前回の続きです。

 

心理学の研究法には大きく分けて、実験法、観察法、面接法、調査法などがあり、得られるデータによって、量的研究と質的研究に分けられます。研究目的に応じて使い分けたり、組み合わせることで研究を進めます。

 

量的研究の場合、統計学を駆使することになります。自然科学と同じ分析手続きを使ったりもするので、基本的には理系的な思考が要求されます。これは心理学の歴史とも関係があって、研究法を物理学のそれに倣って構築したことが始まりです。

 

そういうわけで、この記事には研究手続きやデータの分析法に関する説明も含まれていますから、研究者ではない人にとってはスルーして読んでもらっても分かるように原文を改編しておきます。

 

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スピリチュアリティへの領域横断的接近

 医学や看護学の領域では、近年、とりわけ終末期医療で「スピリチュアルケア」という概念が注目されるようになっており、末期癌やHIVなどの患者のスピリチュアルな苦悩を緩和する臨床的アプローチの重要性が議論されるようになっている。

 我が国では「死の臨床研究会」などで、こうしたスピリチュアルな問題に関する臨床的な実践研究が報告されている。安藤・結城・佐々木(2001)によれば、医学の分野では特に死に直面する人々に霊的苦痛(spiritual pain)が発生することを重く受けとめ、(1)人生の意味の探求、(2)納得のいく死、(3)死を越える希望を求めること、といった病者の霊的欲求を満たすこととの関連でスピリチュアリティ概念が議論されているとしている。

 

 このため、心理学で重視される「自己超越的な次元への気づき」よりも、「生と死の意味と目的の追求」といった側面に力点の置かれるアプローチがとられることになる。

 窪寺(2000)は、スピリチュアルケアを、従来の心のケアや宗教的ケアと対比させながら、その特徴を記述している。

 それによれば、心のケアは、人間関係の軋轢、身体的不調、家庭不和が原因となって生じる不安、恐怖、怒り、落胆、落ち込み、無力感、失望、いらいらなどの患者の精神的・心理的苦痛に対処するケアであり、その提供者は、家族、友人が中心となり、特別な場合にはカウンセラー、精神科医が専門的な治療を試みるものとされる。

 また、宗教的ケアは、神仏がいて、それを礼拝し、祈ることで神仏との関係性を回復させ、信頼関係を構築し、超自然的な恩恵が流れてくる実感を伴った救済体験をめざすケアである。宗教的ケアの提供者には、宗教的教理や儀式に関する知識と経験を持つ宗教家やその信者が中心となる。

 これに対し、スピリチュアルケアの祈りの対象は一定ではなく、患者個人が最も重要と考えるものに注目して、それとの関係を重視し、患者にとっての生きる力を与えるために、患者自身の生と死に関する観念、理解、解釈を尊重し、それを支えるように努力するケアである。

 そのケアの提供者には、医師(精神科医)、看護師、セラピスト(カウンセラー)、宗教家、ソーシャルワーカー、ボランティアなどがあげられる。ただし、ケア提供者は患者の自己の存在が不安と恐怖に襲われたときの拠り所について、あくまでも患者と一緒に悩み、考えながら、探し求める探求者の役割をとるのが基本的な姿勢となる。また、宗教嫌いな人や無宗教な人に対しても、スピリチュアルな援助をすることは重要と考え、宗教、信仰、価値の多様化に応じたケアという特徴を持っている。

 このように、医療関係者の考えるスピリチュアリティは、病や死の危機に直面した人間の生きる意味と目的に焦点づけられている。逆を言えば、われわれは生命の危機的な状況に直面しないと、スピリチュアリティに関する気づきを持ちにくいともいえる。

 それでは、健常者にとっては、スピリチュアリティは重要な心の次元ではないのだろうか。病や死に直面して喚起されるスピリチュアリティだけではなく、日常生活の平凡な日々の中で感じられる「ささやかなスピリチュアリティ」はないのだろうか。

