人間が出す「体液」にはたくさんの物質が含まれており、その「体液」があるからこそ、人間は外敵から身を守ることができます。
 
濁って見えるほどの細菌が繁殖した培養液に『ある液体』を一滴垂らすと、細菌が死滅し、数分のうちに透明になることを発見し、その後「奇跡の薬」と言われる「ペニシリン」を発明した人物がいます。
細菌学者「アレクサンダー・フレミング」です。
そして、その『ある液体』とは「彼自身の鼻水」であり、その「鼻水」に含まれる殺菌成分が『リゾチーム』という分解酵素だったのです。
 
1922年、フレミングは「細菌だけを殺す物質」を探していました。
それまでの消毒薬(フェノール)は、細菌は殺すけど、白血球にも作用してしまい、最悪、症状が悪化する場合もあるものでした。
フレミングは思いつくまま、さまざまな物質を培養中の細菌に加えてみましたが、コレというようなものは見つかりませんでした。
ある日、風邪を引いたフレミングは、たまたま「くしゃみ」をし、たまたま「鼻水」が飛び、たまたま「細菌を培養したシャーレについて」しまいました。
翌日、そのシャーレを見てみると「鼻水」の周囲だけ細菌が増殖しなくなっていました。
それに気づいたフレミングは、「自分の鼻水」を濁って見えるほどの細菌が繁殖した培養液に一滴垂らします。すると、細菌が死滅し、数分のうちに透明になること発見。その後「涙」や「唾液」、「血清」などでも殺菌作用があることを発見し、生体にも「細菌を殺す物質」があることを発見しました。
その物質が『リゾチーム』です。
(「溶菌」をあらわすlysisと、「酵素」をあらわすenzymeから「Lysozyme」と命名されました。)
『リゾチーム』は病気の治療薬になるようなものではなかったのですが、この経験が後の「ペニシリン」発見につながります。
 
『リゾチーム』発見から6年後、フレミングはブドウ球菌の一変種を観察するため、シャーレでこの菌の培養を行っていました。
培養後、家族旅行をしており、長期研究室を空けました。
シャーレはいくつかあり、その中の一つに偶然「アオカビ」の胞子が飛び込んだらしく、フレミングが旅行中に「アオカビ」が繁殖し、旅行から帰ってきたフレミングは「アオカビ」の周りにブドウ球菌が生えていないのに気づきます。
フレミングはそれを見て「アオカビが何らかの抗菌物質を作っているからではないのか?」と考えます。
フレミングは、「アオカビ」がペニシリウム属に属するものだと知り、この抗菌物質を「ペニシリン」と名付けたというわけです。
 
なお、『リゾチーム』は、「塩化リゾチーム」として、卵の白身から作られ、気管支炎などの喀痰喀出困難に用いていましたが、現在は「医療上の有用性は確認できない」との見解が出たため、各社が販売中止・自主回収を数年前からしています。
しかし、フレミングは「もし『リゾチーム』の時の経験がなければ、私はこの発見の価値に気づかず、培地を捨ててしまっただろう」と言っています。
偶然の「くしゃみ」「鼻水」からの『リゾチーム』の発見は、たくさんの命を救う、人類にとって重要な発見だといえるでしょう。
 
参考資料:
世界史を変えた薬(著:佐藤 健太郎)
参考URL
『甲状腺』は、気管の前面、喉仏の下付近にある蝶型をした、正常時は厚みがなく、やわらかい臓器です。
重さは1520g程度で、「左葉」と「右葉」にわかれ、2つは「峡部」でつながっています。
『甲状腺』にある濾胞(濾胞上皮細胞と濾胞腔内(コロイド))からは「甲状腺ホルモン」が分泌され、傍濾胞細胞からは「カルシトニン」が分泌されます。
 
「甲状腺ホルモン」は、T3T4rT33種類あります。
T3(トリヨードチロニン):分泌割合は1.5%、生理作用は一番強く、核内受容体と結合することで作用を発揮する。
T4(チロキシン):分泌割合は98%、末梢組織でT3(やrT3)に代謝される。
rT3(リバーストリヨードチロニン):分泌割合は0.5%、ほとんど作用を持たない不活性型。
これら「甲状腺ホルモン」の合成には「無機ヨウ素」が必要で、「無機ヨウ素」は食事摂取を通じて腸管から吸収され、ヨウ素イオン(I-)の状態で濾胞上皮細胞に吸収・合成、濾胞腔内で濃縮・貯蔵され、その後、甲状腺から分泌されます。
全身の臓器に作用し、エネルギー産生や代謝、循環器系の調節、個体の成長・発育などに関与しています。
 
