皆さま
この連載記事も8回目になります。
その後、新たな情報も入ってきましたので、お話しできる範囲で書き込んでおきます。
秦氏関係は「リアル・キングダム」で書いていて、陰陽道関係は「表と裏」で書いていますが、今回は接点ということで陰陽道関係としてまとめます。
陰陽道の基礎知識
陰陽道は古代中国で成立した陰陽五行説を基盤として、日本で独自の発展を遂げた自然科学・天文・暦・呪術の体系です。紀元前二千年ころの古代中国にまでさかのぼる起源を持ち、朝鮮半島を経て1600年前に日本にもたらされました。
天文・暦・時間計測などを扱う陰陽道の技術は、平安時代の初期までは国家機密として厳しく管理されていました。
その後陰陽師の登用もゆるくなり、民間陰陽師が出現することで日本人の生活全般にまで広まりました。
日本の陰陽道や修験道に影響を与えた中国の思想には、陰陽五行思想、神仙思想などがあります。
陰陽五行思想は、中国の古代思想で、世界のすべてを陰と陽の二つの「気」に分けて考える思想です。
中国の春秋戦国時代に発生した陰陽説と五行説が組み合わさった思想で、自然界のあらゆるものが「陰」と「陽」の2つの気から成り立ち、その変化や関係性を「木・火・土・金・水」の5つの要素に分類して説明する宇宙観です。
陰陽道は中国で発祥したと考えられていましたが、最近の研究では日本で誕生した思想だというのが一般的な認識となります。そして、陰陽道を朝廷の律令体制に取り入れた最初の人物が天武天皇です。
陰陽道は、神仙思想とも密接に結びついています。陰陽道の実践者は、仙人が達成したとされる不老不死や超自然的な能力を追求することがありました。
また、陰陽道は仙人が自然界や宇宙の法則に通じ、その知識や力を人々に伝える手段としても捉えられました。
さらに、陰陽道の修行や儀式において、仙人の存在や指導が重要な役割を果たしました。彼らは、陰陽のバランスを保ち、自然界や人間界の調和を促進するための指針として尊重されました。
このように、神仙思想も陰陽道において重要な概念であり、陰陽道の実践や理論に深い影響を与えました。
『日本書紀』、『懐風藻』、『万葉集』など、奈良時代成立の作品にもその反映が見られ、平安時代以降は、都良香、紀長谷雄、三善清行など文人によって、神仙思想に彩られた漢文伝が相継いで書かれました。『源氏物語』も神仙思想を踏まえた作品とされています。
以上が陰陽道に関する基礎知識です。
秦氏の祭祀
こうした概略は公式見解ということで、古史古伝や口伝をひもといてみると、ずいぶんとかけ離れた内容が語られることになります。
渡来系氏族でも最大勢力になる秦氏についてまとめておきます。
私たちも秦氏の端くれなので、口伝ならあります。
荒唐無稽と一笑に付されるかもしれませんが、それでも臆せず言挙げはしておきます。
まず、秦氏の渡来は
1.徐福集団の出雲上陸
2.秦族(秦王朝の本流:王家の子孫たちを含む)が北部九州に移住
その後数百年の時の流れを経て
3.秦に関係のある職能民=秦人が朝鮮半島を経由して渡来
の順番に展開します。
徐福や秦族が持ち込んだ祭祀は、初期道教(陰陽五行思想+神仙思想)です。
日本の陰陽道とは少し違います。それは秦の時代にまで遡ります。
秦の時代の祭祀には以下のような特徴がありました。
1.陰陽五行思想……紀元前3世紀には初期の理論が確立されていた。
2.神仙思想……紀元前3世紀には確立されていた。
3.犠牲祭祀……神への捧げ物として、人や動物の犠牲祭祀を行っていた。(殷王朝の頃から行われていた)
4.霊媒の存在……特に重要な祭祀は、祖先崇拝に関すること。祖先の霊を冥界から呼び出し「霊おろし」(口寄せ)を行う。天(神)を崇めること以上に先祖との繋がりが重んじられた。それを媒介するのが霊媒による祭祀。
秦の時代の宗教を考慮に入れると、出雲族の犠牲祭祀との関係が出てきます。縄文人が犠牲祭祀をしていたとは考えにくいです。
こういった要素が日本にも取り込まれていって陰陽道へと発展していったというのが、私たちの見解です。
秦氏と言っても、1つの集団ではありません。
九州に残ったグループ=本家本元のほか、畿内に移住して大阪、奈良、京都へとさらに移動していったグループもいます。
さらに、東海、関東へと東進していったグループもいたわけで、広く日本列島へ拡散していったのです。
四国の秦氏
しかし、意外に知られていないのが四国の秦氏です。
高知市には、長宗我部氏の先祖が、元々は「秦」姓であったことに由来する秦神社があります。
また、徳島県美馬市には、磐境神明神社という秦氏に関係あるといわれる神社があります。
徳島県美馬市の磐境神明神社
磐境(イワサカ)形式の社が連なっている神社です。日ユ同祖論とも関連性の深い神社とも言われていますが、根拠が曖昧です。歴史的にはそれほど古いモノではありません。
伊予国=現在の愛媛県にも秦氏が多く住んでいました。秦氏由来の地名も存在します。
参考文献
大和岩雄 2013 続 秦氏の研究~日本の産業と信仰に深く関与した渡来集団の研究~ 大和書房
伊予稲荷神社も秦氏の勢力範囲にあります。
四国の場合、中央構造線沿いに丹生(水銀)の鉱脈があって、そのライン上に冶金術をはじめ、探鉱技術、採鉱技術、選鉱技術、製錬技術に携わっていた技術者集団の集落があったのです。