 病めるときも、健やかなるときにも、より高次の心や<たましい>の成長や発達をもたらすような体験もまたスピリチュアリティの範疇に取り入れて、普段から「生きる力」を高めていくような心の準備状態を形成していくようなアプローチが、現代社会においては重視されるものと筆者は考える。そこに、トランスパーソナル心理学の果たす役割は大きいといえるだろう。

 ここで、トランスパーソナル心理学の分野ではスピリチュアリティを従来の宗教的な組織や制度、教義から切り離した個人の自己超越的な次元に関する体験に根ざした信念や価値観という意味でとらえることが多く、医学よりも超越的で、本質的な個人の主観的体験そのものに焦点を合わせたアプローチに力点が置かれることになる。

 心理学におけるスピリチュアリティ概念は、心理療法とも密接に連関しており、個人が自らの人生の中で遭遇する様々な挫折や困苦に伴って浮上してくる心理的な体験様式と、意識の変容に関わってくる。特に、心理臨床の領域では、個人やそのキーパーソン(近親者など)の生きること、老いること、病むこと、死にゆくことに伴う悩みを解消する「癒し」として、スピリチュアリティに関する体験が重んじられる。

 医学と心理学の両者に共通しているのは、スピリチュアリティが本来宗教的な意識を含むものであることを認めつつも、それを既存の宗教的な組織、信仰、制度などと無関係に取り扱い、こころの内奥に存在する普遍的な精神性、あるいは人間性の本質として理解しようとしていることにある。

 それは1つには、多種多様な文化、民族的な伝統をもつ人類に共通する概念を構築していく必要性が、WHOの健康概念の改訂に向けた一連の取り組みに見られるように、国際社会において認識されつつあることがあげられる。もう1つは、現代社会(特に先進諸国)において、特定の宗教にとらわれずに生活する人々が増えており、そういう人々の間においても生きる力や心の平穏を得ようとする欲求は存在することもあげられるだろう。

 事実、スピリチュアリティという言葉は、時代精神を表すキーワードとして大衆化する傾向にある。しかし、そのことは必ずしもスピリチュアリティを研究している諸分野の研究者の思い入れ通りには、動いていってない。

 葛西(2003)は、一般の日本人はスピリチュアリティあるいは霊性という言葉に対して消極的あるいは抵抗さえ感じており、ヒューマンケア専門職が特定宗教を連想させずに誰でも利用することのできる言葉として、これを定着させようとする熱意、努力に対し、ついていっていないと指摘している。

 葛西はスピリチュアリティという言葉に対する期待や思い入れを一種の宗教現象として洗い出し、思想上の普遍的本質を抽出しようと力むのではなく、研究のための概念としては、それから距離を置いて客観視することが求められると述べている。

 したがって、スピリチュアリティは、研究者の研究のための概念ではなく、市井の人々の日常生活における体験、信念、態度、および価値観の反映された多様な心理的変数であり、それは人々にとって必ずしも自覚され、意識されているとは限らない「潜在因子」であると見なすことが適切であると考えられる。

 筆者は、このような観点に立って、スピリチュアリティの多様性、個人差をとらえるためのデータの洗い直しを試み、まずは定量的な分析としてすでに得ている「自己超越傾向尺度」の改訂を行うことにした。

 その際の、基本姿勢として、データの「集約」を行うことでスピリチュアリティ概念を構築するのではなく、逆にデータを「分解」することを通して、市井の人々の日常的な体験、信念、価値観の背後に潜んでいる要因として、スピリチュアリティを概念化することを目的とする。

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スピリチュアリティと主観的幸福感

 その上で、筆者はさらにスピリチュアリティ概念と主観的幸福感(subjective well-being:SWB)との因果関係についての検討を行う。

 主観的幸福感とは、生活全般の満足感、すなわち個人がみずからの「生」を全体としてどのくらい好ましいものとしてみなしているかに関する槻念と、肯定的な情動が経験される頻度、及び強度によって表される概念である(Argyle,1987;Strack et al.,1991)。

 従来の主観的幸福感の研究は、主に人格心理学及び社会心理学の文脈から検討が行われてきたこともあって、スピリチュアリティとの関連性に関する検討が不十分だといえる。たとえば、Argyle(1987)は、幸福であるということと、不幸でないということは異なるとしたうえで、幸福を単一の次元で測定できるとしている。

 それによれば、幸福は情緒的側面(上機嫌であるという気分)と、認知的、熟慮的側面(人生に対する満足度の報告)の二尺度に大別される。

 さらに、総括的因子として満足度(satisfaction)、幸福を実感した時間の長さなどで測定される意気軒高感(feelings of elation)、そして幸福と負の相関を持つとされる精神的苦悩(psychological distress)の3因子を見出した。その上で、幸福を増進させる方法を以下のように掲げ、幸福の源泉を人間関係、仕事、余暇の3つに求めた。

 

幸福を増進させる方法(Argyle,1987に基づいて作表)

1 肯定的な気分を誘導する
2 人生における肯定的な出来事の頻度を増やす
3 物質的生活状況の改善 
4 他者との交流の改善
5 仕事、レジャーに対する内的満足感の増大
6 物事を違う角度から見る
7 目標設定と自己報酬
8 統合された人格の獲得

 

 

 このように、従来の主観的幸福感研究において重視されてきた側面は、人間が作為的に、否定的なものを徹底的に排除することによって生まれる幸福であり、できるだけたくさん持つこと、すなわち“having”が幸福をもたらすという暗黙の世界観に立脚しているといえる。人は身近な他者との対人関係、仕事、余暇を通じて「生活の質」を高めることができるとArgyleは説く。そこには、スピリチュアリティの介在する余地はないかのようにも見える。

 

 

 


 とはいうものの、生の意味、自己実現など、スピリチュアリティに関連する要素を絡めた研究は存在する。たとえば、Feist & Bodner(1995)は、主観的幸福感を、生の意味、自己受容、環境の支配として定義している。この研究では、幸福感のボトムアップモデルとトップダウンモデルの時系列的分析により、双方のモデルの妥当性が検証された。

 共分散構造方程式モデリング(SEM)により、幸福感のボトムアップモデルでは、幸福感を直接規定する要因として、身体的健康と日常苛立ち事が負の影響を及ぼし、媒介変数として、個人の世界観、及び建設的思考が正の影響を及ぼしていることが見いだされた。

 すなわち、自己を価値あるものと見なし、人や世界から恩恵を受けていると見なし、世界の有意味性を認める人ほど、主観的幸福感は高まる。

 しかし、Feist & Bodner(1995)の研究では、主観的幸福感の指標として生の意味など、本来ならスピリチュアリティに関連づけられる方が妥当と考えられる概念が使用されている。

 領域横断的な視座に立つならば、これを幸福感の概念に組み込むのではなく、スピリチュアルな価値観に含めて分析を行った方が、より有益な知見が得られるものと期待できよう。そこで、筆者は人々の主観的幸福感の規定要因の1つとしてスピリチュアリティを仮定するモデルを設定し、その妥当性を検討する。


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スピリチュアリティの個人差

 第3に、筆者はスピリチュアリティ概念の年齢や性別による差異について検討を行う。すでに見てきたように、WHOの提案しているスピリチュアリティ概念については、これを標準化、普遍化してとらえることが困難であると考えられる。また、スピリチュアリティが個人の意識の成長、こころの発達としての側面をもっていると考えるならば、生活経験の異なる人々の間で異なった構造が見いだされるであろう。

 Erikson(1973)のライフサイクル論に従えば、青年期には自己を超越することはできない。むしろ老年期にこそ自分のアイデンティティの限界を超越し、究極的な個性化を達成する機会が訪れる。このとき、人生の終着点に近づいた人間は「わたしとは、わたしの死後にも生きのびるもののことである。」というアイデンティティの危機に直面するという。

 こうして歴史的に見て唯一の自分の「ライフサイクル」の中で、自らが培った人間的資質を次世代へと継承させていくことに意味を見出すことを通じて、死に伴うアイデンティティの断絶が回避できるかどうかが老年期における発達課題であるとEriksonはいう。

