皆さま

 

出雲大社や出雲地方の古代人の祭祀心理については、過去に幾度か触れています。

 

日本の古代祭祀を知る上で、出雲ほど重要なところはありません。

 

今回は、これまでに出雲大社で行ったサイコメトリーの結果にもとづいて、古代の出雲人がどのような霊性意識を持っていたのかについて知り得たことをまとめました。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

出雲大社

所在地:島根県出雲市大社町杵築東195

主祭神:大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)

 


由緒

 

出雲大社は日本の古代神話と深く関わり、その主祭神である大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、多くの人々から「だいこくさま」として親しまれています。その歴史と信仰にまつわる主な特徴を以下にまとめます。

1. 大国主大神


大国主大神は「天の下造らしし大神」とも呼ばれ、遠い祖先と喜びや悲しみを分かち合いながら国土を開拓し、村づくり、農耕、漁業を推進しました。さらに、殖産の法を教え、人々の生活基盤を整える神として知られています。また、医薬の道にも関連があり、人々の病苦を救う慈愛に満ちた存在です。大国主大神は、救いの親神であり、全てのものが自然の状態で守られるように見守る親神でもあります 。

2. 「結びの神」としての性格


「だいこくさま」は「縁結びの神」としても広く知られています。この「縁結び」は、単なる男女の仲を結ぶだけでなく、人間の成長や社会の発展、幸福を願うものであり、人々のつながりを促進する神です。そのため、「福の神」として信仰され、愛情を惜しみなく注いでくださる神として尊敬されています 。

3. 「幽冥主宰大神」としての性格


大国主大神は、「幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)」とも称され、神の世界である「幽冥(かくりよ)」を治める神でもあります。この幽冥は、人々の亡き後の霊魂が帰る世界であり、目に見えない領域を管理する神です 。

4. 国譲りのエピソード


『日本書紀』によれば、大国主大神は国づくりの大業が成し遂げられた後、「豊葦原の瑞穂国」を天照大御神に譲りました。この国譲りの行為に天照大御神は感激し、大国主大神のために天日隅宮(あめのひすみのみや)を建立し、第二子である天穂日命を仕えさせました。この天日隅宮が現在の出雲大社であり、天穂日命の子孫は代々「出雲国造(いずものくにのみやつこ)」として出雲大社宮司を務めています。


2001年11月以来、私たちは何度も神話の国,出雲へ巡礼の旅に何度も赴いています。その理由は、仕事上の目的が主ですが、もう一つ、古代の出雲地方におけるシャーマニズムについて興味があったからです。

 

古代の出雲ではどのようなカミをどのように崇拝していたのかといった、祭祀心理、宗教心理的な観点から現地に行って確かめてみたかったのです。


四国松山から車で高速道路を乗り継ぎながら約5時間。出雲大社の高くそびえ立つ神殿が見えてきます。

 

出雲大社拝殿入り口の巨大なしめ縄。このしめ縄は古来より蛇神の象徴であった。

 

いわゆる大社造りの高い建造物は、出雲地方の神社の特徴ですが、出雲人が高さにこだわったのは、弥生時代からの高層神殿に通じるものがあります。

 

現在の本殿は高さ約24メ-トル,平安時代には48メートル,それ以前は96メートルもあったといわれています。 


参拝を済ませた後、境内で、古代出雲の人々の祭祀心理について霊地サイコメトリーを行いました。

 

サイコメトリーのターゲットにしたのは、弥生時代の祭祀についてです。

 

すると、古代出雲人の暮らし方、祭祀の様子に関するビジョンが次々と現れてきました。

 

古代出雲の弥生時代における祭祀心理


1.自然と調和する儀式


古代の出雲人は、自然と密接に関わり合いながら生きていた。族長やシャーマンが中心となり、生命を育む土地を選び、農業の成否を占う天候の予測、自然との交信、病気の治癒、精霊や神の鎮めや奮い立たせる儀礼などを行っていた。

 

現代人と異なる感覚で自然や宇宙を捉え、超感覚的知覚を持っていたと考えられる。こうした感覚を駆使して、生活に必要な事柄を神に委ね、自然の力を尊重していた。



2.高層神殿と太陽信仰


約2000年前、弥生時代の出雲人は天上に神の座があると信じ、すでに高層神殿を建てていた。

 

神殿に登ることで下界を豆粒のように見下ろし、神官は自らが神のように感じ、天と交信しようとした。

 

特に太陽の光は神聖視され、神殿が太陽の光を浴びて熱せられることが神のエネルギーを受け取る儀礼的意味を持っていた。神官たちは太陽光を浴びることでトランス状態に入り、神託を伝えた。

 

雷や地震などの自然現象も神の働きと捉え、銅鐸を使って神の力に張り合い、祭りでは歌や踊り、酒で神を喜ばせた。こうして、自然を神と感じつつともに生きていたのである。



3.冬至の太陽儀礼


冬至には、太陽神の復活を祈り、太陽の光を浴びてエネルギーを得ることが重要な儀礼だった。

 

太陽の恵みは農耕にも直接関わるため、死活問題として真剣に祈りを捧げていた。神殿には神官や首長のみが登ることを許され、冬場の太陽光が弱まる時期には特に心細く、太陽神への祈りが盛んに行われた。



