皆さま
「あなたはもっと自己肯定感を高めるべきです」
「自己肯定感が低いから、人間関係がうまくいかないのです」
このような言葉を、最近ではよく耳にするようになりました。テレビや雑誌、SNS、学校教育やビジネスの場面でも、「自己肯定感」という言葉があたりまえのように登場します。
「自己肯定感」は、あたかも人生を左右する重要な心理的資源のように語られています。自己肯定感が高ければ幸福で、低ければ不幸。そんな単純な物語が、多くの場面で繰り返されています。
しかし、筆者はこの言葉に違和感を覚えます。なぜなら、「自己肯定感」という言葉は心理学の中では曖昧であり、しっかりと定義された学術用語ではないからです。
心理学には「自己」(個人的自己意識)に関する多くの理論と概念があります。
しかし、「自己肯定感」という言葉は、これらの概念を混ぜ合わせわかりやすくしただけのような印象を与えます。
さらに近年では、この「自己肯定感」が教育や福祉、自己啓発、そしてスピリチュアルで頻繁に用いられ、「人生のすべては自己肯定感次第」というような過剰な信仰すら見られます。
本当にそうなのでしょうか?
今回は、「自己肯定感」という言葉の正体を問い直します。
あくまでも心理学的な視点からその曖昧さを明らかにし、教育や自己啓発の現場でどのように誤用されているのかを検討します。
そして最後に、私たちが本当に必要としている心のあり方とは何かを考えてみたいと思います。
「自己肯定感を高めなければならない」という呪縛から、少しだけ自由になるために。
心理学に「自己肯定感」という言葉は存在しない
「自己肯定感」という言葉は、心理学的な響きを持っているため、専門的で正当な概念であるかのように受け取られがちです。
しかし実際には、「自己肯定感」は正式な心理学用語ではありません。
心理学の世界には、自己に関する多様な概念があります。たとえば、以下のようなものです。
これらはそれぞれ、理論的背景と定義を持った学術用語です。しかし「自己肯定感」という言葉は、それら複数の概念を混ぜ合わせたような意味で使われており、学術的には明確な定義が存在しません。
心理学者・子安増生氏は、「自己肯定感は心理学の言葉ではなく、社会的願望を映した通俗的表現である」と批判しています。
この言葉が持つ“耳ざわりのよさ”が、多くの人に安心感を与える反面、考える力を奪い、思考停止を招く可能性があると指摘しています。
また、「自己肯定感が高ければすべてうまくいく」というような言説も多く見かけますが、それは実際の心理学的研究の知見とはかけ離れています。
学問的に言えば、人格の発達や精神的健康は、一つの概念で説明できるような単純なものではありません。
「自己肯定感」という言葉の曖昧さと魅力は、いわゆるポップ心理学の影響によって強化されています。
ポップ心理学とは、学術的な心理学をわかりやすく翻訳する中で、時に科学的厳密さを失い、大衆的な願望や価値観を投影したものです。
教育現場における「自己肯定感信仰」の危うさ
現在の日本の教育現場では、「子どもの自己肯定感を高めること」が非常に重視されています。
教師や保育士、親たちは、子どもをできるだけ褒めて育て、自信を持たせることが教育の理想のように語られます。
実際、文部科学省の政策においても「自己肯定感の向上」が学力向上や不登校対策の柱として打ち出され、学習指導要領や教材にも反映されています。
(3)不登校とは,多様な要因・背景により,結果として不登校状態になっているということであり,その行為を「問題行動」と判断してはならない。不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭し,学校・家庭・社会が不登校児童生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢を持つことが,児童生徒の自己肯定感を高めるためにも重要 であり,周囲の大人との信頼関係を構築していく過程が社会性や人間性の伸長につながり,結果として児童生徒の社会的自立につながることが期待される。(通知本文より引用)
というように、「お上」でさえ「自己肯定感」というワードを堂々と使っているわけです。
しかし、この方針には大きな問題があります。
第一に、「自己肯定感」という概念自体が不明確であるにもかかわらず、それを“測定”しようとする動きが広がっていることです。
たとえば「自分には良いところがあると思うか」などの設問に答えさせて、子どもの自己肯定感の“高さ”を数値で評価しようとする試みがあります。
ですが、子どもの感情や心の状態は非常に複雑で、しかも流動的です。それを単純な質問票で測定し、指導方針を決めるという発想自体が、教育の本質から遠ざかっているように思われます。
第二に、「とにかく褒めればよい」という短絡的な教育が広まっていることです。子どもがどんな行動をとっても「すごいね」「がんばったね」と褒めることで、自己肯定感が育つと考えられています。
しかしこれは、賞賛に依存する心の構造をつくり、失敗に対する耐性を奪ってしまう可能性があります。
褒められないと価値を感じられない子ども、失敗を極端に恐れる子どもが生まれることもあるのです。
本来、教育で育てるべきは「自己肯定感」というよりも「自己効力感」や「自己調整力」ではないでしょうか。
たとえ失敗しても、もう一度やってみようと思える力、あるいは自分の感情をコントロールし、前向きな行動に切り替えていく力こそが、人生を支える柱になります。
自己啓発とスピリチュアルが消費する「自己肯定感」
最近では、書店の自己啓発コーナーやSNS、YouTube動画などで、「自己肯定感を高める方法」といった情報があふれています。
