皆さま

 

悪魔という言葉を聞いて何を連想されるでしょうか。

 

日本の宗教的背景には、神道や仏教など多神教の要素が強く、絶対的な善悪の対立は強調されません。あえていうなら、妖怪や悪霊、物の怪がありますが、これらは必ずしも絶対的な悪ではなく、自然界や人間界の一部として共存する存在です。


日本の伝統的な思想では、善悪が相対的であり、絶対的な悪とされる存在は少ないのです。悪霊や妖怪も、状況や人間の行動によっては善行を行うこともあります。このため妖怪や悪霊などは、民間信仰や儀式(例:お祓い、祭り)によって扱われ、畏敬や尊重の対象ともなり得ます。

 

 

これに対して、キリスト教圏における悪魔の概念は、善なる神に対して、どこまでも極悪、邪悪なる存在として概念が形成されました。

 

今回は、悪魔や悪霊といった存在が、宗教の枠組だけではなく、人の意識に干渉しうる「非人間的意識場」であるととらえ、これに憑依される現象とその解除の方法論についても深く考察を加えていきます。

 

かなりの長文となりますので、いくつかの記事に分割してお話しいたします。

 

なお、カトリック教会におけるエクソシズムやエクソシストに関する事例研究も取り上げますが、参考情報源がイタリア語で書かれていることも多く、このためイタリア語の専門家に翻訳をお願いしました。

私たちに深いご縁のある方です。

 

かなり骨の折れる作業を依頼することになりましたが、この場を借りて御礼申し上げます。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 聖書における悪魔
 

まず、聖書の記述において悪魔がどのように描写されているのかをまとめておきます。

 

1.旧約聖書


サタン(Satan)…… ヘブライ語で「敵対者」を意味します。『ヨブ記』や『ゼカリヤ書』に登場し、神の意志を試す者や人々を誘惑する存在として描かれています。
 

堕天使…… 『イザヤ書』14章や『エゼキエル書』28章では、高位の天使が高慢によって堕ちた様子が描かれており、これが後の悪魔の概念に結びつけられます。
 

2.新約聖書
 

ルシファー(Lucifer)…… 新約聖書では直接言及されていませんが、教会の伝統では『イザヤ書』14章の「明けの明星」がルシファーとして解釈され、サタンと同一視されるようになりました。
 

悪魔(Devil)…… ギリシャ語の「ディアボロス(Diabolos)」から来ており、「中傷者」や「誹謗者」を意味します。『マタイによる福音書』や『ルカによる福音書』などで、イエスを誘惑する存在として登場します。
 

その他の悪霊…… イエスは様々な悪霊を追い払う奇跡を行い、悪霊たちは神に反逆した堕天使たちとされています。


 

キリスト教の教義において、悪魔は神の創造物とされています。ただし、その創造の過程と堕落の経緯には重要なポイントがあります。

1. 神の創造物としての天使

キリスト教の教義では、神はすべての存在を創造したと信じられています。これには天使も含まれます。天使はもともと神に仕える純粋な霊的存在として創造されました。神のお使いと位置づけられます。

2. 天使の堕落と悪魔の誕生

天使の中には、自由意志を持ち、自らの選択で神に反逆した者たちがいます。この反逆の行為によって堕落し、悪魔となりました。以下に、その代表的な天使と堕落の経緯を示します。

ルシファー(サタン)……もともと「光をもたらす者」として創造され、高位の天使とされていました。しかし、彼の高慢と野心により、神に対する反逆を企てます。この反逆によってルシファーは天界から追放され、サタン(「敵対者」)として地獄に堕ち、悪魔の主導者となります。
 

3.他の堕天使たち

サタンに従った他の天使たちも神に反逆し、彼らもまた堕落して悪魔となります。これらの悪魔は、地獄でサタンに仕えるとされています。
 

4.神の意志と自由意志
キリスト教の教義では、神はすべての被造物に自由意志を与えました。天使も例外ではなく、彼らも自由意志を持って行動する能力を持っています。悪魔はこの自由意志を誤用した結果として生まれた存在です。
 

5.神学的解釈

  • アウグスティヌス: 神学者アウグスティヌスは、悪そのものが神の創造物ではなく、善の欠如や堕落として存在すると教えました。つまり、悪魔は神の創造物であるが、その悪性は彼らの選択と反逆の結果です。
     
  • トマス・アクィナス: アクィナスもまた、悪魔の存在を神の創造物として認めつつ、彼らの堕落とその結果としての悪を強調しました。

 

このように、悪魔の存在は神の意志に反するものであり、神は悪魔を直接創造したわけではなく、純粋な天使として創造した存在が堕落して悪魔になったという理解です。

 

 

悪魔を意味する言葉と語源

一口に悪魔と言っても、それにはいろいろな種類の邪悪な存在のイメージが形成されてきました。以下にその代表例について見ていくことにします。

 


1. Demone デモーネ、デーモン

後期ラテン語daemon -ŏnis、語源はギリシア語daimòn(天才、人間を超えたもの)。民間信仰およびその歴史においてdemoneは下級神、人間と神の中間の存在だった。古代宗教における神、それは善であり悪である存在。

2. Diavolo ディアヴォロ、デヴィル

13世紀半ば後期ラテン語、教理用語diabŏlus、語源は“憎しみをまき散らす者”、“糾弾する者”、“分ける者”を意味するギリシア語diàbolos。入り込む、糾弾する、欺く、敵対の種をまくという意味のdiaballeinから派生した。dia (attraverso貫く、横断する)とballo(metto, lancio投げる)の複合語。ユダヤ教のsatanをギリシア正教会が翻訳して導入した。


言語学的にはDiavoloの語根にはdioが含まれるということからDio(神)とDiavolo(悪魔)は同じ語根を有するという見解もある。Dioの意味は“光り輝く”。

3. Satana サターナ、サタン

後期ラテン語SatanあるいはSatanas、カトリックの教理用語。

意味は“敵対者” “敵” “悪”、“糾弾する者”、聖書中ではしばしば一般的な悪の代名詞として使われる。アラビア語では“迫害する”意味。またデーモンの名前という指摘もある。語源は紀元前3世紀にヘブライ語からギリシア語に訳されたセプトゥアギンタ(七十人訳聖書)中のヘブライ語Sāṭān、原語の3文字から成るヘム語s、t、nは“敵対する”、“反対する”を意味する言葉に関係する。古代ユダヤ人は、サタンが敵対者として神の意志に参加し、かくしてゾロアスター神学の影響によってユダヤ人はバビロンに追放されたと考えた、この後サタンに“悪の天才”あるいは“アーリマン”という性質を付与した。

4. Lucifero ルチフェロ、ルシファー


ラテン語lucifer、“光”を意味するlux/lucisと“運ぶ”-ferを合わせた複合語。意味は“光をもたらす者”。金星の別名として使われる場合がある。金星が太陽から最も遅く遠ざかる様から、早朝あたかも金星自身が光を世界にもたらすかのように見えたため、明けの明星ともいわれる。デーモン、神に歯向かい地獄に落とされた反乱天使を意味する言葉。
 

 

エクソシズムの定義

1.エクソシズムの語源と意味
 

名詞Esorcismo(英exorcism)の語源は14世紀。ギリシア語をカトリックの教理用語化した後期ラテン語exorcismus(ギリシア語 ἐξορκισμός、ἐξορκίζωの派生語)である。
 

注.Scongiuro 1354年(動詞scongiurareは1261年)は同義語。Scongiurare=exorkízein、すなわちex-は“強化”、horikízeinは“誓う”の意味。
 

Esorcismo (動詞esorcizzare)とscongiuro (動詞scongiurare)の意味は「人間あるいは物に取り憑いた悪魔や悪霊を締めて追い払うこと。神あるいは超自然の力を召喚し魔を祓ってくれるように祈念と誦句を繰り返し、乞い願う行為」。

2.エクソシズムは洗礼の際に行う通常の祓い(同じくエクソシズムと言う)とは異なる特別な秘儀。

 

司教あるいは司教が遣わした長老格の司祭(presbitero、「使徒言行録」によると初期キリスト教徒の共同体を率いた人、長老を意味した)によって行われる。

3.現代イタリアのエクソシストで最も有名で強力な人物

Gabriele Amorth 1925 5月1日年モデナ生-2016年9月16日ローマ没、自然死、イタリア人。ローマ司教区のエクソシスト、作家、長老。
 

情報源:https://it.wikipedia.org/wiki/Gabriele_Amorth

4.エクソシストの月収
 

カトリックのエクソシストの一回の祓いは場合によって500€=84,825円(執筆時の為替レートに基づく)にもなり、月収は12,000€=2,035,916円にまでなることもある。ちなみに前教皇ラッツィンガー枢機卿の教皇時代の月収は2,500€=424,150円。現・教皇フランシスコは教皇就任後すぐ固定給を辞退した。

5.エクソシストの国籍

 

国際エクソシスト協会によるとイタリアのエクソシストは309人と突出して多い。次いでイギリス28人、アメリカ21人、メキシコとスペインは15人、チェコ9人、スロヴェキア9人、リトアニア8人、ポルトガル5人。

 

 

教会における悪魔祓いの歴史

 

 

【記事の翻訳】

 

悪魔が憑くという現象は流行と廃れを繰り返してきた。それを助長したのがヨハネ・パウロ2世とラッツィンガー枢機卿(ベネディクト16世)だ。フランシスコ教皇もそれに倣っている。


悪魔祓いを誰もが理解し信じていたが、中世ではその実践は最小限にまで縮小された。反対に現在では、より詳しく言えば20世紀の末以来、悪魔祓いは絶え間なく完全に復活した。

 

特にヨハネ・パウロ2世(1978~2005年)とベネディクト16世(2005~2013年)という二人の教皇以降、悪魔に関する問題について「保守的な神学思想を目覚めさせることに拍車がかかった」と同時に「活動中のエクソシストが自分自身や他の人の経験を共有することに都合が良い状況」を作り出した―これがフランシス・ヤングの本「ポゼッション」(カロッチ出版、アンドレア・ニコレッティ監修、マリーナ・メラート伊訳)の興味深いテーマである。

 

4世紀から現在まで連続した歴史を持つ唯一の組織としてのカトリック教会を語るのでは、もちろん、ない。教会史(訳注:カトリック教会史、以下教会史と略す)は本当のところ“カトリックの伝統”が前面に出すぎているため、著者は本の冒頭で“ラテンの西洋”という言葉を使い、“キリスト教初期数百年間のなかでカトリックなる言葉を纏って意味が曖昧になったことは自明のこと”と述べている。
 

とにかくエクソシズムに話を戻そう。エクソシズムが盛んだったのは古代後期、中世前期(476~1000年)、中世後期(1000~1492年)、16世紀、17世紀、そして現代もそうであるのは言うまでもない。だが異教の脅威は古代世界の末期および中世初期の数百年間で消失し、11世紀から13世紀は一種の空白だった。

 

「中世はエクソシズムにとって非常に長い黄金時代だった。この時代、神学者がエクソシストになることは滅多になかった。だからこそ興味を持ったとはいえ悪魔祓いが中世の危機的混乱の奥底にまで浸透した時代だった」と著者は指摘している。“中世におけるエクソシズムの危機”という概念は別の歴史家アンドレ・ゴドゥが数十年前に提示しているものだが、それは12世紀以来、聖人の人生においてエクソシズムに関する記録が減少したことから明らかである。聖人伝を見れば1100年から1300年の200年間に「エクソシズムと聖人との絆」は弱まっていったことが分かる。

 

1215年の第4回ラテラン公会議(ローマのサン・ジョヴァンニ・インラテラーノ教会に隣接するラテラーノ宮殿で行われたカトリックの代表者たちによる公会議)で、カタリ派による神学的脅威に対応するなかで悪魔に関する教理上の定義が初めて規定された。ナンシー・カシオラによるとカタリ派の脅威とシトー派修道会大修道院長ジョアッキーノ・ダ・フィオーレの千年至福説に対応する必要があったので、教皇イノケンティウス3世(1198~1216年)は超自然に対する教会の態度を決定的に変えた。

 

すなわち奇跡は神の恩寵として無批判で受け入れることはせず調査しなければいけない。その後これらの歴史的直観を確認したフローレンス・チャヴ・マヒールは、「悪魔の力の結集と解釈された魔法」に対する西洋の態度を決める転換点を教皇ヨハネ22世(1316~1334年)が示したと主張した。

 

カシオラ説では14世紀におけるエクソシズム儀式の回帰の原点は1378年から1417年の教会大分裂(教皇がローマとアヴィニヨンに並立したこと)にあるという。この時期、教会の権威や、人々の教会への信頼性は損なわれた。ヤングは基本的にカシオラやチャヴ・マヒールに同意するものの、イギリスの状況にほとんど注目していないことを非難している。

 

中世イギリスは「際立って先鋭的にエクソシズムの大混乱を経験した」とヤングは資料を用いて述べている。彼の見解ではイギリスにはエクソシストの儀式が根付かず、それは「悪魔と戦うための一貫した政治的理由がなかったことも、部分的な理由付けになると思う」。

 

だが欧州の他国では悪魔学者は魔女という形で「適切な題材」をエクソシストに提供していた。イギリスにも同種の展開があったが、それは改革(訳注:プロテスタントの宗教改革1534~1559年)後のことだった。