「甲状腺疾患」は、この「甲状腺ホルモン」の分泌量によって分類できます。
A:「甲状腺ホルモン」が高値を示す場合・・・甲状腺中毒症
 ・自己抗体による機能亢進、炎症による濾胞の破壊などが原因で代謝が亢進、「甲状腺ホルモン」が高値を示す。
 代表的な疾患:バセドウ病(びまん性甲状腺腫を伴った甲状腺機能亢進症)、亜急性甲状腺炎、無痛性甲状腺炎、プランマー病など
B:「甲状腺ホルモン」が低値~正常値を示す場合・・・甲状腺機能低下症
 ・自己免疫による甲状腺破壊、下垂体・視床下部疾患などが原因で代謝が低下、「甲状腺ホルモン」が低値~正常値を示す。
 代表的な疾患:橋本病、クレチン病、甲状腺術後、放射線療法後、甲状腺ホルモン不応症など
 
「カルシトニン」は、成人体内での作用は弱く、生理的意義は明確ではありませんが、カルシウム代謝に関与するホルモンで、骨形成促進、骨吸収抑制作用などがあります。
 
『甲状腺』の背面には、「反回神経」と「副甲状腺」があります。
「反回神経」は、声帯を動かす筋肉を支配しており、ここが麻痺すると声帯が動かなくなり、「嗄声」や「誤嚥」が起こります。
 
「副甲状腺」は、背面の左右上下にあり、通常4つあります。
「副甲状腺」は、カルシウム・リン代謝を統制している臓器で、「副甲状腺ホルモン(パラトルモン(PTH)」を分泌しています。
PTHは骨吸収促進作用などの作用があり、PTHの分泌過剰で「副甲状腺機能亢進症」
が、PTHの作用不足で「副甲状腺機能低下症」を起こします。
 
参考資料:
薬がみえる Vol.2MEDIC MEDIA
RP.+ 入門!甲状腺疾患(2018 春 Vol.17 No.2
参考URL
『笑気』とは「亜酸化窒素」の別名で、歯科麻酔にも使われる全身麻酔薬です。
その『笑気』を使った麻酔『笑気麻酔』は、現在ではあまり使われてはいませんが、華岡青洲が麻酔手術を成功させてからちょうど40年後に「ホレス・ウェルズ」によって発見されます。
 
古代インカのインディオは、「コカの葉」から「コカイン(局所麻酔薬・麻薬)」を抽出し、それを手術部位に塗布することで痛みをやわらげ、穿頭手術(頭皮を切開して頭蓋骨に穴を開ける民間療法の一種)などを行っていました。
中世の医師は、ケシ(モルフィン・コデイン)やマンダラケ(アトロピン・スコポラミン)、ヒヨス(ヒヨスチアミン)などの成分を海綿にしみこませ、「眠り海綿」と称し、ちょっとした手術の鎮痛などに用いていました。
そして、1804年に華岡青洲が全身麻酔薬「通仙散」で乳がんの手術を成功させます。
しかし、「通仙散」の毒性や効果の不安定さから、広く臨床応用されることはありませんでした。
19世紀半ばには「吸入麻酔法」が確立され、全身麻酔手術を可能にします。
その際使われる薬剤に「エーテル」『笑気』「クロロホルム」があり、人体への危険から「エーテル」「クロロホルム」は次第に使われなくなり『笑気』だけが「吸入麻酔薬」として現在に残っている、というわけです。
 
『笑気(亜酸化窒素)』は1772年に、イギリスの科学者「ジョセフ・プリーストリー」のよって作られました。ジョセフはその気体をかいで陽気な気分になって大笑いした経験から、その気体を『笑気』と名付けます。
1800年には、イギリスの科学者「ハンフリー・デービー」が自身の書物で『笑気』の鎮痛効果を紹介し、外科手術での応用を示唆しています。
 
19世紀当時、「エーテル」や『笑気』を吸うと気分がよくなるということで、アメリカやヨーロッパではこうした薬物を「吸う遊び」が流行ります。
その遊びやショー化されたものが、後の「吸入麻酔の発見」につながるわけです。
 
「エーテル麻酔」の発見は、アメリカの医師「クロフォード・ロング」と言う人物が、自身が「エーテル遊び」をしていた際、ケガをして痛みを感じなかったことを不思議に思い、その「エーテル」を患者に嗅がせ、1842年にエーテル吸入麻酔による手術を成功させます。
 
また、『笑気麻酔』を発見した歯科医「ホレス・ウェルズ」は、「笑気ショー」の公演を見て『笑気麻酔』の発見をしました。
「笑気ショー」とは、人間に『笑気』を吸わせ、正気を失って暴れたり踊ったりするさまを見せる見世物で、巡業公演されていました。
18441210日、その「笑気ショー」を見たウェルズは、『笑気』を吸った人物が、ケガをしても痛みを感じていないことに気づきます。
ウェルズはその日の翌日、「笑気ショー」の興行主にかけあい、自身の診療所で実験を試みます。
ウェルズは自ら『笑気』を吸い、助手のリグズに自身の歯を一本抜かせました。
実験は成功し、『笑気』を吸うと痛みを感じないことを証明します。
その後、ウェルズはリグズとともに実験を重ね、権威ある学者に認めてもらおうとします。
ウェルズは昔の弟子である「ウィリアム・モートン」のもとを訪ね、18451月に公開実験のチャンスを得ます。
たくさんの医学生が見守る中『笑気麻酔』の公開実験がボストンのマサチューセッツ総合病院の臨床講堂で行われましたが、結果は「失敗」。
原因は、実験台になった青年の体格がよく、麻酔が十分に効かなかったためでした。
ウェルズは罵声を浴びながら、その場から離れます。
公開実験に失敗した後も、ウェルズは実験を重ね成功例を発表し続けましたが、世間に認められず、自らの体を実験台にし「エーテル」「笑気」「クロロホルム」などを毎日のように吸入し続け、そのデータを収集していました。
しかし、家庭は崩壊、麻酔薬の連用で傷害事件を起こし、逮捕。1848124日に獄中でクロロホルムの入った空の瓶と遺書を残して自殺してしまいます。
12日後、死亡したウェルズのもとに1通の手紙が送られてきます。
それは、「パリ医学協会から手術のための吸入麻酔法の発見と応用成功の栄誉が与えられた」という、知人からの一足遅い手紙でした。
 
一方、モートンは、ウェルズの失態を見て「ウェルズの言っていることが正しいなら、これは儲かるかもしれない」と考えます。
モートンは、ボストンの科学研究所所長「チャールズ・ジャクソン」のところで『笑気麻酔』に使うゴム袋を借りに行った際、「エーテル麻酔」の話を耳にします。
今度はモートンが18461016日に、ウェルズと同じ場、同じ状況で公開実験を行い、大成功を収めます。
しかし、モートンのその後も悲劇しか起こりませんでした。
モートンは、エーテルでは麻酔法薬として特許が取れないと考え、エーテルに香料などを混ぜ、エーテルではない「全く新しい麻酔薬」として売りだそうとします。
しかし、周りにその嘘が見破られ、また、「「エーテル麻酔」のヒントを与えたのは私だから、私が発見者だ!」とジャクソンが言い張り「エーテル論争」が勃発。
「いやいや、私、1842年に、エーテルを使って手術に成功しているんですが・・・。」とロングもこの論争に巻き込まれます。(ロングは、本心ではなく周囲に説得され公表したそうです。)
モートンは必死に自己の優先権を主張するために、ウソや賄賂を重ね、経済的に破綻していきます。
 
1868年、モートンは馬車から降りた時、卒中で倒れそのまま帰らぬ人となりました。
1878年には、ロングが「エーテル麻酔」をかけながらの分娩介助の最中に脳卒中で死亡。1880年には、精神異常をきたしたジャクソンが、入院先の精神病院で死亡しました。
麻酔法の真の発見者は誰であるかと言うことは、現在も結論が出ておらず、麻酔は人類のものとなっています。
 
痛みから解放できる麻酔の歴史は「人類の夢の歴史」とも言えますが、「人類の欲望・悲劇の歴史」とも言えるかもしれません。
 
参考資料:
まんが 医学の歴史(著:茨木 保)
参考URL
「上!左。えー、下?・・・わかりません。」
 
眼科などで視力を検査するときに聞こえる、『視力表』で視力を測るシーンですよね。
『視力表』には、Cみたいなものがずらりと並んでいるものや、ひらがなのものなどいろいろな種類が現在ありますが、どのようにして生まれたのでしょうか?
 
