ご飯を食べる前や家に帰ったらする行為と言えば、『手洗い』ですよね。
『手洗い』をしないと病気になる確率が増えることは、子供でも100も承知だと思います。
『手洗い』は医療機関でも当たり前の行為で、手術をする前手を洗わない医師はいません。
しかし、昔はそうではありませんでした。
医療での『手を洗う』行為は最近まで行われていませんでした。
え!?マジで!?と思うと思いますが、マジです。
~before~
1846年、当時27歳の医師イグナーツ・ゼンメルワイスは「産褥熱(出産によって生じた、産道や子宮腔内の創傷が細菌に感染して引き起こされる発熱)」で命を落とす母親を、何とか減らすことはできないかと考えます。
「産褥熱」は古くからあり、釈迦を生んだ麻耶夫人は出産後7日後に「産褥熱」で命を落としたのではないかという資料もあります。
1772年には欧米全域で大流行し、妊産婦の5人に1人は「産褥熱」で命を落としたと言われています。
イグナーツは、自身が務める病院(ウィーン大学総合病院)での妙な噂に興味を持ちます。
病院には「産科」が2か所ありました。教授や学生が務める『第一産科』と助産婦が務める『第二産科』です。
そして、その2か所の「産科」では「産褥熱」の発生率が違い、「『第一産科』は『第二産科』よりも発生しやすい」という噂でした。
イグナーツが調べてみるとその通りで、発生率は数倍の違いがありました。
イグナーツは試しにスタッフを入れ替え、助産婦が務める『第一産科』と教授や学生が務める『第二産科』で比較したところ、今度は『第二産科』で「産褥熱」が発生しやすくなりました。
またある日、イグナーツの知り合いの医師が手術中の事故によって死亡します。
「産褥熱」で命を落とした妊産婦の検視を行う際、あやまってメスで自分の手を切ってしまい、「産褥熱」の患者たちと全く同じ症状で死亡してしまったのです。
この2つの事柄で、イグナーツは、
①「産褥熱」で命を落とした女性の遺体から『何らかの感染性物質が医師の手などに付着』し、これが次の妊産婦にうつり「産褥熱」が発生する。
②死体解剖室にいた医師が分娩に従事することがあり、解剖室から出てきた医師の手には死体のひどい「臭い」が付いていた。
しかし、助産婦は解剖をしないので、感染性物質をうつしにくい。だから助産婦が務める「産科」の方が発生率が少ない。
と考えます。
そこでイグナーツは、解剖を終えたあと「爪を短くし」「石鹸で手を洗い」「塩素水に手を浸して」「ブラシで手をこする」という手段を考案し、医師だけでなく学生にも実践させます。
~after~
すると・・・なんということでしょう。
『手洗い』を開始してから数か月で、12%あった『第一産科』での死亡率が3%までに低下したではありませんか!
さらに、下着や医療器具なども消毒を徹底した結果、死亡率は0.5%以下まで激減しました。
しかし、時代は残酷です。
画期的な匠の技『手洗い』は、一部の医師などには大きな感銘を与えましたが、幅広い支持を受けることはありませんでした。
当時は「医師は「紳士」である。紳士は「清潔」である。よって医師が汚れているはずがない。汚れで医師が患者を殺すはずがない!」という考え方が深く浸透していたからです。
イグナーツは、無念にも1850年にウィーン大学総合病院から追放されてしまいました。
その後、イグナーツは1855年にブダペスト大学の産科教授に就任し、そこでも『手洗い』の重要性を見出しますが、世間には最後まで認められず、それが原因で錯乱状態となり精神病院で47年の短い生涯を終えました。
しかし、イグナーツの『手洗い』は若い手にわたります。
ジョセフ・リスターという外科医が注目し、手を消毒することで細菌感染を予防するという「消毒法」を確立するなど、イグナーツの学説は徐々に時代に認められ、その功績をたたえたブダペスト大学はゼンメルヴァイス大学(ゼンメルワイス大学)へと名前を変えています。
『手洗い』の歴史は浅くても、思いは深い!
皆さん!『手洗い』しましょうね!
参考資料:
世界史を変えた薬(著:佐藤 健太郎)
参考URL: