皆さま
かつて四国陰陽道の拠点と言われた神社があります。
今では過疎高齢化によって、居住者も少ない山村ですが、江戸時代には陰陽道宗家、土御門家から「地方の民間陰陽道」として認められていた歴史もあります。
ですが、今ではその面影をとどめるものはほとんど残っていません。
よろしくお付き合いくださいませ。
小松神社
所在地:高知県香美市物部町別役245
祭神:不詳。小松氏の祖霊神、秦の功満王という説もある。
高知自動車道の南国インターから、さらに国道195号線沿いに走って途中から狭い道路に入り、1時間くらいの所に小松神社はあります。
このあたりの歴史は古く、弥生時代前期からの渡来人で軍事や祭祀を司っていた物部氏とのつながりもある地域です。
四国では昔、巫師全般のことを「太夫」と呼んでいましたが、その中には陰陽道の系列に入る民俗信仰である、いざなぎ流の太夫も含まれていました。
太夫というと、いざなぎ流の太夫をさすくらい地元ではよく知られた存在だったのです。
いざなぎ流は、陰陽道の傍流と言われていますが、神道や密教、修験道の影響も受けていて、それらがミックスされた状態で形成された民俗宗教です。
その特徴は式王子という一種の眷属(式神;式鬼;識神とも書く)を使った方術を行なうところにあります。
いざなぎ流の太夫の血統は、はるか昔四国の地に移住してきた大陸からの渡来人でした。
彼らは道教の陰陽五行思想に基づいた神占を行い、中国伝来の呪術に長けたシャーマンの一族でした。
その祖先は秦の始皇帝の家系につながっていると言います。このため、彼ら太夫の先祖は、早い時期に日本へ移住してきた秦氏だったともいわれています。
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ここで補足しておくと、呪術とは大自然の中にあまねく存在している眼には見えないパワーを、呪文(言霊、真言など)や呪具を用いて自然から取り出し、集め、神霊や精霊と一体化することによってそのパワーをコントロールする技術のことです。
これを専門技能として扱うのが巫師(シャーマン)です。
大昔、私たち人間が自然の脅威にさらされて細々と生活していた頃、巫師は共同体の中で知恵者であり、リーダーの役割を持っていました。
自然の働きはカミの力の顕れであり、巫師はカミと人を仲介して自然秩序の調節、個人や共同体の運命の予見を行っていました。
天変地異、飢饉、病、事故、死……。
どうして人間は不幸や不条理に見まわれるのか。
その原因を探り、生存に関わる問題を解決しようと試みるのが巫師の仕事だったのです。
この世の悲しみ、悩み、悪や魔の力に屈することなく、否定的な出来事を消し去る能力をもつ人間が部族共同体には必要でした。
生まれつき備わった予知、透視、テレパシーのような特異な能力、トランス状態に入ることで神霊や精霊と一体化し、その意思を受け取る能力……。
巫師はそのような能力を維持するために日夜修行を行っていました。
やがて、彼らは共同体の中で特別な地位を得るようになり、中には長としてムラやクニを治める者も出てきました。
邪馬台国の女王卑弥呼もその1人です。
古代日本はシャーマニズムと切っても切れない関係にあるのです。
シャーマニズムとは神と人間との間を呪術師、あるいは巫覡(ふげき)が司り、宗教的儀礼を行うことによって神がかり(トランス)となり、神の託宣を告げる呪術的儀礼を意味する概念です。
巫覡という語は古代中国で活躍した呪術師をさす言葉であり、殷や周の王権に仕えた「巫師」以来、秦/漢の時代にも盛んだったようです。
巫師は神と人間の宗教的仲介者として独立したものというよりは、「神の意識場」にアクセスして、これと一体化(憑依)することのできる特殊な血統および特性を持った人間のことをさします。
中国では、巫師は交戦に際してその呪能を強めるために媚飾を施し、邪霊を祓うために邪眼を用い、軍の先頭に立って敵に呪詛を掛け合うという役割を担っていました。
また、部族同士の勢力抗争や宮廷内紛、政敵呪詛、妻妾間紛争に巫師の呪術はしばしば用いられました。
日本では平安時代に藤原氏を中心とする宮廷内紛において呪術戦が行われたことは有名です。
当時の呪術の「呪」とは「言霊」による呪詛のことで、「術」とは「動物霊」を用いる技術だという説もあります。