18世紀半ばごろ、文字を読める人口の割合が高まり「眼鏡」の需要も増えます。
そして、『視力表』もこの時代に登場しています。
それまでの視力を検査する方法は、様々な大きさの様々な字体が使われており、標準化されたものがありませんでした。
1861年、オランダの有名眼科医「フランシスカス・コルネリス・ドンデルス」の下で助手をしていた「ヘルマン・スネレン」は、ドンデルスに視力検査用の視力表の作成を依頼されます。
ドンデルスは多忙で、自身で「標準化された視力表」を考案する時間がないため、助手のスネレンにその仕事をゆだねたのですが、その指示にスネレンは従い『視力表』の作成に取り掛かります。
最初の『視力表』は円や四角形、矢印などの「記号」だけを使ったものでした。
しかし、患者ごとに「記号」を別のものにとることがあったため、改良し「文字」と「数字」を使い、それを「視標」と名付けました。
この「スネレン視力表」は瞬く間に有名となり、日本にも、明治初年に輸入され、1884年には青木純造と言う人物がこれを真似て「斯氏試視力表(二脚鉤形表)」を考案し、日本でも普及していきます。
 
さて、『視力表』は現在5種類くらいあります。
 
①万国式試視力表:ランドルト環やアラビア数字を用いて作られたものです。(ランドルト環視力表)
②スネレン試視力表:欧米ではかなり広く使用されています。
③短距離視力表:検査室が狭く5mの検査距離が得られない場合に使用するもの。
④近距離試視力表:視標の大きさを30cmはなれた距離で,0.1から1.5までの12の視標を読みとる視力表です。
PL視力表 (PreferentialLooking法):乳幼児など,ランドルト環のような視力表での応答ができない場合に使う視力表です。
 
上司が忙しいから「俺の代わりにやって!」と言われた仕事が、後世に残る偉業となるなんて、面白いものですね。
 
参考資料:
50の事物で知る 図説 医学の歴史(著:ギル・ポール)
参考URL
抗アレルギー点眼薬にはたくさんの種類がありますが、よく使われる点眼薬は『パタノール(オロパタジン)』と『アレジオン(エピナスチン)』、『インタール(クロモグリク酸)』です。
 
「点眼薬なんてどれも同じだよ!」とお思いの方いるとは思いますが、成分以外に使い方も異なってきます。
 
点眼薬を使う時にまず考えるべきことは「pH」です。
pH」とは、溶液の液性(酸性・アルカリ性の程度)を表す物理量のことで、水溶液のpH7より小さいときは「酸性」、7より大きいときは「アルカリ性」、7付近のときは「中性」となります。
人間の涙の「pH」は7.45付近で「中性」となりますので、点眼薬もこの「pH」に近いと刺激が少なく、不快感もないとなります。
『パタノール』の「pH」は7.0で「中性」、『アレジオン』は6.77.3で「ほぼ中性」ですので、2種類とも刺激が少ない点眼薬と言えます。
一方『インタール』は4.07.0で「少し酸性」となり不快感は人それぞれという感じです。『インタール』の刺激感は一過性のもので「害がある」というわけではないので、不快でなければ安心して使用できます。
 
また、点眼薬は「pH」の他に「浸透圧比」のことも考えましょう。
「浸透圧」とは、濃度の異なった2つの溶液が半透膜を挟んで隣り合わせに置くと、お互いに同じ濃度になろうと、濃度の低い溶液から濃度の高い溶液に移動する現象のことです。
水(純水)の浸透圧比は「0」で、涙(体液)や生理食塩水は「1(等張)」となります。
点眼薬の浸透圧比が0.72.1の範囲であれば刺激や不快感が少ないとされています。
『パタノール』と『アレジオン』の浸透圧比はどちらも0.91.1で刺激が少ないのですが、『インタール』は0.25とかなり水に近い浸透圧比となっているため、真水で目を洗ったときのような刺激感があります。
 
こう見ると『パタノール』と『アレジオン』の方が、刺激が少ないから『インタール』よりいい点眼薬なんじゃね?となりますが、『インタール』の刺激はそんなに気にするようなものでもなく、112滴を14回、90日間使用し続けても刺激によるダメージはないと確認されています。
また、少々の刺激は「目薬をさしたった!」「効いている感じがするぜ!」という感じが出るため、一概に刺激がない方がいいとは言えません。
 
