『笑気』とは「亜酸化窒素」の別名で、歯科麻酔にも使われる全身麻酔薬です。
その『笑気』を使った麻酔『笑気麻酔』は、現在ではあまり使われてはいませんが、華岡青洲が麻酔手術を成功させてからちょうど40年後に「ホレス・ウェルズ」によって発見されます。
 
古代インカのインディオは、「コカの葉」から「コカイン(局所麻酔薬・麻薬)」を抽出し、それを手術部位に塗布することで痛みをやわらげ、穿頭手術(頭皮を切開して頭蓋骨に穴を開ける民間療法の一種)などを行っていました。
中世の医師は、ケシ(モルフィン・コデイン)やマンダラケ(アトロピン・スコポラミン)、ヒヨス(ヒヨスチアミン)などの成分を海綿にしみこませ、「眠り海綿」と称し、ちょっとした手術の鎮痛などに用いていました。
そして、1804年に華岡青洲が全身麻酔薬「通仙散」で乳がんの手術を成功させます。
しかし、「通仙散」の毒性や効果の不安定さから、広く臨床応用されることはありませんでした。
19世紀半ばには「吸入麻酔法」が確立され、全身麻酔手術を可能にします。
その際使われる薬剤に「エーテル」『笑気』「クロロホルム」があり、人体への危険から「エーテル」「クロロホルム」は次第に使われなくなり『笑気』だけが「吸入麻酔薬」として現在に残っている、というわけです。
 
『笑気(亜酸化窒素)』は1772年に、イギリスの科学者「ジョセフ・プリーストリー」のよって作られました。ジョセフはその気体をかいで陽気な気分になって大笑いした経験から、その気体を『笑気』と名付けます。
1800年には、イギリスの科学者「ハンフリー・デービー」が自身の書物で『笑気』の鎮痛効果を紹介し、外科手術での応用を示唆しています。
 
19世紀当時、「エーテル」や『笑気』を吸うと気分がよくなるということで、アメリカやヨーロッパではこうした薬物を「吸う遊び」が流行ります。
その遊びやショー化されたものが、後の「吸入麻酔の発見」につながるわけです。
 
「エーテル麻酔」の発見は、アメリカの医師「クロフォード・ロング」と言う人物が、自身が「エーテル遊び」をしていた際、ケガをして痛みを感じなかったことを不思議に思い、その「エーテル」を患者に嗅がせ、1842年にエーテル吸入麻酔による手術を成功させます。
 
また、『笑気麻酔』を発見した歯科医「ホレス・ウェルズ」は、「笑気ショー」の公演を見て『笑気麻酔』の発見をしました。
「笑気ショー」とは、人間に『笑気』を吸わせ、正気を失って暴れたり踊ったりするさまを見せる見世物で、巡業公演されていました。
18441210日、その「笑気ショー」を見たウェルズは、『笑気』を吸った人物が、ケガをしても痛みを感じていないことに気づきます。
ウェルズはその日の翌日、「笑気ショー」の興行主にかけあい、自身の診療所で実験を試みます。
ウェルズは自ら『笑気』を吸い、助手のリグズに自身の歯を一本抜かせました。
実験は成功し、『笑気』を吸うと痛みを感じないことを証明します。
その後、ウェルズはリグズとともに実験を重ね、権威ある学者に認めてもらおうとします。
ウェルズは昔の弟子である「ウィリアム・モートン」のもとを訪ね、18451月に公開実験のチャンスを得ます。
たくさんの医学生が見守る中『笑気麻酔』の公開実験がボストンのマサチューセッツ総合病院の臨床講堂で行われましたが、結果は「失敗」。
原因は、実験台になった青年の体格がよく、麻酔が十分に効かなかったためでした。
ウェルズは罵声を浴びながら、その場から離れます。
公開実験に失敗した後も、ウェルズは実験を重ね成功例を発表し続けましたが、世間に認められず、自らの体を実験台にし「エーテル」「笑気」「クロロホルム」などを毎日のように吸入し続け、そのデータを収集していました。
しかし、家庭は崩壊、麻酔薬の連用で傷害事件を起こし、逮捕。1848124日に獄中でクロロホルムの入った空の瓶と遺書を残して自殺してしまいます。
12日後、死亡したウェルズのもとに1通の手紙が送られてきます。
それは、「パリ医学協会から手術のための吸入麻酔法の発見と応用成功の栄誉が与えられた」という、知人からの一足遅い手紙でした。
 
一方、モートンは、ウェルズの失態を見て「ウェルズの言っていることが正しいなら、これは儲かるかもしれない」と考えます。
モートンは、ボストンの科学研究所所長「チャールズ・ジャクソン」のところで『笑気麻酔』に使うゴム袋を借りに行った際、「エーテル麻酔」の話を耳にします。
今度はモートンが18461016日に、ウェルズと同じ場、同じ状況で公開実験を行い、大成功を収めます。
しかし、モートンのその後も悲劇しか起こりませんでした。
モートンは、エーテルでは麻酔法薬として特許が取れないと考え、エーテルに香料などを混ぜ、エーテルではない「全く新しい麻酔薬」として売りだそうとします。
しかし、周りにその嘘が見破られ、また、「「エーテル麻酔」のヒントを与えたのは私だから、私が発見者だ!」とジャクソンが言い張り「エーテル論争」が勃発。
「いやいや、私、1842年に、エーテルを使って手術に成功しているんですが・・・。」とロングもこの論争に巻き込まれます。(ロングは、本心ではなく周囲に説得され公表したそうです。)
モートンは必死に自己の優先権を主張するために、ウソや賄賂を重ね、経済的に破綻していきます。
 
1868年、モートンは馬車から降りた時、卒中で倒れそのまま帰らぬ人となりました。
1878年には、ロングが「エーテル麻酔」をかけながらの分娩介助の最中に脳卒中で死亡。1880年には、精神異常をきたしたジャクソンが、入院先の精神病院で死亡しました。
麻酔法の真の発見者は誰であるかと言うことは、現在も結論が出ておらず、麻酔は人類のものとなっています。
 
痛みから解放できる麻酔の歴史は「人類の夢の歴史」とも言えますが、「人類の欲望・悲劇の歴史」とも言えるかもしれません。
 
参考資料:
まんが 医学の歴史(著:茨木 保)
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