皆さま。

 

呪術に精通している巫師の目から、日本の呪術系マンガ・アニメを見ると、そこにファンタジーとリアルとの違いをはっきりと指摘できます。

 

あまり真面目に取り上げなくてもいいのかとも思いましたが、最近は巫女になりたい人や呪術師になりたい人からの問い合わせもありますので、現実認識を改めていただくという意味で記事にしておきます。

 

今回取り上げるマンガ・アニメは、呪術廻戦です。

 

 

 

 

一応、劇場版アニメは観ておきました。見もしないで批評などできませんので。

 

そういわけで、ダーク・ファンタジーで描かれる呪術師とリアル呪術師の世界の違いを見ていくことにします。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

1.思春期・青年期の呪術師では使い物にならない

 

まず、設定として公立の呪術高専なる学校をベースにした青春物語が展開されています。

 

若年層向けのマンガ・アニメなので、学園モノという場面設定は定番でしょうが、青年期、しかも十代の若い人が呪術を学ぶとしたら非常に危険です。

 

なぜなら、リアル呪術師には特有の病があることが知られているためです。

 

巫病(ふびょう)は、呪術者・巫師(シャーマン)がシャーマンになる過程(成巫過程)において罹患する心身の異常状態を指します。

シャーマニズムにおいて、巫病は成巫過程の重要なステップと位置づけられています。


これは思春期に発症することが多く、具体的には発熱、幻聴や神様の出てくる夢、重度になると昏睡や失踪、精神異常、異常行動などが症状として現れます。
 

シャーマニズムの信仰において、巫病は神がシャーマンになることを要請していると捉えられます。本人の意志で拒絶することが困難であり、拒んだために異常行動により死亡するという事例も見られます。


巫病になった者は、たいていの場合がその社会の先輩のシャーマンから、神の要請に従うことをアドバイスされます。

 

巫病を経てシャーマンとなった者は、神を自分の身に憑依させることができ、神の代弁者となりますが、シャーマンとしての仕事を辞めると再び巫病を発症すると考えられています。
 

こうした例は、ユタ(沖縄県)、イタコ、ゴミソ(青森県)、トゥスクル(アイヌ)、韓国のムーダン(巫堂)などに生じることが報告されています。

 

医学的には、ノイローゼ、偏執、てんかん、錯乱などの精神症の一種と考えられていますが、医学的原因は明らかではありません。

 

なので、思春期の段階では呪術師としては、まだヒヨコも良いところで、心身とも未成熟です。

 

とてもじゃないけれど、戦闘などに呪術を使えるレベルにも達していません。自爆するのがオチです。

 

 

2.呪術師を養成する「学校」は存在しない

 

シャーマニックな力を身につけるためには学校など必要としません。

 

リアル呪術師の場合、特定の家系に生まれてきた者がその家族、親戚による指導を通じてコントロールされる形でゆっくりと育て上げられるのです。

 

生まれ持った血筋が全てですから、そういった家系とは関係のない人が呪術師にはなれません。

 

ただし、私塾という形で、特定の家系の子供たちを集めて訓練を行うことはあります。

 

また、新興宗教の中には霊能者を養成する道場を持っているところもあります。

 

真面目に考えてみると、学校を設置できるのは、国、地方公共団体、学校法人のみです。学校を設置する者は、学校の種類に応じて文部科学大臣が定める設置基準に従う必要があります。

 

どのような経緯で『東京都立呪術高等専門学校』が設置されたのかを示して置いた方が良いでしょう。教科、カリキュラム、教員の免許などの記述も必要です。

 

思春期・青年期の人間はまだ発達の途上にありますし、感情をコントロールすることが難しい場合もあるので、指導法を間違えると「歩く凶器」になってしまう可能性があります。

 

教員=呪術師の資質・能力も適性があるのか疑問です。

 

実際の呪術師は、成人になり、社会経験も豊富になり、人生の悲哀も味わいながら、キャリアが始まっていくのです。

 