点眼薬を2種類以上さす順番はこの前お伝えした通りですが、もう一度書いておきます。
点眼薬をさすときは、
5分間隔で点眼する
②しばらくまぶたを閉じるか、目頭を軽く押さえる
③水溶性点眼薬→懸濁性点眼薬→油性点眼薬→ゲル化点眼薬の順に点眼する
④(同じ種類の薬剤を複数点眼する場合は)「薬効を最も期待するもの」を最後に投与する
⑤眼軟膏が同時処方されている場合は、点眼薬→眼軟膏の順に使用する
の、5つのポイントを守ればOKです!
~目薬の正しい点眼の仕方~
 
なお、点眼薬をさすとき「目をパチパチさせながら」点眼する方がいますが、あれはNG!です。
眼をパチパチさせ、まばたきしながら点眼すると、せっかく入れた薬が「涙管」を通りすぐに鼻やのどへ流れてしまい、十分に薬の効果が期待できなくなってしまいます。
点眼薬は、入れたら(1滴で十分!)目を閉じ「涙管」から薬が流れ出ないよう目頭を軽く押さえ、1分くらいじっと待ちましょう!
 
さて、『パタノール』と『アレジオン』の違いは何でしょうか?
 
『パタノール』は「ソフトコンタクトNG!」で、『アレジオン』は「ソフトコンタクトOK!」です。
ほとんどの点眼液には、保存料「塩化ベンザルコニウム」というのが含まれていて、その「塩化ベンザルコニウム」は「含水性のソフトコンタクトレンズ」に吸着し、眼に悪影響を与える可能性があります。
『アレジオン』や、UDUnit Dose)と付く1回使い切りタイプの『インタールUD』『ザジテンUD』などは、保存料「塩化ベンザルコニウム」が入っていないため、ソフトコンタクトOK!となります。
なお、「ハードのコンタクトレンズ」や「非含水性のソフトコンタクトレンズ」は基本的に問題はないため、そのような場合は「塩化ベンザルコニウム」が入っている点眼薬でもそのまま点眼して大丈夫です。
 
というわけで、
『パタノール』は、涙に近い性質を持っているので、刺激が少なく使いやすい!
『アレジオン』は、刺激が少なく、含水性のソフトコンタクトレンズにも使用可能!つけ外しをしなくてもいいので便利!
『インタール』は、刺激感が欲しい方に最適!春季カタル(子どもに多い重症なアレルギー性結膜炎)にも適応!刺激感がいらない人には1回使い切りのUDもあるよ!それなら含水性のソフトコンタクトレンズもOK
と覚えましょう!
 
*なお、これらのジェネリックは「pH」や「浸透圧比」、添加剤が異なる場合があるので注意が必要です。ジェネリックを希望する人は、薬剤師に聞きましょう!
 
参考資料:
薬の比較と使い分け100(著:児島 悠史)
参考URL
突然、自分の前を歩いていた人が倒れたら?あなたはどうしますか?
 
まずは救急車!119番通報!と思うと思いますが、それからどうするか?
そのままにしておいてはいけないと分かっていながらも、何もできない!頭の中はパニック!ということになってしまうかもしれません。
 
最近は講習や、ネットなどで『救命処置』が身近なものになっているとはいえ、いざそうなったとき、「本当にこの方法でいいのか?」「自分じゃなくて、他の人のほうが上手くできるのではないか?」など思ってしまうこともあると思います。
しかし、人間は心臓が止まると約15秒で意識が消失、そのままの状態が続くと脳機能の回復は困難となるため、迅速な対応が生死を分けます。
その「戸惑い」も救急時には不要なものになります。
 
それでは、我々市民は、そのような時に何をすればいいのか?
 
①一次救命処置
②簡単なファーストエイド
この2点です。
 
①の「一次救命処置」とは、突然の心停止もしくはこれに近い状態になった傷病者を、「社会復帰に導くための方法」をいいます。
胸骨圧迫や人工呼吸による「心肺蘇生」とAED(自動体外式除細動器)を用いた「電気ショック」に加え、異物で窒息をきたした傷病者への「気道異物除去」が含まれます。
 
②の「ファーストエイド」とは、一次救命処置以外の急な病気やけがをした人を助けるために行う「最初の行動」を言います。
ファーストエイドにより命を守り、苦痛を和らげ、それ以上の悪化を防ぐことが期待できます。「熱中症への対応」や出血に対する「圧迫止血」なども含まれます。
 
やり方、注意点などは参考URLを見ていただくといいと思います。
 
119 番通報をしてから救急車が現場に到着するまでにかかる時間は、全国平均で「8.6 分(平成26 年)」であり、救急車が現場に到着してから救急隊が傷病者に接触するまでにはさらに数分を要することがあるので、その場に居合わせた市民の『救命処置』はやはり重要なものになるのです。
救急隊を待つ間に居合わせた市民が『救命処置』を行うと、救命の可能性が「2倍程度」に保たれることもわかっていますので、いざという時、躊躇せず、臆せず、自身の行動を確実なものとするためにも、(少しの知識でもいいので)前もって『救命処置』の知識を深めておきましょう!
 