ロシア出身の神秘思想家マダム・ブラバツキーの創始した神智学では、人間の想念体(熱情,情動,願望から構成されている二重身)をアストラル体と呼びます。
人の想念はエネルギーを持っており、物理的身体を超えて広がる性質を持っていると考えます。
また、情動、願望から構成された世界のことをアストラル界といい、人はその物理的肉体の死後、この世界に入ると考えられています。
アストラル界には、人間の姿をしたものもいれば、非人間的な存在もいます。
天使、精霊、オニ、妖精などがそれです。
人のイメージは一種の想いの固まりです。だから、一心に念を込めてそれを練り込んでいけば、やがて独立した意思と運動力をもった<生き物>として活動しはじめるのです。
古今東西の巫師はその性質を熟知していました。
陰陽師が使役したとされる式王子も、神智学風にいえば一種のアストラル生物です。
人間の想像力と感情,念が合体して創造されるものであり,古代の巫覡(ふげき)はこれを使役霊として駆使していたのです。
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昔の四国には集落ごとに様々な宗教的背景を持った巫師がいて、病気治しや人生相談、先祖供養などの儀礼を行なっていました。
四国では太夫(たゆう)というと、人々はたいそう忌み嫌いました。それにはいくつか理由があります。
まず、太夫は人の病気を治すだけでなく、懲らしめるための呪詛(すそ)も行なっていたとの噂が絶えませんでした。
いざなぎ流が最強の呪術と言われたのは、古代の祭司氏族である物部氏の時代からの神祇信仰に加えて、中国大陸から入ってきた道教系呪術、蟲道(こどう)の影響も、ほぼ原型をとどめる形で残っていたからです。
式王子を召喚し、これを駆使するのは、脈々と流れる血と身体で覚えているものです。
もう一つは、四国には憑きもの信仰が根強く残っていて、「巫師は犬神筋、蛇筋」だとされて、差別の対象になっていたということもあります。
差別から逃れるために、他の地域に移り住んだ人々もいたくらい、厳しい現実があったのです。
ちなみに、安倍晴明は宮廷陰陽師として活躍した人物ですが、四国にも子孫も残しており、その系列が四国陰陽道になったといいます。真偽のほどは定かではありません。
さて、私たちは物部の太夫の拠点である小松神社をめざしました。小松神社では、今でもここでいざなぎ流のお祭りが行なわれています。
いざなぎ流の本拠地、小松神社
サイコメトリー
物部の神社には、必ず聖域があって、そこで太夫が祈祷を行っている。
いざなぎ流の祈祷は、四方八方の山から精霊を呼び、山の精霊の力をいただいて神通力を発揮するもの。
特に、小松神社の聖域にはとても強い霊的なエネルギーが集まっている。
小松神社では、四方に独特の語弊の付いた祭祀場があって、いろんな種類の式神を呼び寄せる儀式が行われています。
聖域の四方に設けられた祭壇
四神相応という概念が中国にはありますが、その四神(玄武、白虎、青龍、朱雀)さえも、その方角からやってくる邪気、邪念、魔から護り、逆に四神を使役して呪術を行うといいます。
四神さえも太夫にとっては、方除けの式王子の一つに過ぎなかったのです。
今では、多くの太夫が高齢化して亡くなったり、引退してしまい、後継者がいなくなっています。
国重要無形民俗文化財として、いざなぎ流御祈祷(いざなぎ流舞神楽)がわずかに継承されているにすぎません。
奥物部の十二所神社の祭壇と聖域 関係者以外立入禁止
ただ、昔語りを聞いてみると、特定の渡来系氏族の出身者で、シャーマンの家系に生まれ育っていることなど細かい選抜条件があります。
そうして、幼少期から厳密に選ばれた者だけが太夫として認められたのです。
今では、そうした往時の面影さえも見ることができなくなったことは、寂しい限りです。
参考文献
(1) 山上 伊豆母 「巫女の歴史<増補版>-日本宗教の母胎-」 雄山閣出版,1994
(2) 瓜生 中・渋谷申博 「呪術・占いのすべて」 日本文芸社,1998
(3) 学研(編)「Books Esoterica6 陰陽道の本」 学習研究社,1995
(4) 斎藤英喜 「いざなぎ流 式王子-安倍晴明・役行者を超える、闇の呪法のすべて-」新紀元社,2000
(5) 小松和彦 「憑霊信仰論」講談社,1994
巫師麗月チャンネル
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