皆さま

 

人はみな個性をもっています。

 

あることを出来ない人、受け入れない人、反感を持つ人。

 

無理に変える必要はありません。

 

ただ頭の片隅に入れておいてください。

 

天地、自然は神なり

神様の世界は自然界であり、自然の恵みを与えられながら生きているのが人間です。

 

万物は等しく同じです。

 

神界、仏界、動物界、霊界も手が届く場所にあります。

 

これらの世界には争いも戦いも恨み、呪い、憎しみ、悲しみも一切存在しません。

 

不浄仏霊、「障り」を引き起こす霊は、この世に留まっているものです。そばにいて騒いだり、訴えたりしているのです。

 

供養とは感謝をする為の行いなのです。障りや祟りを鎮めたいなら、まず自分も変わらなければ解決は出来ません。

 

1.障りや因縁、祟りが怖くて仏壇やお墓参りをするのは止めましょう。

 

2.嫌々、お参りするのなら、金輪際止めましょう。

 

 

ご先祖様達の姿が見えないからと言って、嫌々手を合わせている子孫を見るのは辛くて悲しむはずです。

お墓参りをしなくても大事な子孫を恨んだり、障りを起こしたりしません。

多くの先祖の中に亡くなり方に問題があって、この世に未練を残したままの人がいた場合、供養は必要になります。

 

ですが基本的に先祖との信頼関係、ご先祖様を敬い気持ちがあれば不要となります。先祖の因縁、障りが収まるという事です。

もちろん、例外もあります。

 

ご先祖様の立場からみて、途中から宗教、宗派を変える行いは悪影響を与えます。先祖霊達の守護を消す事になります。

別に自分が変えたわけではないのに、と言い分はあると思います。

ここで間違っていけないのは、理由もなく関係のない子孫に障りは起こしません。気づいてくれそうなあなたに知らせているのです。

宗教や宗派を変えた人間、その人から見て血が濃い順番に障りは起きているはずです。

先祖の障りや祟りを怖がらず、感謝の気持ちを持った供養をする。それが本当の意味の供養の形なのです。



ご先祖様に向かって、「幸せですか?いつも私達を守って下さりありがとうございます」と。

 

 

嫌な思い出や生前の悪い記憶を思い出しながら、仏壇や墓の前で話をするのは止めましょう。

 

人間は皆、幸せになれるようにできています。心掛け1つで運命が変わります。考え1つで「魔」から逃げられます。悪魔に勝つ事も可能なのです。

魔は自分の外側にだけではなく、自分の心の中にも棲んでいるのです。

 

私たちは神さまから与えられた「神鏡」を持っています。

心の鏡が曇れば神さまは動きません。光を照らしてくれないのです。

いくら祝詞を唱えようが、それだけでは祓えない「こころの曇り」もあります。

前世のカルマを祓う祈祷はあります。現世で苦労をし苦しんでいる人間は恨み、妬み、嫉妬や逆恨みをしてしまいます。

幸せな人間は他人の事は気になりません。

 

何故、自分だけが?これだけ頑張っているのに?と最後は自分が嫌になります。

もし自分の前世を見てしまったなら、自分の不幸を恨むよりも精神的に耐えきれなくなり、まともな精神状態ではいられなくなるかもしれません。

自分自身が見るのと誰かに訊くのとでは違う結果になります。

許された人間だけがカルマを変える事が出来るのです。

前世の罪が消えかけている人。

 

前世の罪の償いを祓っている人(現世での苦労を一生懸命乗り越えようと努力している)、 または神様を信じている、信じようとしている、先祖を大事にしている等。

難儀苦労から逃げ出さず、泣きながらでも努力して乗り越えて行く姿を見て神様はカルマを終わらせてやろうと判断されるのです。

「この人間は、もう大丈夫だろう」と。

 

罪を償う事は楽ではありません。現世には天国も地獄もあります。

ですが地獄の中にも、ちゃんと神様はいらっしゃいます。苦労している姿を見守っているのです。

だから今ここで生きていられるのです。

苦労や苦しみから逃げ、自殺を選べば浮かばれないだけでなく、苦しみから神様が許すまで永遠に苦しみが死んだ後も与えられるのです。

自殺の名所は自殺霊が苦しみから逃げたい為に波長が合った人間に訴え、引っ張り込もうと仕掛けて来きます。

また、自殺者が自分が死んでいるのか生きているのか分からなくなり、同じことをずっと繰り返しています。

たとえば、飛び降り自殺の場合、ビル、海、崖だろうと飛び降り行為を何度も何度も繰り返しています。

そこに、死にたいと思っている人間や悩みや悲しみが強い人間と波長が合い、引っ張りこまれるのです。

交通事故現場も同じです。

私は依頼された時、交通事故の現場に行き、「帰りましょう、迎えに来ましたよ」と声をかけて、自宅や家族のところまで案内します。

それから供養を行います。現場に花やお線香は持って行きません。

霊を刺激する場合もあるからです。

子供さんなら親の写真や家の写真を持って行き、帰りたい気持ちにさせてから親の元に連れて行きます。

ただ、交通事故や事故現場で亡くなったからと全員が同じではありませんから誤解しないようにしてください。

自殺だけは自ら命を捨てた行為なので「成仏」させるのは難しいのです。

それほどまでに命を大切にする事は深い意味を持っているのです。

それでは幸せになる秘訣とは何でしょうか。

 

 

許す事

 

一歩下がる

 

腹が立っても我慢

 

喧嘩を売られても買わない

 

まずは聞き役に徹する

 

すぐに興奮しない

 

自分は偉い、自分は正しいと思わない

 

完璧な人間など存在しないと言い聞かせる

相手が悪くても、たとえ悪魔や魔物でも慈悲を持ち冷静になる

 

敵を作らない、争わない

 

人間には限界があるから自分で裁かなくても天に任せる

見返りを求めない。求めれば喧嘩や争いを引き起こしてしまう


 

慈悲=優しさ、労りの心を持てば敵は去り、魔が去り、見返りを求めなくても自分の行い言葉が幸せを運んで来ます。

相手が反省も感謝もしなくても、自分の行いは必ず何かの形で返ってくるものです。

 

人は、自分がしてあげた事しか言いません。してもらった事は言いません。

 

行い、言葉は生きています。

相手に見返りを求める心があるのです。感謝をされないと納得出来ないのです。

言わなければ分からない相手なら忘れなさい。

 

腹が立っても、何も変わりません。残りません。

争って勝っても次々と敵が現れます。

 

争いごとを止めたいなら自分が引くのも勝つ方法なのです。

優しさ、労りの心には魔の入る隙はありません。自分が変われば周りも変わります。運気も変わります。

 

どうしても戦わなければならない時は、神様の使いとして戦えば負ける事はありません。

暴言を浴びたら自分は冷静な姿勢で答えれば良いのです。

 

一緒になって興奮するから事が大きくなり運も逃げてしまうのです。

神様を信じる、信じたいなら自分は神様の使いだと思い、生きて行く習慣を身につけて欲しいと思います。

皆様はみな神様の子どもなのです。


万物は自然から生まれました。

太陽になって欲しいと思います。

大切な家族を守り目標を達成する。

慈悲の力は無限です。

心の神鏡を曇らせないよう与えられている力は慈悲を持てば発揮されます。

 

それが真の霊力なのです。
 

麗月 謹上再拝

 

 

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