皆さま

 

今回は、エクソシスト=祓魔師として活躍した人物に焦点を当てながら、悪魔や悪魔祓いがどのようなものなのかについて理解を深めていきたいと思います。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

ガブリエーレ・アモルト神父(Gabriele Amorth)は、イタリアのカトリック司祭であり、特に悪魔祓い(エクソシズム)に関する活動で有名です。

 

彼は1925年5月1日にイタリアのモデナで生まれ、2016年9月16日にローマで亡くなりました。

 

アモルト神父は、1985年から2016年までローマ教区の主席祓魔師として活躍しました。

 

昨年、エクソシズムをテーマに制作された映画「ヴァチカンのエクソシスト」も公開されましたが、その中にアモルト神父による実際の悪魔祓いに関する映像も入っています。

 

アモルト神父は若い頃からカトリック信仰に深く関わり、1954年に司祭として叙階されました。彼は1985年にローマ教区の公式エクソシストに任命され、その後30年以上にわたりこの役割を果たしました。生涯で7万件以上のエクソシズムを行ったと報告されています。

 

アモルト神父は1990年に「国際エクソシスト協会(International Association of Exorcists)」を設立し、エクソシストたちのための支援と教育を行いました。

 

彼は現代社会における悪の存在やその影響について強い警告を発し、信仰と祈りの重要性を強調しました。また、テクノロジーや現代文化が悪影響を及ぼす可能性についても言及しています。

 

アモルト神父の活動はカトリック教会内外で賛否両論を巻き起こしましたが、彼の深い信仰と献身は多くの人々に影響を与えました。彼の遺産は、エクソシズムというテーマに対する関心を高め、カトリック教会の悪魔祓いの実践についての理解を深める助けとなっています。

 

霊性文化や方法論の違いはあるものの、巫師という立場から見て、人の深層意識に巣くう魔物や魑魅魍魎と対峙するという点では私たちも同じですし、真性の悪魔憑きとは解離性障害や精神病的兆候というよりは、霊的危機であると見なすことができます。

 

以下に、アモルト神父が悪魔や悪魔祓いについてどのような認識を持っていたのか示すインタビューがあるので、見ていきましょう。

 

――――

 

アモルト神父へのインタビュー

(太字部分は筆者による)

 

参照映像1:https://www.youtube.com/watch?v=x7Zxutv3P6E&t=48s

 

アモルト神父は私たちに50,000件以上の悪魔払いの儀式を今まで実践したと話されました。

 

インタビュアー:伺いたいことは、科学が到来し多くの知識を得たことで私たちは悪魔を一つのシンボルとみなすようになりました。でもエクソシストのあなたが扱う存在は、悪のシンボルではなく、より具体的な何かですよね?違いますか?

 

アモルト:まさにその通りです。悪魔は人間的で、頭が良く意図的です。悪魔祓いの最中、私は悪魔と議論します。悪魔が憑いていると知りながら、犠牲者=悪魔とエクソシストが交わす議論はとても興味深いものです。

 

インタビュアー:悪魔に憑かれた時の“症状”というのはどんなものですか?

 

アモルト:たくさんあります。非常に多種多様です。まず明確にしたいことは、私は医師の診察を受けた後でなければ誰であろうと面会することは決してありません。

 

なぜなら兆候(悪魔憑きの場合、「症状」ではなく「兆候」と言います)の一部は精神病のそれと極めて間違えやすいからです。

 

そのため細心の注意を払って検査して一般的な症状かどうか判断します。

 

最も特徴的な兆候は聖なるものに対する嫌悪です。それまで常に信心深かった人がミサや神父など聖なるものに関わる一切を拒否するというのはよくある兆候です。聖なるものへの嫌悪は広い範囲で現れます。控えめなものとしては聖なるもののイメージを我慢できません。

 

最も酷いものとしては、例えば、祝福や洗礼を受けると気が狂ったように罵りながら喚き散らし地面に転がって獣のように暴れます。あるいは聖水をかけられるとまるで火をかけられたようになる。このような状態は聖なるものに対する最大級の敵意の現れです。

 

さらに私たちにとってとても興味深い点は、“悪魔に取り憑かれて最初にどう感じるか”ということです。なぜなら悪魔に取り憑かれると、時間が経過していないにも関わらず、すぐに身を捩らせるほどの苦しみを感じます。その苦しみは医療では治療できません。

 

インタビュアー:それでは医学で治療できない症状は悪魔に憑かれていることが原因ということもあり得ますか?