4.青銅器の神聖視
 

銅鏡や銅鐸、銅剣などの青銅器は、反射する光が神聖視され、太陽神の象徴とされた。

 

光輝く青銅器は神のパワーを宿すものと信じられ、人間が造り出したこれらのものを見せることで、神に対抗できる力があることを示そうとした。

 

また、「火」も太陽=「日」を象徴するものとして崇められ、「火」は祭祀で重要な役割を果たした。



5.血なまぐさい儀礼
 

高層神殿を建設する際には、山を削り生木を柱として利用し、安定した神殿を建てるために生け贄の儀礼を行った。

 

神殿の完成を祈願して人柱を立て、倒壊するたびに生け贄の数を増やして神の加護を求めた。このように、神殿建設に全力を注ぎ、犠牲を厭わない姿勢が見られた。

 

6.ブレーン集団と渡来人の影響
 

王権のブレーン集団は、土木技術や医薬技術だけでなく、サイキックな技術にも精通しており、海外から渡来人を呼んできて、宗教や技術の指導を受けていた。

 

杵築地区は戦略的にも重要な拠点で、豊富な食料や貿易に適した立地条件を持っていたため、地政学的に価値が高かった。

 

7.土地争いと神の威嚇


出雲の地は多くの部族にとって魅力的な土地であり、土地争いが頻繁に起こった。

 

外敵の侵入に対しては、銅鐸を使って神の声を響かせ、恐怖心を煽ることで威嚇した。

 

神殿は海の近くに建てられ、その威容は遠くからも目立ち、侵略者に対して心理的な威圧効果もあった。



8.「高さ」の効果と銅鐸の役割


高層神殿を建てたのは、見る者に畏怖の念を起こし、服従を促すためだった。

 

銅鐸を鳴らし、警鐘として外敵の襲来に備えた。神殿は心理的陽動作戦として、敵に戦意喪失をもたらす役割を果たした。高いところ、見上げる場所は神の降り立つ座として認識されていたので、それだけで下にいた者は萎縮した。


現在の出雲大社の社殿。その後方に見える山が八雲山で、霊地サイコメトリーによれば、高さ96メートルの古代神殿は、この山の山頂に建っていたことになる。


平安時代の「雲太」と呼ばれた高層神殿の模型。高さは48メートルだった。右手に見えるのが鎌倉時代の神殿模型。大社造りの建築様式を守っているが、ずいぶんと小振りになっている。それでもなお、高さにこだわっている様子がうかがえる。


9.生け贄と心理戦


神殿には人間の生け贄が捧げられ、生まれたばかりの赤ん坊までが供えられた。生け贄は共同体の存続のために捧げられる「神の使い」とされ、命の新しさが神聖視された。

 

こうした生け贄の儀礼は、国内外の人々に恐怖心を与え、士気を低下させるための心理戦の一環として行われていた。


霊地サイコメトリーによるビジョンから浮かび上がった古代出雲の祭祀心理は、自然との共生と畏怖、太陽信仰、青銅器の神聖視、生け贄の儀礼、土地争いに伴う心理戦など、多様な要素が複雑に絡み合っていました。

 

神との一体感や、外敵への威圧、共同体の存続を願う強い思いが、当時の出雲人の心を支え、神殿建設や祭祀の中核をなしていたのです。

 

なお、ここにまとめたサイコメトリーの結果は、何度も出雲に向かったときに確認を行いました。得られた結果はほとんど同じでした。

 

最後に、出雲大社の意識場について言及して締めくくります。出雲大社境内にも強烈な意識場が形成されていることが分かりますが、大社の近くに「国譲り神話」の舞台となった稲佐浜があります。

稲佐浜の弁天島には龍蛇神が祀られています。ここが出雲大社の真の霊地で、龍蛇神様から力強いエネルギーを感じることができます。

 

出雲大社の本体ともいえる弁天島。重要な祭祀はここで行われる。ここが最強の神霊エネルギー・スポットでもある。


 

出雲では、旧暦の10月10日の夜7時、稲佐浜において神迎祭が行われます。これは神在月(旧暦10月)に全国各地より参集される神々さまをお迎えするための神事です。

龍蛇神様が先導されながら、日本中の神さまが海の向こうから出雲にご参集になります。

やほよろづの神々さまは龍蛇神様の先導によって出雲大社の東西にある十九社の御旅社に向かわれるのです。その意味で、出雲大社は全国の神さまの集われる特別な場所です。

このように出雲大社を参拝するだけでも、実に多くの歴史的な出来事が積み重なっている様子が分かるでしょう。

スピリチュアルな感受性の強い人が、この場所に行けば、独特の重く強い「気」をはっきりと感じることができるはずです。


参考文献

(1)別冊歴史読本71 「検証 古代日本 幻の王国」新人物往来社,2001年
(2)池田満雄・東森市良 「出雲の国」 学生社,1973年
(3)寺澤 薫 2000 「日本の歴史02 王権誕生」 講談社,2000年
(4)和久利 康一  「よみがえる古代出雲王国」 新泉社,1998年

 


宍道湖から西へ傾く日を眺める

 

 

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