ヤングによると、より広範囲にエクソシズムを実行することについて話題になったのは16世紀のトリエント宗教会議(1545~1563年まで断続的に開催された)、第2回ヴァチカン公会議(1926~1965年)で、アイデンティティに関する非常に鋭い質問が挙がった時のことである。

 

二つの公会議で(この時代教会と政府の幾世紀にもわたる関係は基本的に重要と考えられていた)エクソシズムは教会組織を当惑させた。そのため18世紀および19世紀、教会はエクソシズムを抑え込んだ。別の言い方をすれば「異端や魔術の霊的脅威は、少なくともエリート層からは大黄な意味があるとは思われなかった」。

 

それではなぜエクソシズムが現代で再び息を吹き返したのか?19世紀末、教会に新たな霊的脅威が襲い掛かる、要するにフリーメイソンが指揮する地球規模のサタンの陰謀をレオ13世(1978~1903年)が固く信じていたことに起因するとヤングは考える。このような陰謀の根はフランス革命(1789年)やロシア革命(1917年)に遡ることができる。


現代の教会でエクソシズムが公式に実践されるようになってもなお、「エクソシズムの儀式は原始教会が根本に残る1700年代の儀式を現代に適合させたものであり、教会法から見て合法且つ現代の医学的診断で妥当性があるもの」でしかなかった。

 

第2回ヴァチカン公会議で初めて、教会は19世紀の共謀論(ユダヤ人、フリーメイソンの団員、世俗主義者が共謀して「悪魔の世界秩序」を作り出すというもの)から遠ざかることができた。公会議期間中、エクソシズムの名が出ることは決してなかった、「したがって公会議の布告という以上に、エクソシズムの歴史にとって第2ヴァチカン公会議以降神学から許可された自由は非常に意味あることだった」と著者は書く。

 

ゆえに第2回ヴァチカン公会議は「悪魔学を最小化する」傾向に拍車をかけた、とはニコレッティの見解である。エドワード・グラッチの1967年の著書に、「エクソシズムというのは、教会の名の下に行われる場合もあれば、私的に行われる場合もあるにせよ、悪魔が人や物に力を及ぼすのを抑えるための神への祈り以外の何物でもない」とある。

 

エクソシズムの実行は、「18世紀以降限りなくレアなもの」になり、1960年代に最も下火になった。バーナード・シャプットがケベック州東部で行った調査から彼がインタビューした教区司祭111人のうちエクソシズムの実践者は皆無という実態が明らかになり、チャプットは「悪魔の憑依を信じること」は「風前の灯」と推測した。
 

だがヤングは「第2ヴァチカン公会議に疑義を抱き軽蔑する伝統主義カトリック信者の一部が、あたかも公会議に反発するかのように「悪魔の陰謀」論を重要視したと主張する。エクソシストの復権を主導したのは第2次大戦中にドイツのトリールで活動し始めたドイツ人イエズス会士アドルフ・ロデヴィクだ。

 

1966年の彼の著書「現代の悪魔憑き」(セーニョ出版。ガブリエレ・アモルトの「エクソシストは語る」(デオニアネ出版)は続編)は新エクソシズムの福音だった。

 

1971年に出版されたウィリアム・ピーター・ブラッティの小説「エクソシスト」と、これを基にした映画「エクソシスト」はさらに効果的だった。

 

本、特に映画の影響でエクソシズムの実践が再び広がっていった。1973年タイム誌はスイスの小村に住む12歳の少女アネット・ハスラーが「両親も認めた、聖職者による殴打により死亡した」と書いている。また1974年ドイツの週刊誌デア・シュピーゲルはサンフランシスコでイエズス会士カール・パルツェルトが「若い夫婦と2歳の子供の悪魔祓いに成功した」と報じた。

 

しかし1970年代半ばのアンネリーゼ・ミシェルの事件が最もセンセーショナルだった。ミシェルはバイエルン出身の若い女性で、公会議に敵対的でピオ神父に献身的でしたがエクソシズムの悪魔祓いを受けてから数か月後に死んだ。


その後の裁判の際、ドイツの新聞は「バイエルンの超保守的な宗教文化の逆流」と表現した。

 

だがこの件はひどく複雑だった:アンネリーゼに“憑いた”複数の悪魔はイスカリオテのユダ、ルシファー、ネロ、アダムの息子カインの姿を模して現れ、フライシュマンという名の邪悪な司祭を装った。特に最後はアドルフ・ヒトラーの姿をしていた。

 

なぜヒトラーなのか?第2次大戦後、ベネディクト会修道士アロイス・マガーは、独裁者は「サタンの道具」と断言している。レオン・クリスティアーニも同様にドイツのナチズムに対する同胞の熱狂的な支持(ロシアや中国の共産主義を熱烈に支持することも同様に)をまるで「集団所有」のようだと表現した。