 それが達成された状態を統合性(Integrity)とEriksonは呼ぶ。自分の過去に忠実であり、現在において指導的立場に立つ用意ができており、しかもやがてはその立場を他に譲渡する用意ができている感情的な統合体を意味する概念である。自分の人生とは、ただ一度きりの生活周期と、歴史の一区画との間のまったくの偶然の一致から成り立っているものであるという確信の上に完全性に至るのである。

 この状態が欠如したり、喪失されたとき、嫌悪や絶望が高齢者を襲う。すなわち、別の人生をやり直すには、また完全性にいたる別の道を試すにも、残された時間が短すぎることに対する感情反応である。いってみれば、自らの運命や死を受容できていない心理的に悪い状態(mal-being)でもある。それゆえ、スピリチュアリティの構造にも、こうした人生の発達課題の違いが反映されることが予想できるだろう。

 スピリチュアリティの構造には、性差も存在することが予想できる。中村・井上(2001)によれば、女性のほうが男性よりも死後存続概念、努力的、協同的、多彩的生き方意識を持ち、主観的幸福感が高いという結果を得ている。また、死に関する経験は女性のほうが多いことが示された。この原因の1つに、性役割の問題があると考えられる。これは家庭教育、および社会が女性に求める役割期待がそうさせているものと考えられる。

 歴史的にみれば、女性は娘、妻、母、嫁と家庭内の役割を担ってきた。そこでは女性は生を産み出し、育てあげ、老いていく者の世話をし、死を看取っていく。伝統的に女性は男性よりも人の生死に深く関わってきた存在であり、社会的な関わりについても、看護、保育、教育等、人を「ケアする役割」が中心であった。

 しかし、今の日本ではこうした伝統的な性役割観では急速に進行している高齢化には対応できなくなってきているように思われる。また、ヤングケアラーをめぐる問題が取り上げられるようになって、子どもが家族のケアをしなければならないような状況を改善する必要性もある。

 Mayeroff(1971)によれば、人をケアすることは、相手が成長するのを援助するだけでなく、ケアをすることを通じて、世界の中に自分の居場所を得ることができ、人生の意味を生きることができるという。ケアするという営みは、人間の本質的な活動様式、存在様式であり、人生におけるさまざまな価値と活動はケアを中心として秩序づけられるのである。

 また、Noddings(1984)は、ケアは人間にとって基本的な欲求であるとした。ケアという営みを通して、人と人のつながりを確認し合い、そうした相互的関係が人間にとって深い喜びの源泉となると指摘する。

 さらに、Miller(1994)は、ケアによってもたらされた「つながり」を「いのち」の次元まで深めることが、この世界に存在するもの全てが互いに関連し合って存在するという「全体性」という概念をもたらすことになるという。

 ケアとは、Erikson(1964)が成人期の人に求めた基本的な強さでもある。そのなかで、人は他者から必要とされることを必要とする(need to be needed)存在であることを理解するという。

 それゆえ、ケアという営みは、自己の存在が決して単独ではなく、他者と重なり合いながら成立しているということを気づかせてくれる。このように考えるならば、人間関係要因を通じてスピリチュアルな成長を果たすプロセスというものを想定することができる。そこに、ジェンダーが反映されるのかどうかを探索的に検討してみる価値はあるといえるだろう。
 

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スピリチュアリティ測定尺度の再分析

 中村(1998)は、Maslow(1969)の超越的自己実現者に関する記述、及び水島(1985)の高次の人間性を示唆する自己超越体験に関する記述に基づいて、24項目からなる自己超越傾向尺度(STS-1)を作成した。

 ついで、18歳から84歳までの学生及び社会人計613名を対象にSTS-1を含む質問紙を実施した。

 回答者の内訳は(1)教養教育科目の心理学を受講している大学生308名(男性122名、女性186名)、(2)看護学校生47名(女性47名)、(3)生涯学習セミナー受講者145名(男性80名、女性65名)、(4)銀行員39名(男性19名、女性20名)、(5)有職女性向けセミナー参加者74名(女性74名)である。