「自己肯定感を上げれば恋愛もうまくいく」「成功者は自己肯定感が高い」など、まるでこの言葉が人生の万能薬であるかのように語られています。
こうした現象の背景には、ポップ心理学の影響があります。ポップ心理学は、専門的な知見を簡略化し、一般向けに広めることを目的としていますが、その過程で科学的な厳密さが失われることも少なくありません。
自己啓発業界では、「あなたは自己肯定感が低いから不幸なのです」という前提を提示し、その解決策として高額なセミナーや講座を売り込む構造がしばしば見られます。
しかし、このような商業的アプローチは人々の不安を煽り、その不安を“商品”として取り扱う傾向があります。
スピリチュアル業界においても、「自己肯定感が高まれば波動が上がる」「自己肯定感が低いと魂の成長が止まる」といった言説が繰り返されています。
これらの主張は魅力的ではありますが、根拠が曖昧であり、信じる者にとっては逆にプレッシャーとなる場合もあります。
自己肯定感が低いから問題がある、という単純なラベリングは、結果的にその人の悩みや苦しみを矮小化する危険性があります。
「自己肯定感が足りないあなたが悪い」と暗に責める構造になってしまうのです。
本当に大切なのは、「自己肯定感」という言葉に振り回されることではなく、自分の内面とどう向き合い、どのように回復していくかという“プロセス”ではないでしょうか。
本当に大切なのは「自己調整」と「関係性」
これまで見てきたように、「自己肯定感」という言葉には、多くの曖昧さと誤用が含まれています。そして、それに依存することで、かえって人が弱くなってしまう現実もあります。
では、私たちが本当に育てるべき“心の力”とは何でしょうか。
それは「自分で自分を整える力」、そして「他者とつながり支え合う力」だと筆者は考えます。
1.自分で「何とかできる」という感覚──自己効力感
まず大切なのは、自己効力感(self-efficacy)です。
これは、「自分にはできる」「やれば何とかなる」と思える感覚のことです。
たとえ失敗しても、また挑戦しようと思える心の強さ。それが、人生を支える確かな土台になります。
自己効力感は、成功体験の積み重ねや、小さな達成感から育まれます。
逆に言えば、「肯定され続けること」では育ちません。
必要なのは、失敗してもなお立ち上がる経験なのです。
2.感情を整える力──自己調整力
もうひとつ重要なのが、自己調整(self-regulation)です。
これは、自分の感情や衝動を冷静に見つめ、行動を整える力です。
たとえば、イライラしているときに一呼吸おく、落ち込んだときに誰かに相談する、そうした「小さな対応」の積み重ねが、私たちを支えてくれます。
この力は、自己肯定感よりもずっと地味な概念ですが、日々を生きる力として非常に実用的です。
人は関係のなかでしか自己を育てられない
最後にもう一つ、大切な視点があります。
それは、「人は他者との関係の中でしか自分という存在を確かめることができない」ということです。
どれほど自分を肯定しようとしても、他者から否定されたときに、それが崩れてしまうこともあります。
逆に他者とのつながりの中で、初めて自分を受け入れることができる瞬間もあります。
つまり、自己肯定感という“ひとり芝居”ではなく、関係性のなかで育つ自己理解の方が、ずっと根深く現実的なのです。
「自己肯定感」という言葉にとらわれず、
「整える力」「立て直す力」「つながる力」を育てていくこと。
それこそが、揺るぎない自己を築くための道ではないでしょうか。
まとめ
あなたは「自己肯定」しなくても大丈夫!
「もっと自己肯定感を持ってください」
「自分を好きになれば、人生が変わります」
このような言葉が、私たちを励ますようでいて、時に苦しめることがあります。
なぜかというとそれができない自分を前にして、
「やっぱり自分はダメなんだ」と、さらに自己否定を深めてしまうからです。
肯定しようとしなくてもかまわない
人生には、どうしても好きになれない自分がいます。
失敗や後悔、恥や罪悪感──それらを簡単に「肯定」することなど、できるはずがありません。
それでもいいのです。
無理に肯定しようとしなくても構いません。
むしろ、「好きになれないままの自分」を見つめ、受け入れること。
その方が、ずっと誠実で、ずっと人間的です。
大切なのは「問い」を持ち続けること
「どうすれば自己肯定感が高まるか」と考えるよりも、「なぜ自分はこう感じるのか」「どんな生き方がしたいのか」と問い続けることが大切です。
答えはすぐには出ません。しかし、問い続けることそのものが、自分との対話であり、癒しの始まりなのです。
他人の価値観や流行り言葉に振り回される必要はありません。「自己肯定感がないと生きづらい」という神話から、そろそろ自由になってもいいのではないでしょうか。
自分を支えるのは、「肯定」ではなく「行動」です
最後にお伝えしたいのは、自分を救うのは“自己肯定感”ではなく、“一歩を踏み出す行動”であるということです。
・今日、できることを一つやってみる。
・誰かと会話する。
・深呼吸する。
・眠る。
・涙を流す。
そういった小さな積み重ねが、やがて「自分を生きる力」になっていきます。
だからあなたは、「自己肯定しなければならない」と思い詰める必要はありません。
自分を好きになれなくても、自分と共に生きていくことはできます。
その姿勢こそが、真に強く、優しい自己なのだと筆者は信じています。
文責:はたの びゃっこ
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