指導者になる人物は。ある意味「枯れた境地」に達している仙人のような人物になり、むやみに争い事を起こすことを強く戒める者です。指導者は老賢者のイメージで描いた方がリアルに近くなります。

 

 

2.登場人物のキャラがダークすぎる

 

劣等コンプレックス、サイコパス、とにかく影のあるキャラが多く登場します。

 

ですが、こういうパーソナリティの人間が集まると常に争いや葛藤が発生して、殺人事件など危険極まりない事態になります。

 

そもそも、こいういう人が呪術を覚えると、100%呪詛師に闇堕ちします。

 

リアル呪術師の人格は、霊的感受性のみならず、情緒発達、対人スキル、認知発達、そして道徳的発達によって決まります。

 

術だけ身につけて、対人スキルが欠如しており、道徳性のかけらもない人物は凶暴この上なしです。

 

その他、男子であれ、女子であれ容姿、外見、ルックスなどは呪術のスキルとは関係ありません。

 

リアル呪術師の世界は男性優位の社会ではなくて、母系制で女性が世襲的に継いでいきます。女性呪術師の役割が大きく、影で活躍しているのは女性の方です。

 

 

3.呪術の意味の取り違え

 

呪術廻戦では、呪術師たちの守護神や守護霊に関する描写が不足していますし、それ以前に呪術の意味を取り違えています。

 

まじなひ【呪い】とは…神仏や霊力をもつものに祈って、災いを逃れようとしたり、また他人に災いを及ぼすようにしたりすること。また、その術のことです。

 

呪術がもっている光の側面は、個人や集団、社会、国家の安泰、利益を祈祷によって実現しようとする試みに認められます。
 

古代からの精霊信仰は、自然、祖先、動植物に霊魂を認め、これを呪師、巫師が操作調節することによって、人々の生活満足度を高め、幸福に導こうというものです。

 

そういう意味で、呪術は、「共同体」の幸福(Well-Being)増進のための「意識のテクノロジー」を含んでいるわけです。
 

一方、呪術の闇の側面とは、いうまでもなく呪詛です。

 

奈良・平安の時代から、個人的な怨恨から政敵を呪ったり、天皇の外戚の座をかけて皇子誕生を阻止するために呪詛が行われていました。
 

その副産物として、自分が呪詛をかけて葬った相手の霊魂が祟り、復讐しに戻って来るのではないか、という恐怖に基づく「怨霊」信仰が生じました。
 

また、自分に恨みを持つ相手の邪気、邪念をエネルギー源にする霊が自分に攻撃を加えてきているのではないかという「生霊」の概念も発生したのです。

 

呪術廻戦に出てくる「呪い」とは、人の負の感情や想念から生まれた呪霊、化け物が主体になっていて、それがしばしば生身の人間に危害を加える社会を想定しています。

 

負の想念体が生者に悪影響を及ぼすというのは、正しい認識です。

 

ただ、人の感情、情緒の負の側面にだけ焦点を当てているので、呪術とは幸福追求のためにあるという本来の意義から外れてしまっています。

 

それに、リアル呪術師の世界では、怨霊や生霊などの呪霊を呪術で攻撃して潰すというのではなく、いかに身を守るか、退散するように願うといった防御の為に使います。

 

人の悪想念は際限なく生じてくるものですから、各個撃破するのは徒労に終わります。いかに大難を小難に転じるか、被害を最小限に抑えるのかを重視して、守りを固める術式、祭式の方が非常に多いのです。

 

 

4.なぜ、何のために戦うのか?

 

呪術廻戦では、闘いの大義がよく見えてきません。

 

バトル系のマンガですから、とにかく戦闘シーンばかりがクローズアップされるのは当然でしょうが、身内や仲間のため死ぬまで戦うというのは果たして戦略的な合理性があると言えるでしょうか?

