皆さま

 

関係筋から情報が入りましたので、久しぶりにお話しいたします。

 

このシリーズを初めてご覧の方には突飛な話と思われるかもしれませんが、そこは連載の最初から読み返していただければ、筋書きは読めるはずです。

 

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

まず、繰り返しになりますが、陰陽師とは天文学や暦学に精通した今で言う自然科学系の専門家です。

 

中国では、天文と暦を重視したわけですが、日本の場合は呪禁道と陰陽道を1つの組織にしてしまったこともあって、呪術系を重視した構成になっていたことは事実です。

 

なので、陰陽道の呪術的要素を追求したいなら、呪禁について調べた方が早道です。

 

どこかの研究者の論文に「中国の陰陽道」という記述が出ていたのですが、中国には陰陽道はありません。宗教学とかとは別の専門の研究者ですが、論文に書くのなら、そういう記述が適切かどうか、下調べくらいしておかないと赤っ恥をかくだけです。

 


予備知識(公式見解)
 

陰陽道(おんみょうどう)は、日本の独自の宗教的・思想的体系で、陰陽五行思想を基盤にしています。陰陽五行思想自体は古代中国に起源を持ち、陰陽道も中国からの影響を強く受けていますが、日本独自の発展を遂げています。以下に、その関連性について詳しく説明します。

1. 陰陽五行思想の起源
 

陰陽思想と五行思想は、古代中国の哲学的体系であり、以下のような内容です。

・陰陽思想……陰と陽の二つの対立する原理が宇宙のあらゆる現象を説明する基本的な概念とされます。陰と陽は対立しつつも互いに補完しあい、ダイナミックなバランスを保つことで、宇宙が調和します。

・五行思想……木、火、土、金、水の五つの要素(五行)が、万物の生成変化の原理を示します。五行は互いに生じ、克する(相生・相克)関係があり、循環することで世界の変化が説明されます。

2. 陰陽道の成立と発展
 

日本での陰陽道の形成は、奈良時代から平安時代にかけて中国からの影響を受けて始まりましたが、日本独自の文化や信仰とも融合して発展しました。

・初期の陰陽道……奈良時代(8世紀)に遣唐使によって中国の陰陽五行思想や占星術、風水などが日本に伝えられました。朝廷の儀式や祭祀においてこれらの知識が活用されました。

・平安時代の発展……平安時代(9〜12世紀)には、陰陽師(おんみょうじ)と呼ばれる専門家が朝廷で活躍し、天文、暦、方位、占いなどを行いました。この時期に、陰陽道は日本の信仰体系や儀式と深く結びつき、独自の発展を遂げました。

・土御門家(安倍氏)の影響力……平安時代以降になると、陰陽道は「土御門家(つちみかどけ)」など特定の家系に引き継がれ、独占的に伝承されるようになります。これにより、陰陽道は一族による世襲制を取り、江戸時代まで続く強固な基盤を築きました。

3. 陰陽道と日本の宗教・文化の融合
 

陰陽道は中国からの思想を基にしながらも、日本の固有の宗教や文化と融合していきました。

・神道との融合……陰陽道の祭祀や儀式は神道の神事とも結びつきました。特に、神道の神々に対する供物の配置や祭りの方位に関する儀礼に、陰陽道の知識が応用されました。

・仏教との関係……仏教が日本に広まると、陰陽道と仏教の教義や儀式が融合し、仏教儀式の一部として陰陽道の要素が取り入れられることもありました。特に、平安時代の貴族たちは陰陽道と仏教の両方を信奉し、厄払いなどの儀式に陰陽師を用いることがありました。

・風水との融合……中国の風水思想も陰陽道の中に取り入れられ、日本独自の風水観が形成されました。建築や都市計画において、陰陽道の方位に関する知識が活用されました。

4. 陰陽道の実践と日常生活への影響


陰陽道は占い、病気の治療、吉凶の判断、祭祀の際の適切な時期や場所の選定など、日常生活にも深く関与していました。

・占星術……陰陽道では、天体の運行や星の配置をもとに、未来を予測する占星術が行われました。これは、暦作成や農業のスケジュール、政治的な決定にも影響を与えました。

・厄払いと祭祀……厄年や方位などに基づいて、厄払いの儀式が行われました。特定の災厄を避けるための儀式や祭祀も陰陽道の知識を用いて実施されました。

と、これが日本の陰陽道の簡単なまとめ、予備知識となります。

 

公式には明治以降、陰陽師も陰陽道も存在しません。

 

 

四国陰陽道のケース

 

巫師の巡礼記にも取り上げた高知県香美市の小松神社は、かつて四国陰陽道=「いざなぎ流」の拠点としてその名を知られていたところです。

 

小松神社

 

市町村合併の前は物部村であり、土佐物部氏の勢力圏の一部でした。

 

江戸時代には陰陽道宗家=土御門家ともつながりがあって、地方の陰陽道として認められていたことは事実です。

 

四方の精霊に向けた祭壇

 