 

ミシェルの件は「ヒトラーに関するドイツの戦後処理がエクソシストの形をとって現れた」とヤングは書いている。悪魔祓いを求めたアンネリーゼは聖母からのメッセージを定期的に“受け取っていた”が、その後第2ヴァチカン公会議の典礼革新を承認することを宣告する悪魔を介して“予言者の悪魔“に憑かれた状態に変わった。

 

アンネリーゼは1976年7月1日に死んだ、死因は栄養失調と思われる。両親とエクソシストは“怠慢”により死亡を引き起こしたとして起訴された。ヴュルブルク教区は被告人に対する支援は一切しなかった。

 

ヨーゼフ・シュタングル司教は最初エクソシズムの実施を容認しなかったにも拘らず悪魔祓いを行ったエクソシスト達の共犯を疑われ、あと一歩で起訴されそうになった。模倣事件を防ぐためにドイツ司教会議は1979年エクソシズムに関する調査委員会を設立した。この委員会は将来的に同分野を改革するために聖省に調査結果を報告する義務がある…はずだった。


それから?20世紀の終わりに大衆文化においてはブラッティが、教会においてはアモルトが導火線に火をつけたエクソシズムの復活が短期間で燃え尽きると信じる理由はないとヤングは書く。

 

一部のカトリックの保守主義者から“リベラル”の同義語と見なされていた教皇フランシスコが「エクソシズムの儀式を心から信じる支持者」と公にして以来特に顕著だとヤングは考える。

 

また2014年6月13日聖職者省は国際エクソシスト協会を法的に承認する通達した。その後教会内部ではエクソシズムを「伝道の良い機会」と捉える見方もあり、「(エクソシズムは)今も昔も変わらず」と書いている。


だが「ポストモダン」の世界では「古代の慣行は、古代の人々の共通認識がある(意味を分かっている)状況で機能していることが多く」、それゆえ一部の人にとっては「憑かれるという現実」は儀式の心理的恩恵と比べて副次的意味合いしかないようだ。

 

何れにせよヤングは欧州及びアメリカで神父と一般信徒(地球上の他国にいる大多数のカトリックは計算に入れない)のかなりの数の集団が悪魔の存在とその活動の信憑性を過去から現在まで全く疑っていない。こうした連中にとってエクソシズムは非常に有効な治療法であり続ける。「エクソシズムの実践に対する脅威が」あった時代もあった。宗教の変化、典礼改革、政府や医師たちの圧力だが、儀式が「宗教市場で利用可能な数あるオプションの一つ」になるにつれて、今ではこのような脅威は消えたようだ。
 

教会内部では、アジア、南米、アフリカ出身の司教の影響力がグローバルなレベルで強くなっている一方で、攻撃的な勧誘を展開するペンテコステ派との競争も起こっている。全てはエクソシズムに関する欧州司教会議の最後まで懐疑的で慎重な態度に起因している。ゆえに、ヤングはこう結論付ける。エクソシストは今のままでいるだろう、少なくともフランシスコ教皇の在位中は。

参考文献


悪魔祓いに関するカトリックの見解、「神の指と悪魔の力」ガブリエレ・ナンニ(ヴァチカン出版、2004年)

 

「悪魔の政治と社会学」フィリッポ・バルバノ(セーニャリーブロ社、1995年)
 

「悪魔と悪魔、トリノと他の場所」(ボンピアーニ社、1988年)
 

1600年代の考察「侵略された体と魂の旅」エレナ・ブランビッラ(ヴィエッラ社、2010年)
 

1632年の事件を題材にした「ルダンの悪魔憑き」ミシェル・ド・セルトー(訳ロッザンタ・リスタ、クネオ社、2011年)
 

ジローラモ・メンギ(1529~1609年)のエクソシストの本「デーモンの災い」(ネーリ・ポッツァ社、1997年)も興味深い。

 

――――

 

このように、カトリック教会においては霊的な理由というだけではなく、教会の歴史で繰り広げられてきた論争もあって、その取り扱いは教会内部での政治的闘争の意味合いもあります。

 

ですが、今のヴァチカンの体制ではエクソシズム=悪魔祓いはカトリック教会における超自然的な「セラピー」として認められているのです。

 

 

次回は、実際の悪魔祓いの事例と、その解除=除霊の手続き・方法論について具体的に述べます。

 

ただいま、鋭意執筆中です。乞うご期待。

 

 

 

 

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