 

アモルト:そうですね…悪魔に憑かれている典型的な兆候が伴っている場合はあり得ます。

 

聖なるものに対する敵意、また悪魔に取り憑かれた兆候が始まる“きっかけ“に注目します。

 

例えば、ある人はスピリチュアルの集まりに参加してからおかしくなったと言い、またある人は魔女や手相占いに見てもらった、あるいはそういった所に頻繁に通うようになってから(おかしくなった)、またはサタンのセクトに通う、あるいは黒ミサに参加する、こういった行動は私から見ればとても“疑わしい兆候”です。

 

ですから私は「ああそうか、それでは」と悪魔祓いの儀式を進めます。なぜなら悪魔の存在を確信するのは悪魔祓いをしている最中だからです。

 

インタビュアー:悪魔はどのように私たちに入り込むのですか?

 

アモルト:悪魔も霊の一種です。ですから私たちに入り込むように思われても、私は悪魔が自分の力を人間の中に入れ込むと言います。悪魔が取り憑いた人間の口を借りて話したり、四肢を動かしたりするのは憑かれた人の意思で行っているのではありません。人間は肉体を持っていますが、反対に悪魔は霊体です。ですから悪魔は人間の中である種の力あるいは支配力を行使すると言うことができるでしょう。

 

インタビュアー:なぜそんなことをするのです?

 

アモルト:それは重要なことではありません。理由はすぐ申し上げましょう。悪魔にとって重要なことは、悪魔が憑いていると知られないようにすることだからです。人は悪魔に取り憑かれたと分かると悪魔を追い出そうとするか、あるいは追い出すための行動をとり始めます。従って悪魔にとってその存在を知られないことが重要なのです。

 

また一般的な病気の症状に似た兆候を誘発しながら、その陰に可能な限り身を隠すことも悪魔にとっては大事です。エバンジェリスト(伝道者)を例にとってみましょう。ある若者がタボル山で歩いていました。イエス・キリストの「タボル山上の変容」(訳注:イエスの容貌が変わった出来事)はご存じですね。その若者は癲癇症状と全く同じ症状を示しました。実際エバンジェリストは癲癇病患者とも言われるのです。

 

インタビュアー:一般的な病気の症状と思われたけれど違っていたということは、あなたも経験がありますか?個人について質問しているつもりは全くありませんが…

 

アモルト:いえいえ、そんなことは全く思っていませんし、そのようなつもりはありませんよ。私にも経験があります。悪魔祓いの儀式が効果を発揮し、病気の治療が全く効果ないことから、病気ではなく悪魔に憑かれていることが分かります。一方悪魔祓いの儀式で、悪魔に憑かれた人がいわゆるトランス状態に入った時、そこで現れるのはその人の人格ではなく悪魔です。悪魔は犠牲者の中で恐ろしい威力を発揮するのです。

 

インタビュアー:悪魔は取り憑く人間をどのように選ぶのですか?取り憑かれる人間には共通点があると指摘なさいましたよね。

 

アモルト:いや、そうではなく、悪魔憑きは誰にでも起こり得ます。誰もが間違ってオカルトに関与する可能性があります。オカルトの実践というのは、そうですね、ここでお話ししてきたようにサタンのセクト霊を降ろす黒ミサなどです。

 

インタビュアー:これは興味深いです。私はあなたの本を読んであなたが魔術に対して非常に注意を払っていることに気付きました。

 