元々、「いざなぎ流」は源平の時代に陰陽道としてリニューアルされたものです。

 

中央の陰陽道は皇室や貴族を対象とした祭祀を手がけていたわけですが、鎌倉時代になって武士の世の中になり、そのころから陰陽師の世界にも変化が生じました。

 

中央の陰陽師は引き続き朝廷に仕えていました。特に、天皇や貴族たちのために暦の編纂、吉凶の占い、厄除けの儀式を行いました。鎌倉幕府の成立後も、鎌倉幕府において重要な行事や儀式において陰陽師の知識が用いられました。

室町時代になると、陰陽道は平安時代から続く宮廷儀式だけでなく、武家の社会にも浸透しました。戦国大名たちは陰陽師を招聘し、戦闘の吉凶占いや戦術に陰陽道の知識を応用しました。戦国時代には、戦国大名が戦争や城の建設に際して吉凶を占わせたり、地形の風水を調査させたりしました。

この時期は陰陽道と仏教、神道の融合が進み、寺社でも陰陽道の儀式が行われました。特に民間信仰において、陰陽道の呪術や祈祷が浸透しました。

 


ご神木の祠

戦国大名たちは、戦の際に軍師陰陽師の助言を求めることが一般的でした。地の利を生かすための風水や、出陣の日取りを決めるための占いなどに陰陽道の知識が活用されました。

また、災害や疫病が頻発したため、民間では陰陽道の呪術や祈祷が一層重要視されました。村や町でも陰陽師が活躍し、一般庶民の生活に密着した信仰として広まっていきました。

 


物部の風景

こうした流れの変化によって、四国陰陽道の果たした役割も変わっていったのです。

 

いざなぎ流は土佐地方に根付き、地域社会に広がっていきました。地方領主や有力者に支持され、地域の政治や軍事にも関与するようになりました。

 

戦国時代の混乱期において、領主たちは戦略的な決断をする際にいざなぎ流の占いや風水を用いました。戦闘の際には出陣祈祷や敵の動向を占う儀式が行われました。

 

いざなぎ流の儀式や祈祷は、江戸時代にかけてさらに民間信仰としての性格を強め、地域の風習として定着しました。地域の祭礼や年中行事に深く関与し、現在に至るまでその伝統が続いています。

 

とはいうものの、実質的にいざなぎ流にも後継者問題があって、昔からの祭祀を受け継いでいる人も少なくなり、今では形式的な祭祀だけが残されているにとどまっています。

 

このような地方の民間陰陽道は他にもありましたが、公からは姿を消しています。

 

 

陰陽五行説に基づく秘密結社

 

陰陽五行説は、陰陽道の基盤をなす理論であり、中国から伝来して日本に深く根付いていました。陰陽五行説に基づく信仰や思想は、秘密結社の形成にも影響を与えたと考えられています。

 

陰陽五行説に基づく秘密結社が存在し、社会の裏で政治的な陰謀や策略を練っていたとの伝承があります。これらの結社は、陰陽道の知識を利用して特定の目的を達成しようとしていたとされています。

 

では、陰陽五行説に基づく秘密結社とは、どのようなものだったのでしょうか。

 

陰陽五行説に基づく秘密結社の詳細については、歴史的な証拠が乏しく、多くは伝承や仮説に基づくものです。

 

しかし、これらの結社や団体は、陰陽五行説の理論や信仰を活用して活動したとされており、日本や中国の歴史や民間伝承の中でその痕跡を見つけることができます。

 

以下に、陰陽五行説に基づく秘密結社に関する概要をまとめます。
 

1. 教的・儀式的な活動
 

結社は陰陽五行説の理論に基づく儀式を行い、運命や自然の力を操ることを目指しました。これらの儀式は、五行の要素に対応する特定の日や時間に行われ、祭壇や呪具を用いて自然界のエネルギーを調整しようとするものでした。

  • 例……水のエネルギーを増強して雨乞いを行う、火のエネルギーを利用して悪霊を追い払うなど。

2. 治的・社会的な影響力
 

結社は秘密裏に政治的な影響力を行使し、権力者に助言や占いの結果を提供しました。彼らは、国家や地域の運営に関する決定を陰陽五行の理論に基づいて支援し、特定の勢力に有利になるよう働きかけたとされます。

  • 例……藤原家が陰陽師の助言を受けて権力を維持したように、結社は同様の助言を行い、陰謀や策略をサポートした可能性があります。

3. 密の知識と技術の伝承
 

結社は、陰陽五行の知識や技術を秘密裏に伝承し、後継者に教えました。この伝承は、口伝や特別な書物によって行われ、外部には漏れないよう厳重に管理されました。

  • 例……五行の調整による病気の治療法、災害予知の方法など。

4. 地下活動と抵抗運動
 

地下に潜伏した結社は、隠密に活動を続け、時には権力に対する抵抗運動を行いました。これには、民衆を扇動して反乱を起こしたり、秘密裏に結社の理念を広めたりすることが含まれます。