参考URL
~政府広報オンライン~
・いざというときのために応急手当の知識と技術を身につけておきましょう
・厚生労働省「救急蘇生法の指針2015 市民用」[PDF]
・消防庁「一般市民向け 応急手当WEB講習」(e-ラーニング) ←オススメ!
・消防庁「救命処置の手順」[PDF]
人間は痛みにはめっぽう弱いことは皆さんご存知だと思います。
現代は、痛み止めはもちろん、外科的手術などの時は『麻酔薬』を使うのが普通な時代であります。
 
さて、江戸時代に「華岡青洲(17601835)」という医師がいました。
実はこの青洲、世界で初めて『全身麻酔を成功させた』人物なのです。
 
青洲は23歳の時、京都で医学を勉強していた際、「古代中国の名医・華佗(かだ)は『曼陀羅華(朝鮮朝顔)』で患者を眠らせ、さまざまな手術(開腹手術も。)をしたらしい。」という話を医者仲間から聞き、「患者に痛い思いをさせない手術をしたい!華佗を超えてみせる!」と決心、当時からして1500年以上前の華佗が用いた「麻沸散」を再現しようと、「麻酔薬」開発のため、漢方医学の古医学はもちろん、オランダの外科技術(パスカル流外科)を学びます。
 
生まれ故郷、紀伊の国(和歌山県)に帰って医者になり、誰でも分け隔てなく診療し、どんなに忙しくとも「麻酔薬」開発の研究を続けます。
その麻酔薬開発では、当時では珍しい「動物実験」が行われました。
『曼陀羅華(朝鮮朝顔)』にトリカブトなどを加え、すりつぶして煎じたものに麻酔効果があると考え、犬や猫にそれを投与、多くの犠牲はありました(村から犬が消えてしまったという逸話が残されています。)が、その動物実験で成功を収めます。
 
次は人間での実験となったとき、青洲の実母の於継(おつぎ)と妻の加恵(かえ)が実験台となると青洲に告げます。青洲はとても迷いましたが、二人に開発した「麻酔薬」を投与します。
残念ながら度重なる実験の結果、実母の於継(おつぎ)は中毒死してしまい、妻の加恵(かえ)は失明(盲目)しましたが、20年もの時間をかけ開発した全身麻酔薬「通仙散(痛仙散とも書く。)」が1804年に完成します。
1796年の段階で、すでに十数人の麻酔実験に成功していたという伝えもあります。)
 
また、青洲(当時44歳)は「通仙散」を用い、世界初の「乳がん手術」を成功させます。
当時は、乳房は「女の生命そのもの」と考えられており、傷付ければ命はないと信じられていました。しかし強い申し出があった為、青洲は「通仙散」を使い、乳がん摘出の執刀を決意するに至ります。そして、18041013日(旧暦)、世界初の「乳がん手術」を成功させます。(日本麻酔科学会は、この日を記念し1013日を『麻酔の日』と定めており、ロゴマークも「朝鮮朝顔」をモチーフにしたものとなっています。)
 
なお、「通仙散」の全容は青洲が口外を固く禁じたため、残念ながら伝わってはいませんが、明治中期以降まで医療の現場で使用されていました。
・曼陀羅華(マンダラケ、朝鮮朝顔)・・・アトロピンやスコポラミン、ヒヨスチアミンを含み、副交感神経抑制作用・中枢神経興奮作用がある。
・烏頭(ウズ、トリカブト)
を主成分とし、
・センキュウ
・当帰
・シャクヤク
など10種類に余る生薬が含まれていたのではとされています。
 
世界的に見ると、この青洲の偉業は無視されてしまっていることもあるのですが、青洲はその後も「春林軒(しゅんりんけん)」という塾を開き、乳がんの手術に成功してから亡くなるまでの約30年の間、たくさんの医者も育てました。(かの有名な杉田玄白も教えを請いたいと青洲に手紙を送ったんだそうです。)
 