アモルト:そうです。

 

インタビュアー:黒魔術。あなたはアフリカの黒魔術には大変力があると考えていますね。呪術とか妖術とか…

 

アモルト:まず、魔術に白も黒もありませんよ。現在の言い方で言う白魔術は呪いを取り除くもの、黒魔術は呪いをかける方ですね。一方、常に身近にある魔術というのは悪魔の所産です。そのためどんなものであれ黒魔術なのです。黒魔術には幾つ形態があることは良く分かっています。

 

例えばアフリカの黒魔術にはマクンバブードゥーという極めて特異な点があります。この二つはアフリカからラテンアメリカに持ち出されたので、ブードゥーやマクンバはアフリカ以外にラテンアメリカの広い地域に広がりました。このような黒魔術をかけられた人を自由にすることはとても難しいし、また時間がかかります。何年も悪魔祓いをしなければなりません。

 

インタビュアー:何年も悪魔祓いを⁉

 

アモルト:そうです、何年も。

 

インタビュアー:悪魔がしぶとく取り憑いて離れないから?

 

アモルト:悪魔のしぶとさというのは、つまり悪魔が人の中でまるで根を張るようなものです。時間がたてばたつほどより自然に、つまり悪の根が根付けば根付くほど悪魔を祓うのに時間が必要になります。普通の病気でも発見が遅ければ遅いほど治療は困難になり回復には時間がかかるのと同じです。悪魔に取り憑かれた場合も同様です。

 

最初の悪魔祓いの儀式でエクソシストは神に“根を取り去り、悪魔から人を逃してください”と懇願します。

 

“根を取り去る”とは、例えば14歳の少女が面白半分で友達と連れ立ってサタンの儀式に行きました。帰宅すると少女は悪口雑言を吐いて引っ掻いたり蹴ったりするようになった。

 

両親はすぐローマにいる神父のもとに彼女を連れて来ました。夜中の2時にサンタ・スカーラ(訳注:ポンティフィーチョ・サントゥアーリオ・デッラ・スカーラ・サンタ教会の一部。イエス・キリストが貼り付けに処される前に尋問を受けるために登ったという言い伝えがある階段。巡礼の聖地の一つ)に着いて6時までそこで待ちました。

 

そして面会した高位の神父に悪魔に取り憑かれたと話し、そうして私のもとに連れてこられてという次第です。

 

彼らが私のところに着いたのは8時でした。そのとき私はもう悪魔祓いの儀式を始めていて、それは12時まで続きました。12時になってようやく先の儀式が終わると、悪魔に取り憑かれた14歳の女の子がいると言われました。

 

かいつまんで言うと、私は、友人であり私より有能なエクソシストと一緒に彼女に悪魔祓いの儀式をしました。

 

始めてから10分ぐらいか、15分も経たないうちに少女は床に崩れ落ちたので、悪魔に「力を失ったか」と問うたところ、「そうだ」、「まったくなくなったか?」、「そうだ」と言い、こうして神様のおかげで15分後には少女は自由になって廊下を駆けていました。

 

こんなにすぐ終わったのはなぜかと言うと、悪魔に憑かれて間がなかったからです。

 

悪魔が獲物を捕まえたと思ったら悪魔祓いが行われたからです。

 

反対に私のもとに来るのに時間をおいてしまった人の場合、その人は30歳か40歳ぐらいでしたが探求心の強い人で、悪魔祓いの儀式の最中でさえ悪魔との対話や悪魔に取り憑かれた人が知りたいなど興味津々でした。

 

その人は非常に若い時期から悪魔に取り憑かれていました。母乳を飲んでいる赤ちゃんでも悪魔に憑かれる可能性はあります。

 

つまり生まれる前から悪魔に取り憑かれることがあります、この場合生まれた時すでに悪魔憑きの状態ですね。ともかくこの人は13歳か14歳で悪魔に憑かれたようですが、40歳になってようやく私のところにやって来たのです。

 