それが秦氏(職能民としての秦人)です。
陰陽五行=木・火・土・金・水に関わる技術を秦氏は持っていました。金を扱うのは鉱山技術。これを火によって加工するのが製鉄技術といった具合です。
泰氏の政治、経済、宗教への影響力は、治水、灌漑の土木技術や鉱山開発、冶金技術にありました。この技術を支えるために、秦氏は数多くの専門技術を持った職能民を抱えていました。
秦氏の技術力に目をつけた人物の一人が空海です。
空海は讃岐=香川県の出身ですが、四国にいた秦氏の利用を考えていたふしがあります。たとえば、空海は地元の満濃池を改修していますが、これは讃岐秦氏の土木技術の支援を受けたものと考えられます。
京都では、空海の建立した寺院が秦氏の勢力範囲内にあります。中でも平安京の真言密教の根本道場である東寺には、稲荷神にまつわるエピソードが残っていることからも、秦氏と空海の密接なつながりを示しています。
いずれにしても、空海は、山岳修行をしていた若いころに鉱業にかかわる民と交流していた可能性があり、水銀を含めた鉱物資源の重要性を認識していました。
空海が創設した真言宗の総本山である高野山には水銀の鉱脈があり、密教の聖地と求めた高野山が朱(水銀)の産地であることもよく知られています。
四国の秦氏の信仰や祭祀には、原始神道(神祇信仰)、修験道、密教、道教の習合した民間信仰があります。私たち一族とも、少なからず縁があります。
四国には渡来人の子孫が多く、大昔から中国由来の道教が伝わっており、山林修行者の活動拠点もあって、修験道にも道教的要素は取り入れられました。
最初に述べたように、日本の陰陽道は中国の道教とは別物です。四国の陰陽道といわれているものは、日本ではマイナーな道教的要素を取り込んだものです。
これについては、多くの研究者が四国をフィールドにして色々と調査されていますが、ガセネタばかりで信用できない内容になっています。本当のことなど教えませんから。
また、播磨陰陽師へのインタビューで、四国陰陽師のことを呪い専門とか言っていましたが、これは違います。昔はともかく、そうした「裏の仕事」というものを引き受けるようなことはなくなっています。誇張されて噂だけが広まった結果です。
実際のところ、江戸時代に四国陰陽道は、土御門家によって地方で独自発展した陰陽道の流れを汲む信仰と公認され、祭祀を司る者は、地方の民間陰陽師として認可されていたのです。
自然を愛し、敬い、先祖を大切にする これが四国陰陽道の原点です。
京都の官制陰陽道に対して地域陰陽道とでも呼んだ方が良いですね。
秦氏と陰陽道との接点というのは、このように部分的、限定的なものです。
秦氏=陰陽師ではありません。
中央の陰陽道に関与した者がいたかもしれませんが、それなら何らかの記録もあるはずです。系図をたどれば分かるはずです。
最近、秦氏や陰陽道の話題でネット界隈も賑わっているようですけど、表に出てくる人は「なんちゃって系」ですね。あきんど系秦氏もいるようですね。
ただ、一つ申し上げるならば、日本に渡来した秦氏の場合、必ず本家本元の九州のある地域に関わりがあります。その場所を知るものは、秦氏の中でもごく限られた人たちです。
知る必要のないものに教えたりしませんし、全てを教えることはありません。
まとめ
秦氏の場合、初期の段階から道教の祭祀を引き継いでいて、陰陽道とは異なるものでした。
稲荷神や八幡神の信仰も、もとは秦氏の祖霊神を祀ることから始まり、その後大きくそのご祭神や祭祀法も変わりました。
地域によっては、日本の陰陽道とのつながりを持ったところもありますが、全体としてみれば秦氏と陰陽道は部分的にしか接点はありません。
むしろ、仏教寺院を建てたり、彼らの技術に関係のある神々を祀ったものが、大きく意味を変えて神社として残っています。
表に出てくる陰陽師は、公式には存在しないもので、自己流で活動している人がほとんどです。
土御門神道との関係を調べてみればわかることです。最近、WEBに重要なお知らせも出ていました。
私たちが「裏陰陽師」と呼んでいる人たちは、決して表には出てきません。
秘密にしなければいけないことがたくさんあります。
式神(式鬼)のイメージ(右下)
『不動利益縁起絵巻』より病身身代わり祈祷を行う安倍晴明
ちなみに、安倍晴明の時代に行われていた「病身身代わり祈祷」なら、その祭式は今も受け継がれています。疫病神に取り憑かれている人の病を転送するという方術です。
「表」に姿を見せないのは、一つには彼らが異形の人々でもあるからです。
通常、彼らは仲介人を通じて仕事の依頼を受けます。直接対面することはありません。正体を決して見せないように何人もの人を介してやりとりを行います。
彼らの使う方術はサイキックとしては他に例を見ないほどの現象を引き起こします。
受けた仕事は全て遠隔で実施する仕組みとなります。時間も距離も関係がないのが意識を媒介するトランスコミュニケーションの特徴でもありますから、その性質をいかんなく発揮できるのです。
彼らは外部の人間と接触することなく、日本のどこかに潜伏して暮らしています。これで少しは秦氏と陰陽道の接点についてイメージできたでしょうか。
(続報があれば続く)
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