青洲は「春林軒」を巣立つ塾生に一編の漢詩を贈っています。
 
「竹屋蕭然烏雀喧 風光自適臥寒村 唯思起死回生術 何望軽裘肥馬門」
 
  私の家のまわりでは烏や雀がやかましいほど鳴いている
  このような美しい自然にあって、ただひたすらに思うことは、
  今までに治せなかった病気を治すことだけである
  決して高価な着物を着たり、肥えた馬に乗るような贅沢はしたくない
 
参考資料:
やさしくわかる 子どものための医学 人体のふしぎな話365(ナツメ社)
おもしろサイエンス 毒と薬の科学(編著:佐竹 元吉)
参考URL
体に『あざ』ができる仕組み、知っていますか?
 
『あざ』は大きく2つに分けることができます。
①「ケガ」によるもの
②「色素」によるもの
 
①の「ケガ」によるものは、ボールなどの物が、皮膚に強くぶつかった際、その皮膚の下にある血管が破れ、出血するためにできる『あざ(内出血のこと)』です。
 
一方、②の「色素」によるものは、メラニン色素によってできる『あざ』です。
メラニン色素は、「ほくろ」や「シミ」「そばかす」の原因物質だということは皆さんご存知だと思いますが、「色素」による『あざ』もこいつの仕業です。
メラニン色素は普通に働いているときは、皮膚の色は変化しませんが、その働きがうまくいかないと、うまくいかなかった部分(皮膚)だけが周りと違った色になります。(黒色)
 
なお、正しくは『あざ』は②だけを指します。
『あざ』の漢字は「痣」。志(誌)の病と書きます。
『あざ』は「あざやか(鮮やか)」と同源で、「際立っているもの」「どぎついもの」のことを「あざ」といい、「はっきりしているもの」「鮮やかであること」のことを「あざあざ(鮮鮮)」と言いました。
「志」は「しるし」と言う意味があるため、「ほくろ」は「黒子」の他に、同じく「痣」とも書きます。
 
というわけで、「歩いていたらコケて『あざ』ができちゃった!」は、正しくは『あざ』ではなく「内出血」です。
間違いなので注意しましょうね!
 
参考資料:
やさしくわかる 子どものための医学 人体のふしぎな話365(ナツメ社)
参考URL
ステロイド吸入薬を吸入後、「息を止め」をしますが、一体「何秒くらい息を止めて」いなければならないか?
 
一般に、粒子径3070㎛の薬剤は「鼻腔」に、2030㎛では「咽頭」、1020㎛は「喉頭」、510㎛は「気管」、58㎛は「気管支」、35㎛は「細気管支」、0.53㎛は「肺胞」に沈着します。
ステロイド吸入薬は、以下のようにお薬ごとに粒子の粒子径が違うため「肺に到達する到達率」や「息を止める秒数」も違います。
①オルベスコ インヘラー・・・平均粒子径:0.9㎛(0.652.1) 肺胞到達率:52
 息を止める秒数:510秒間(しっかり息を止める)
②キュバール エアゾール・・・平均粒子径:1.1㎛(0.72.1) 肺胞到達率:40
息を止める秒数:ゆっくり5つ数える
③フルティフォーム エアゾール・・・平均粒子径:3.13.6㎛ 肺胞到達率:5未満は40
 息を止める秒数:3秒以上
④アドエア エアゾール・・・平均粒子径:3㎛(2.73.5) 肺胞到達率:30
 息を止める秒数:34秒程度
⑤アトロベント エロゾル・・・平均粒子径:5.8㎛未満 肺胞到達率:5.8未満は30
 息を止める秒数:表記なし
⑥メプチンエアー・・・平均粒子径:2.3㎛ 肺胞到達率:80
 息を止める秒数:数秒間
⑦パルミコート タービュヘイラー・・・平均粒子径:BUD2.0㎛ 肺胞到達率:30
息を止める秒数:表記なし
⑧シムビコート タービュヘイラー・・・平均粒子径:BUD2.4㎛ FM2.5㎛ 肺胞到達率:BUD30% FM50
 息を止める秒数:表記なし
⑨フルタイド ディスカス・・・平均粒子径:FP3.2㎛ 肺胞到達率:13
 息を止める秒数:34秒程度
⑩セレベント ディスカス・・・平均粒子径:SM5㎛以下90%以上、10㎛以下95% 肺胞到達率:13
 息を止める秒数:34秒程度
⑪アドエア ディスカス・・・平均粒子径:FP3.57㎛ SM3.54㎛ 肺胞到達率:13
息を止める秒数:34秒程度
⑫レルベア エリプタ・・・平均粒子径:FF4㎛ VI2.2
 息を止める秒数:34秒程度
⑬アズマネックス ツイストヘラー・・・平均粒子径:2㎛ 肺胞到達率:40
 息を止める秒数:無理をしない程度軽く
 