悪魔がこの人の中で深く根を張る時間は十分ありました。ですから悪魔祓いにかかる時間はより長く、より難しくなります。

 

インタビュアー:視聴者の皆さんには、アモルト神父が話す内容は現代の話とはとても思えないでしょう。でもアモルト神父は毎日悪魔に憑かれた人々を苦しみから解放しています。今私たちは神父の話を通じて、神父の話すことを信じなければいけません。なぜなら神のおかげで私たちの大部分にとってほぼ無縁な世界だからです。それでは悪魔について伺いたいと思います。悪魔は霊体とおっしゃいましたね、要するに肉体はない、と。

 

アモルト:もし悪魔が可視化しようとすればかりそめの姿を取らなければなりません。例えばヴェナーフロ(訳注:イタリア、モリーゼ州、イゼルニア県の地方自治体)でピオ神父は、まぁピオ神父は全生涯を通じて悪魔との戦いでした。

 

毎日悪魔に叩かれて… とにかく、特にヴェナーフォロでは悪魔が頻繁に現れました。神父を恐れおののかせるために恐ろしい雌犬の姿で現れて神父を噛もうとしたり、神父を誘惑しようとして小学生の年頃の裸身の少女の姿で現れて神父を挑発したり、はたまた神父を騙そうとして神父の霊的指導者の姿で現れるといった具合です。

 

やれやれ、悪魔は純然たる霊体なので目で見ることは絶対ないですし、目鼻立ちなんてないのです。

 

インタビュアー:神父様、エクソシズムの最中に悪魔と話をしますか?

 

アモルト:はい、いつも話をします。

 

インタビュアー:悪魔は何を言うのですか?

 

アモルト:私は悪魔に対して常にいくつか問うだけです。無理にでも悪魔を黙らせます。福音書でもイエスは常に悪魔を黙らせようとします。

 

なぜイエスが「黙れ」と命ずるのかと言うと、一般的に悪魔は多弁ではなく、沈黙のうちに行動します。悪魔に話をさせることは非常に骨が折れます。私が悪魔にする問いは犠牲者が解放されるために役に立つものだけ。

 

ですから私が訊くことは「名前」、悪魔にとって自分の名前を言うことは正体を暴かれて半ば敗北したも同然です。また「いつ取り憑いたか?」「どのように入り込んだか?」「イエス・キリストに犠牲者から出ていくように命じられたか」「いつ出ていくか?」など、このような質問は全て犠牲者を自由にさせるためのものです。

 

一方絶対やってはいけないことは興味本位の質問です。例えば「(サッカーの)ローマが勝つか?」とか「(サッカーの)ラツォオが勝つか?」ですね。よくあるのが「第3次世界大戦はあるか?」、こうした興味本位の質問を悪魔にすることはどのようなものであれいけません。

 

インタビュアー:悪魔は“話させられること”が酷く嫌いなわけですが、あなたが悪魔と話をしたとき、悪魔はあなたに地獄について話しましたか?

 

アモルト:はい。何度もね。

 

インタビュアー:今まで言われているような、ダンテの神曲やカトリック教理問答などを通じて語られてきた地獄と悪魔が言うそれと一致しますか?

 

アモルト:そうですね、ある種の一致はあります。でも実際の地獄は私たちの知識や想像とは全く異なっていると言わなければいけません。聖人の前に出現する地獄もまた、その人に理解しやすく適合させた形を取っていると言いましょうか。

 

時に神が、人間が理解できる範囲で地獄を見せることをお許しになるのです。そうですね、例えば最後の審判の時は“右からも左からも聖なるものがやって来て、私から悪いものが離れていく”とありますが、本当にそのようになるとは思います。

 

私は基本的にはそうなるだろうと思っていますが、イエスは私たちが理解できるような表現で話しました。また地獄の表現の仕方も私たちが理解できるように変えてあるので、本当の地獄ではありません。

 

例えば「地獄の中に火はある。その火は人間の火以上に無限に焼き尽くす。人間の火とは一切関係ないものだ」と悪魔は何度も言いました。そして「火ではあっても、人間の火とは似つかぬもの。燃えるものではない」とも。

 

インタビュアー:ひょっとして知識の火のことですか…良心の呵責の火とか

 

アモルト:良心の呵責の火… 人々を震え上がらせる凄まじく恐ろしい火…  人々が地獄の存在をより深く思い巡らすならば、確実に罪は減ると私は確信しています。

 

インタビュアー:神父様、悪魔は神の役立つものですか?