  • 例……武士や農民に対する教義の広報活動、反乱の計画など。

 

結社の活動目的

 

陰陽五行説に基づく秘密結社がどのような目的で活動してきたか、そして誰を守るために存在してきたのかについては、歴史的背景や伝承に基づく多くの要素があります。

 

これらの結社は、時代ごとに異なる目的や役割を果たしてきたとされています。また、現代における存在についても興味深い議論があります。
 

1. 力者や政治勢力の守護
 

古代から中世にかけて、陰陽師は天皇や貴族、政治的な権力者に仕え、その知識と技術を提供していました。陰陽五行説に基づく結社も同様に、特定の権力者や政治勢力を守護し、支援するために活動していたと考えられます。

  • 政治的安定……陰陽五行説を用いて天候の予測、農作物の収穫、国家の安定を図る。
  • 災厄回避……天変地異や疫病などの災厄を予測・回避するための儀式や呪術を行う。
  • 権力維持……占いや呪術を通じて権力者に有利な判断を提供し、政治的な地位を維持させる。
  • 助言と占術……政治的決断に対する助言、吉日選定、天文観測による未来予測。
     
  • 儀式と呪術……国家や領地の平安を祈る儀式、悪霊払いのための呪術。

 

2. 特定の地域やコミュニティの守護
 

一部の結社は、特定の地域やコミュニティを守護するために活動しました。これは、地域の伝統的な信仰や陰陽五行説に基づく信仰に根ざしています。

  • 地域の平安……地域社会の安全と繁栄を確保する。
     
  • 自然との調和……自然災害から地域を守り、豊作や平和な生活を維持するための調和を保つ。
  • 地域儀式……地域ごとの祭りや行事で五行の力を活用する儀式を行う。
     
  • 自然調整……水の供給や火災予防、病気の予防など、五行の力を利用した調整活動。

3. 護者としての役割
 

陰陽五行説に基づく結社は、天体の動きや自然の力を理解し、それを制御する技術を持っていました。この技術を用いて、社会や国家、地域を守護する役割を担っていたとされます。

  • 秘伝の保護……陰陽五行に関する秘伝や知識を守り、外部に漏らさず伝承する。
     
  • 文化の保存……伝統的な知識や技術、信仰を後世に伝える。
  • 知識の管理……陰陽五行に関する書物や記録の保管、伝承者の育成。
     
  • 教育と伝承……新たなメンバーへの教育、技術の伝承。

 

こういう形で、今も活動を続けているのです。

 

まとめ

 

当然のことですが、こうした活動は秘匿されています。

 

欺瞞工作として最近では陰陽師を名乗る人物やスピリチュアル系のセミナー講師で陰陽道系の宣伝活動をしている人物など、何となく静かに浸透を試みようとする動きがあります。

 

マスメディアにも仕掛け人がいて、陰陽道や陰陽師が注目を浴びるような番組作りをしたり、映画などを通じて関心を集めることで貢献している面もあります。

 

これは虚実を織り交ぜることで、実際の姿を分からないようにする工作の一環としてみなせば分かりやすいと思います。

 

元々、陰陽師には諜報活動を専門にしている者もいますので、情報の攪乱などは得意分野です。隠蔽、欺瞞工作なども手がけています。

 

 

一般の人に分かりにくいことは、表向きは神社や寺院であっても、裏の組織があって結社の活動資金を調達するために多くの観光客を呼び込む戦略に転換しているところがあることです。

 

有名な社寺の中にも表の神官、僧侶がいて、実は裏に別の神官、僧侶を置いているところがあります。関係者以外は出入り禁止で、秘術、秘法を教えています。

 

どこだとは言えません。

 

公式には陰陽道自体は存在しないので、神社や寺院の形で存続しているわけです。

 

 

裏陰陽師と当ブログで便宜上呼んでいる人々が結社を作っています。

 

いつごろから、このような結社ができたのかというと、非常に古いです。

 

少なくとも、ヤマト国(邪馬台国)が存在した時期には部族単位ではじまり、ヤマト国が大和王権になり、大王が天皇と呼ばれるようになった頃には、さらに組織的なものができていきました。天武天皇の時代、日本は陰陽国家としての形を整えていたと言えます。

 

日本は、本質的には呪術的な性質を持った国なのです。

 

ヤマト国の時代のことについては、アメリカの遠隔透視能力者による結果も参考になります。マクモニーグルの邪馬台国ネタを先に取り上げたのは、この記事の伏線として使いたかったからです。

 

一つはっきりと言えることは、結社にも派閥があって、しばしば抗争を繰り返してきたことです。それは、彼らの出自の違いによって敵対してきた歴史があるからです。2000年来の宿敵同士の争いです。

 

組織のコアには、サイキックな能力を持っている者がいますので、抗争の時には呪詛呪術も行使します。一般の人が巻き込まれることはほとんどないでしょうが、あまり深入りすると危ない目に遭う可能性はあります。

 

そうした派閥間の対立構造は今も続いています。

 

(新情報が入れば続く)

 

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