 

ここで、古代中国の軍事戦略書であり、戦争や戦略に関する古典的な文献の一つに孫子の兵法があります。

 

 

孫子の兵法の基本的な考え方や原則のいくつかを示しておきます。

計略と智慧: 孫子の兵法では、戦争は単なる力の競争だけでなく、知恵や計略の競争でもあるとされています。戦場での勝利は、戦術的な巧みさや計画の賢さによってもたらされると考えられています。
 

勝つための計画と戦術: 孫子の兵法は、勝利を得るための戦略と戦術に焦点を当てています。例えば、敵を欺く、敵の動きを読む、敵の弱点を突くなど、さまざまな手段を使って勝利を達成する方法について論じています。
 

知己知彼(自己と敵を知る): 孫子の兵法では、自己と敵の両方を理解することが重要だとされています。自分自身の強みや弱みを理解し、敵の強みや弱みを把握することで、より効果的な戦略を立てることができます。
 

速勝の原則: 孫子の兵法では、戦争において速く勝利を収めることが重要だとされています。時間をかけずに敵を打ち負かすことが、賢明な戦略とされています。
 

戦争の節倹(せっけん): 孫子の兵法では、戦争において資源を節約し、無駄を省くことが重要だとされています。無駄な衝突や過度な消耗を避けることで、戦力を最大限に活用することができます。

 

このように、孫子の兵法の基本は「負け戦はしない」ことを目標にします。このため敵と味方の兵力を冷静に見極め、勝てるときにしか戦わないという考えが示されています。

 

また、戦わずして勝つにはどうするかを考えるための智慧を磨き、外交交渉や情報戦や心理戦など武力衝突する前に結果を出すことを重んじるのです。

 

緻密な論理に基づいた知性、深い思考がリアル呪術師には要求されるわけで、いたずらに身体を張って死闘を繰り広げるのは愚策とされます。

 

脳筋状態の思考では闘う前に負けます。

 

まして、個人的な怨恨、復讐、報復、怒りから攻撃するだけでは無限に争いが続き、消耗戦に陥るだけです。

 

孫子曰く

 

君主は、一時の怒りの感情から軍を興して戦争を始めてはならない。
将軍は、一時の憤激に駆られて戦闘してはならない。

 

 

具体例を挙げれば、パレスティナ・イスラエル戦争が血で血を洗う泥沼になっているのと同じ事です。どちらかが全滅するまで闘って、そのあとに何が残るのでしょうか。

 

 

5.霊的エリート主義の危険性

 

呪術廻戦では、呪術師ではない一般市民のことを非術師と呼びますが、「非術師を抹殺し、呪術師の世界を創る」などという思想は、一種の霊的エリート主義です。一般市民を虐殺する理由は何でしょう。単に嫌いだから?

 

「呪術は非術師を守るためにある」という信念も、自分たちが選ばれた特別な存在であるという意識の延長に出てくるもので、霊的エリートを自認していることになります。

 

リアル呪術師は、日本の歴史の中で、社会の枠の外にいる人々、化外の民、被差別民でもありました。

 

神事を通じて市民と接することはあっても、普段は一般人とは関わらない日陰の存在です。

 

今もそれは同じです。

 

実際、犬神や狐、蛇などの憑霊信仰は一方で深刻な差別を生み、昭和30年代までその弊害が続いていた事実もあります。


しかし、時代を遡ると、神降ろしの巫女、経文読み、下級陰陽師、暦売り、祈祷師などは芸能民として畏敬の念をもたれていました。

 

また、中世の乞食(こつじき)、犬神人(いぬじにん)、神人(じにん)、寄人(よりうど)などの地位は、ケガレをキヨめることのできる特異な能力者の集団であり、神仏に直属する重要な職能人として人々からは畏怖・畏敬の念をもたれ、神聖な存在として社会的に認知されていたのです。

 

こうしたリアル呪術師の歴史を物語構成の中に取り入れておくと、いっそう深みのある作品になると思います。

 

時代考証もしっかりしてください。

 

まだツッコミどころはいくらでもありますが、この辺でいったん終わりとします。

 

 

 

 

巫師麗月チャンネル

 

 

関連記事

 

 

 

 

お問い合わせ等はこちらから

 

 

よろしければ下のバナークリックお願いいたします

 

巫師 麗月のブログ - にほんブログ村

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村