 

アモルト:いいえ、悪魔は神に反するものです。悪魔は神に謀反を起こしました。神は善なる天使を創造しましたが悪魔は謀反を起こし、地獄を作ったのは悪魔自身です。神ではありませんよ。でも神が人間に悪の試練を与えるがあります。ですから悪魔は…

 

インタビュアー:まさにこの事です、私が訊きたいのは。時には私も自分の限界以上のことを信じたいと思うことがあります。

 

善悪二元論の教理は少し乱暴過ぎる、あまりにも単純化し過ぎだと思うのです。一方から人が来て、他方から悪が来て…なんて単純すぎます。もし悪が存在しなければ、人はどのように善の重要性や力や威力を知るのでしょうか?これではまるで私が悪魔の弁護士役をしているようですね… 私は全くの門外漢ですけれど、でもこのように考えることもできるのではないですか?あなたは私の疑問を一掃することはできますか?

 

アモルト:いいえ、私にはできません。私はそのようなことができる段階にありません。なぜならこの問いには現実そのものが含まれているからです。福音書が私たちに語るのは、神の子たちと悪魔の子たち、そして現実世界があります。人々は悪魔の子たちの存在を暴こうとして悪や二元論に陥るわけではありません。

 

そうですね、例えばヒトラーやスターリンのような人たちは、私の考えでは完全に悪魔に取り込まれた人たちです。ということは、善悪二元論はサタンの掟に従う人々を判別するためのものではありません。

 

また付け加えたいことは、エクソシストという仕事は極めて心地良い聖勤で著しい満足感が与えられる仕事です、なぜなら一介のエクソシストが医者が治す事ができない、大きな悪に苦しめられている人々を癒すことができるのですから。ですからエクソシストでいることは聖なる勤めであり、聖職者に喜びをもたらす賜物なのです。

 

インタビュアー:あなたが指導的聖職者の方々と共に来られましたね。番組にぜひお呼びしたい方々です。指導的聖職者のグループでは悪魔から身を守るためにはどうするのですか?

 

アモルト:大変重要な質問です。人が“有害な悪に入り込まれたかも”と僅かでも疑念を持ったときどうするべきか?すぐエクソシストのもとに駆け込まなければいけないかというと、それは違います。

 

エクソシストは最後の寄り辺です。まずは医師の治療を受けること。その上で治療が全く効かない場合、悪い霊が自分の中に入り込むきっかけになった行動をしたかどうか吟味します。

 

ブードゥーのマクンバと私たちが名付けましたが、これは悪霊の一つの形態です。こうした悪霊に脅かされている人がいるとします。最初に何をしなければいけないかと言うと、私は指導的聖職者のところに行くように助言します。あるいは彼らの祈りのグループを訪れることを勧めます。祈りのグループでは、癒しや解放の祈りを行うので、悪霊に憑かれた兆候がある人はこの祈りの最中にその兆候が際立って鮮明になります。その後、祈りのグループが行う祈りだけで祓いが完了することもありますが、状態がより深刻であれば祈りのグループはその人をエクソシストのもとに行かせるのです。

 

インタビュアー:神父様、あなたは悪魔が怖くありませんか?怖いと思ったことはありますか?