BUD・・・ブデソニド
FM・・・ホルモテロール
FP・・・フルチカゾン プロピオン酸エステル
SM・・・サルメテロール
FF・・・フルチカゾン フランカルボン酸エステル
VI・・・ビランテロール

息を止める時間はお薬によってまちまちですが、大体『510秒』と覚えておきましょう!
 
参考資料:
RP.+ 気管支喘息・COPDの吸入剤(2018 冬 Vol.17 No.1
参考URL
https://blogs.yahoo.co.jp/ito_pharmacy/69797705.html (ステロイド吸入薬を使用した後『うがいをする』理由)
大昔、しかも1600年初頭まで血管系(動脈と静脈)は、それぞれ切り離されたシステムであると考えられていました。
古代ギリシアの「ガレノス」と言う人物が唱えたもので、肝臓で作られ、毎日排泄される静脈血の『自然系』と、心臓から流れ出し、熱と生命力をもたらす動脈血と霊魂からなる『生命系』の2系統に分けて考えられていました。
しかし、1628年、イギリスの医学者のウイリアム・ハーベーがガレノスの説を否定し、「血液は心臓から出て、動脈経由で身体の各部を経て、静脈経由で再び心臓へ戻る」という『血液循環説』を発表、この説が後の心臓や血圧の正しい理解へと繋がります。
 
『輸血』の登場は、この説が唱えられた後です。
1667年にフランスの医師「ジャン=バティスト・デニ」という人物が、貧血と高熱のある青年に対して「小羊の血液」を輸血したのが人類最初の輸血と言われています。
青年はその輸血で生き延びたんだそうです。
デニは、その後も人間に「小羊の血液」を輸血しましたが、3人目、4人目の人間が死亡すると裁判沙汰になり、裁判の後、デニは輸血実験を二度と行うことはありませんでした。
4人目は実は夫の財産を狙った妻による砒素を使った毒殺であることが判明し、デニは無罪だったそうですが。)
しかし、この事件がきっかけで、フランスはもちろん、ヨーロッパでの『輸血』があっという間に禁止になりました。
 
次に『輸血』により命が救われたのは、それから160年くらいたった1825年。
「ジェームズ・ブランデル」というイギリスの産科医が、出産後に出血をした妊婦さんに『輸血』をし、1825年から1830年の間に10人中5人の命を救いました。
当時の方法は原始的であり、供血者(ドナー)をベッドのそばに立たせ、肘動脈を切開して、出てくる血液を「じょうご」のような容器で受け、そのまま産婦に輸血したんだそうです。今考えるとぞっとしますね(><;)
1853年に「皮下注射針」が発明されてからは、「じょうご」ではなくなり『輸血』も簡単にもなり普及してはいきますが、『輸血』による死亡事故は無くなりませんでした。
 
1901年、オーストリアの病理学者「カール・ラントシュタイナー」が『ABO式血液型』を発見。(発表時点はA型、B型、C型でした。)
この発見により、患者への『輸血』には「適切な型」の血液を輸血する必要があるということを理解し、型の合っていない血液を使用したために生じていた重い副作用や死亡事故を減らすことができるようになります。
また、ラントシュタイナーは1914年に『抗凝固剤(クエン酸ナトリウム)』を発見、『輸血』のためにドナーから得た血液を固まらせることなく「保存」させておくことが可能となりました。
1937年には、シカゴにあるCook County病院内に『血液バンク』が設立され、保存血の製造・供給を開始しました。
今日では、プラスチック製の血液バッグに採取した血液を、「血球」や「血しょう」に分けて輸血する『成分輸血』が主流となっています。
 
『輸血』はこれまで多くの命を奪いましたが、今は多くの命を救うものとなります。
皆さん、ぜひ「献血」にご協力くださいね!
 
参考資料:
50の事物で知る 図説 医学の歴史(著:ギル・ポール)
参考URL
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウイリアム・ハーベー
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン%EF%BC%9Dバティスト・デニ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・ブランデル
https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・ラントシュタイナー