 なお、STS -1の反応形式は5件法(あてはまらない=1点、あてはまる=5点)とした。質問紙には性、年齢、職業の有無などの個人属性 をたずねるフェース・ シート、ならびに3項目からなる主観的幸福感尺度(5件法;人生満足感、物質的生活満足感、精神的生活満足感)も含まれていた。この質問紙調査は1995年1月から1995年11月にかけて実施された。今回の再分析では、このデータを用いた。

分析の指針

 中村(1998)では、自己超越傾向が単一次元的な現象であると仮定した上で分析を行った。すなわち、24項目からなるSTS-1を対象として主成分分析を行い、未回転の第1主成分に対する負荷量の大きさをみるという手続きを採用した。しかし、今回は尺度項目の情報を集約する主成分分析ではなく、むしろ尺度項目によって測定された得点を分解して、その背後に潜在する因子を見いだすことを目的として、主因子法による因子分析を実行した。使用した統計解析プログラムはSPSS for Windows 10.07Jである。

 因子抽出の手順は、固有値1.0以上の因子を抽出し、因子間に相関があるとの前提のもとで、因子軸の回転にはプロマックス回転を用いた。その結果、7つの因子が抽出され、その累積寄与率は56.155%であった。各因子に0.40以上の因子負荷量を与えている項目に基づいて、因子の命名をした。7つの因子に高い負荷量を与えている尺度項目の総称を「スピリチュアリティ測定尺度」として確定した。また、各因子を反映している下位尺度の内的整合性を検討するためにCronbachのα係数を算出した。

 

確定したスピリチュアリティ測定尺度

第1因子⇒生の意味と目的


・いま、ここでの瞬間が大切なひとときだと感じる。 
・一日一日を一生懸命になって生きているという実感がある。 
・自分がこの世に生まれてきたことには、大きな意味があると実感できる。 
・自分の喜びや苦しみを多くの人々と一緒に分かち合いたいと思う。 
・人類全体の進歩と幸福のために、自分でできることをやってみたい。 
・どんな相手でもわけへだてなく受け入れることができる。 

 

第2因子⇒霊性の自覚
 

・自分の心の中には人間を超えた「神」のような存在が宿っていると思う。 
・自分はなにか大きな見えない力によって「生かされている」という実感がある。


第3因子⇒命の永続性
 

・自分のいのちは、姿形を変えて永遠に存在すると思う。 
・自分が死んでも、自然の一部になって生き続けることができると思う。 

 

第4因子⇒自然との一体感
 

・身の回りの自然と自分が心を通わせたと感じた経験がある。 
・草花を見ているうちに、大きな安らぎや充実感を覚えたことがある。 


第5因子⇒無償の愛
 

・自分には、一心同体だと感じられる相手がいる。 
・自分を犠牲にしてでも、その人のために尽くしたいと思ったことがある。 
・自分を愛するのと同じように人を愛することができる。  

 

第6因子⇒個人性
 

・自分は自分、他人は他人とはっきり区別して考える方だ。 
・あまり現実離れしたことは考えない方だ。
・人は自分が一番かわいいものだから、他人に献身するなんてきれい事だと思う。


第7因子⇒自我固執
 

・自分は欲やこだわりを捨てて生きることなどできないと思う。
*言葉に言い表せない感動に突然襲われて身震いしたような経験がある。


*印のついた項目は逆転項目

 

  

 因子分析の結果は、スピリチュアリティを構成する要素に7つの因子が存在することを示しており、そのうち「個人性」と「自我固執」に関する因子は、スピリチュアリティとは逆の側面を表しているものと解釈できる。

 スピリチュアリティには、多元性があることが確認された。これらの因子をWHOの提案するスピリチュアリティの4つの領域と対応づけるならば、その多くは第3領域の「超越性」に集まっており、第1領域の「人間関係」との対応もあるといえる。

 逆に、日本において重要度の低い下位項目の集まっている第2領域「生きていく上での規範」、第4領域「特定な宗教を持つこと」には対応性が弱く、現代の日本人が重んじている要素をおおむね反映した内容から構成されているものと考えられる。

 

(3)に続く

 

びゃっこ 拝

 

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