 

アモルト:いいえ、一度もありません。私は常に悪魔こそが私たちを怖がっていると言います。私たちが怖い理由は、私たちが神の似姿に創られたから。悪魔はあなた(インタビュアーのこと)も怖いのですよ。洗礼を受けているでしょう?洗礼は魂に刻まれた聖霊と三位一体の刻印ですから。私は悪魔を怖いと思ったことは一度もありません、むしろ私の普段の言い方でいえば「悪魔が私を見るとチビっちまう」。

 

インタビュアー:まだお聞きしたいことが二つあります。一つはちょっと意地悪な質問ですが…

 

(ここで番組中のインタビューは中断されて再開)

 

インタビュアー:悪魔は犠牲者を選ぶ。なぜある人は犠牲になり、ある人はならないのですか?

 

アモルト:悪魔の選択の幅は狭いのです、例えば交霊術に100人参加していたとして、その中から悪魔が選べるのは1人だけです。悪魔から見て、人々を信仰から外させるために役に立つ人を選ぶのです。

 

インタビュアー:なぜ神は悪魔を排除しないのですか?

 

アモルト:神が排除なさらないのは、神は自身の創造物を排除することを決してなさらないからです。悪魔もまた神の創造物なのです。

 

かつて私は悪魔との論争で悪魔にこう言いました「お前は世界一愚か者だ。お前ほどの無限の知性があれば天国にいられたのに、今お前がいるところは地獄だ」悪魔は私の言葉に気を悪くしたでしょうが、こう答えました「俺も神によって創られたのだということを覚えておけ」言い換えれば「自分(悪魔)にも尊敬の目で見られる部分がまだ残されているのだ」と言わんばかりでした。

 

神の創造物であるという、そのただ一点が「尊敬に値する部分」なのです。神はご自身の創造物を否定なさることはけっしてありません。神は創造物を否定も破壊もしません。私たち創造物に自由を与え、自由のままにさせておくのです。

 

インタビュアー:神父様、私は胸の内にある疑問を解きほぐすために、どうしても伺わなくてはなりません。手短にします。他の宗教、仏教のような類の宗教に悪魔憑きがないのはなぜですか?

 

アモルト:大変良い質問です。はっきり答えしましょう。悪魔憑きはどこにでもあります。過去にも、未来にも、人類の歴史がある限りあり続けるでしょう。他の宗教においても、その文化に相応の形態で悪魔憑き、悪魔祓いはあるのです。そうですね、原始的な民族や未開の民族にも、その民族の神に仕える聖職者がいるでしょう。魔術師もいるでしょう。しかし、どこにおいても悪魔に憑かれる人はいますし、あらゆる文化や人種や民族や宗教に悪魔祓いはあるのです。

 

インタビュアー::どうもありがとうございました…(以下、謝意部分は省略)

 

 

参照映像2:https://www.youtube.com/watch?v=Ow6gvYF-BfM

 

 

アモルト:本当に悪魔に憑かれているかどうか分かるためには、悪魔祓いの儀式(エクソシズム)が必要です。

 

インタビュアー:エクソシズムはサタンから解放されるための唯一の道具である。教会は一部も聖職者たちにこのひどく恐ろしい任務を課した。アモルト神父はその一人、最強のエクソシストだ。これまでエクソシズムを何回行いましたか?

 

アモルト:大体6万回ぐらいでしょう。

 

インタビュアー:アモルト神父と1990年代初頭にフランスで行われたエクソシズムの映像を見ながらコメントしていただきます。この時のエクソシストはヴェネツィアのペッレグリーノ神父です。

 

アモルト:悪魔は時に、例えばアラム語のような言葉を話したり、また時には私たちの言語には絶対存在しない言葉を話します。

 

インタビュアー:エクソシズムで使う道具は何ですか?

