見てもソ連の国力は盤石で、これで戦争なんか仕掛けたらそれこそハルマゲドンになります。

 

 けれども強制収容所生活の傷の癒えないソルジェニーツィンにすれば、日々あり得ない程の奢侈に耽り、与えられた自由を唯享楽するだけの人々に苛立ちしか感じなかったのでしょう。

 

私:

> ソルジェニーツィンは西側の人々に対して「勇気の欠如」を非難し続けていました。

 

これは皮肉ですね。

今のロシアの状況を見ていると、結局ロシア人は絶対的な強い支配者を望んでいるのだと思えてきます。プーチンの戦争がいかに理不尽でもロシア国民は受け入れて強いロシアの継続の夢を見ているようです。
プーチン政権が長期にわたり、このような戦争を引き起こしている状況は、西側先進国の私たちの感覚では反プーチンの動きがもっと広がっても不思議ではないのですが、一向にそうはなりません。

勇気がないのはロシアの人々の方ではないのか?そんな風に思います。


ソ連崩壊は世界中に衝撃を与え皆がその後のロシアに注目していましたが、間もなくゴルバチョフ大統領はクーデターで職を追われてしまいました。後を継いだエリツィン大統領はオリガルヒと結んで汚職まみれ。経済は混乱し国民は以前より貧しくなって不満が爆発しそうだったところにプーチンが現れて国内をまとめた…

実際はそんな単純ではないのでしょうが、国民を飢えさせず国体を維持するだけでもこれだけ大変なんですから、自由民主主義を根付かせるのは数百年単位の時間が必要かもしれません。

 

よもぎねこ様:

 確かにソ連の支配に甘んじていたのはロシア人だし、現在のプーチンの戦争を止められないのもロシア人です。
 尤もスターリン時代の粛清の恐ろしさを考えると「そりゃ勇気だってなくなるよ」と思ってしまいます。

 スターリン時代に粛清された人の数は未だに正確にわかりません。
 そもそも独ソ戦のソ連の死者が未だにはっきりせず、2000万人から7000万人説まであります。
 
 何でこんなに出鱈目なのかと言えば、スターリンの粛清の犠牲者を独ソ戦の犠牲者に混ぜているようなのです。
 しかしいずれにせよこれだけの恐怖体験をすれば、トラウマから抜け出す事は簡単じゃないないのでしょう。


 尤もそれだけではなくロシア人自身に暴君趣味と言うか、今一理解できない所があります。 イワン雷帝のような暴君の中の暴君が退位しようとすると、国民が必死で縋りついて退位しないように懇願したなんて歴史もありますから。

 ヨーロッパって歴史的にはイタリアが最先進地域で東へ行くほど、後進地域になります。
 例えば西ヨーロッパでは近世は1492年のコロンブスのアメリカ到達の年から始まるとされていますが、しかし東欧では同じ年に封建社会に入るのです。
 因みに西ヨーロッパでは封建社会は始まるのは、5世紀初頭なのです。

 
 この期間の数百年の遅れがなかなか埋まらない、なかなか追いつけないのが現実なのだと思います。
 西ヨーロッパでは農奴制は16~17世紀にはなくなるのですが、しかしロシアでは19世紀末まで続きました。
 
 個人レベルではロシア人には非常に知的な人も多く、優れた科学者も多数出ています。 でも国家全体と個人と言うのは違うのか、エリートが無理矢理社会を引っ張っても結局上手くいかないようです。

 共産主義なんてエリートが社会を無理に引っ張ろうとして失敗した典型です。

 

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元記事を読み返して思ったのですが、ロシア人だって自由を謳歌しぜいたくな暮らしがしたいに決まっています。でも今までの経験から強力な指導者の支配が無ければ国が崩壊してしまう・・・それをロシア人は最も恐れているのではないか。

 

(よもぎねこ様のブログより)

 日本で所謂「ロシア文学」として愛されているロシアの古典文学の作家の多くは19世紀末から20世紀初頭を生きてた人々です。

 当時のロシアは帝政末期でした。 ロシアはそれでなくても文化も経済もヨーロッパ諸国からは遥かに遅れていました。 しかも帝政と言う専制国家体制から来る、官僚の腐敗や、農民からの無残な搾取など様々な問題を抱えていました。

 しかし当時のロシア文学者達は、この体制はいずれ終わり、遠からず新しいロシアが生まれる事を確信していました。

 

 一方、ブレジネフ時代、ソルジェニーツィンはこのような期待は一切持てませんでした。

 それどころか彼は自分が生きている間に、自分の作品は絶対に出版されない、日の目を見る事はないと確信していました。 

 だから彼の作品はにはどうしようもない閉塞感や絶望感が込められています。

 

勇気が有るのかないのか分かりませんが、現在のロシア人はひたすらプーチンを信じて、「悪いのは、ウクライナ」「ゼレンスキーとバイデンが戦争を長引かせて儲けようとしている」と思いこもうとするか、能力があればさっさとロシアから逃げ出すかしかないのではないか。

 

ある日本在住ロシア人女性はブログでひたすらプーチンのプロパガンダを拡散しています。そして、「西側の経済制裁は効いていないロシアの生活は今まで通り」とも言っています。ですがそれはモスクワやサンクトペテルブルクなどの中心部の都市に限った話。

ロシアは共和国です。辺境の少数民族は苦しんでいるのに、彼女の様な多くのロシア人はそれを見ないようにしているのでしょう。

 

 

西側のブドウは酸っぱい、ロシアの闇は見なければいい。

 

ソ連崩壊で世界もロシア人も一度は夢を見たのですが、結局は元の木阿弥だったということなのですね・・・