 

アモルト:贖罪の色である紫のストラ(ストール)です。ストラの片側で被対象者(悪魔に憑かれた人)の肩に巻くので、私は長いストラを使います。また聖ベネディクトゥス(ヌルシアのベネディクトゥス)のメダルを嵌め込んだ特別な十字架を使います。メダルは一面に対悪魔のフレーズが書かれています。そして被対象者に祝福を与えるために聖水を使います。 “病者のオイル”(カトリックで病人に塗油の秘蹟を施すために使う)も使います。

 

インタビュアー:エクソシストと悪魔の戦いは被対象者の体と魂を巡って行われます。

 

アモルト:暴力を振るわれることはたくさんありました。小さく蹴られたことがありました。その時は治るまで一か月間ギブスで足を固定しなければいけませんでした。唾を吐かれるのは…この話はやめます。悪魔に憑かれた人は口の中で瞬間的に物質化した物を吐き出します。

 

インタビュアー:悪魔はどのように憑く人を選ぶのですか?

 

アモルト:一般的に魔法や交霊会や黒ミサを悪魔崇拝に夢中になる、あるいは呪いを受けることもあります。

 

インタビュアー:一人の人が複数の悪魔に憑かれることもありますか?

 

アモルト:そうです。通常は複数の悪魔が憑きます。取り憑く悪魔の数は3であったり7であったり軍団であったり…

 

インタビュアー:あなたは怖いと思ったことはありませんか?

 

アモルト:いいえ。悪魔の方ですよ、私を怖がるのは。

 

――――

 

 

ここまでのまとめ

 

ブリエーレ・アモルト神父は、現代社会における悪の存在とその影響について多くの警告を発し、その背景には彼の深い宗教的信念とエクソシストとしての経験がありました。

 

具体的な点について詳しく説明します。

1.悪魔の存在と活動

アモルト神父は、悪魔が実際に存在し、人々に悪影響を及ぼすと強く信じていました。彼は多くのエクソシズムを通じて、このような悪の存在を確認したと述べています。


彼によれば、悪魔は人々を罪に導き、神から遠ざけようとする力であり、その影響は個々人だけでなく、社会全体にも及ぶと考えていました。
 

2.信仰と祈りの重要性

アモルト神父は、悪の力に対抗するためには、強い信仰と継続的な祈りが必要不可欠だと主張しました。彼は、祈りが悪の力を抑え、神との絆を強化する手段であると考えていました。
 

彼の著書やインタビューでは、信仰心が弱まると悪の影響を受けやすくなるため、日々の祈りと教会への参加が重要であると強調しています。

 

3.メディアとエンターテイメント

アモルト神父は、特にメディアやエンターテイメント業界が悪影響を及ぼしていると警告しました。暴力や性的な内容、反宗教的なメッセージを含むコンテンツが、道徳や信仰心を弱めると指摘しました。
 

ホラー映画やテレビ番組、特に悪魔や超自然的なテーマを扱った作品について、これらが悪魔に対する興味を増し、不必要な恐怖や誤解を招く可能性があると述べています。
 

4.インターネットとソーシャルメディア

インターネットの普及についても、アモルト神父は警戒を示していました。特にソーシャルメディアが人々の孤立を助長し、不健全なコミュニケーションや有害な情報の拡散を促すと考えていました。
 

ネガティブな影響として、インターネット上でのいじめや中傷、ポルノグラフィーのアクセス容易性などを挙げ、これらが人々の道徳心を蝕むと述べています。
 

5.消費文化と物質主義

彼はまた、現代の消費文化や物質主義が、精神的な価値よりも物質的な価値を重視する風潮を生み出していると批判しました。これは、信仰や精神的な充足感を追求する姿勢を弱める原因となると考えています。
 

物質的な豊かさや快楽を追い求めることで、魂の平和や神との関係が軽視されることを懸念していました。
 

結論


アモルト神父は、現代社会が直面する多くの問題が悪の力と結びついていると考え、それに対抗するためには、個々人が強い信仰心と祈りを持つことが不可欠だと説きました。テクノロジーや現代文化がもたらす影響を深く憂慮し、それに対する警戒心を持つように人々に訴えかけました。彼のメッセージは、伝統的な宗教的価値観を守り、精神的な健全さを保つことの重要性を強調するものでした。

 

(つづく)

 

参考情報源

 

 

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