皆さま

 

今回は巫師が使う呪術について、なるべく具体的にお話しいたします。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 


Q.実際に巫師(祈祷師・呪術師)はどのように相手に術をかけたり、念を飛ばしたりするのですか?
 

A.巫師というのは、誰でも後ろについている眷属がついていますから、ひとつにはそれを使って「気」「念」を飛ばします。


それぞれに信仰している神様がいて、私たちでいえばお稲荷様と綿津見神なので霊狐や海龍のイメージですし、蛇を使っている人は蛇のイメージを使って、飛ばすのです。


眷属というのは古代から信仰されていた神のお使いのことです。日本では古代より動物自体が信仰の対象になっていました。それが私たちの意識の中で蓄積されてひとつの想念体となり、現代にも息づいていると考えていいと思います。


要は眷属とは人間のイメージがつくった想像上の産物です。その想像上の産物が「意識エネルギー」を持って、神社であれば神社の場を形成しているのです。
 

神社などに行くと、実際にそういったものが「いる」わけです。稲荷山に行けば、白い狐とか、いろんな色のものがいる。綿津見神なら龍宮伝説に通じますから海の龍、あるいは海鬼がいる。それは物理的な実体はないけれども、霊感のある人にはそれが「見える」のです。


以前にも述べたとおり、眷属と動物霊はイコールではありません。動物霊にもいろいろランクがあって、俗に「とりつく、たたる」などといわれるのは、低級霊です。昔から「狐憑き」といいますが、人に取り付くのは「野狐(やこ)」といって、邪念・邪気のかたまりです。


巫師が使うのは、神のお使いである眷属です。眷属も動物ではあるけれど、ランクが違います。稲荷でいえば「霊狐」となります。稲荷神のお使いである眷属です。

なぜこうした眷属を使うのかというと、イメージの強化の問題です。かっちりした強い意識の形があり得るから、強いイメージを作ることができる。それを相手に向かわせるような形です。だから離れていても遠隔で操作はできるのです。


本当は意識の中で強固にイメージできれば、眷属とは関係なく、だれでも気は飛ばせるのです。祈祷師というのは、そういうイメージトレーニングを徹底的にやっているのです。青い太陽とか、黄色い海とか、あり得ないものも、まずイメージさせられるというトレーニングをするのです。はっきりと眼前でそういった、ある目標としている状態をイメージできるのです。
 

このイメージ能力が非常に強いところが特徴だと言えますね。

 

これとは別に祈祷師は「念を操る」ということもします。人間の意識というのは深いところでつながっていますから、この「集合的な意識」を媒介して作用させるのです。こちらは気を飛ばすのと違い、時間的影響を受けない。瞬時に効果が出ます。
 

遠隔地から行うヒーリングや祈りといったものも、「集合的な意識」を媒介して効果をもたらせていると考えられます。私たちの基本は、対面状況でなくても遠隔でほとんど全ての仕事をやってしまいます。わざわざ時間と労力をかけて現地に行かなくても済みますから。


神智学・人智学の用語でいえば、「気」はエーテル体、「念(感情・情念)」はアストラル体と言い換えることもできます。エーテル体(身体心)なんかは物質に近い。アストラル体は想念なので、感情的なもの、エネルギーだけで影響を及ぼせる。その違いです。
 

動物霊(眷属)を飛ばすというのはエーテル体を飛ばすということとも言い換えられます。いわゆる念力とか、気による治療に近い概念ですね。だから時間差があるのです。


これらとは別に「術」を使うということもあります。術は気や念をその目的や結果に応じてコントロールするための手続きのことです。

 

神道や密教、修験道などの宗教伝統の中に、昔から口伝されて門外不出とされた修法があり、その中には唱えるべき祝詞や祭文、お経、供物の整え方、使うべきシンボルなど、いつ、どこで、何をどのように行えばいいのか、術のかけ方と解き方に関する知識体系が伝わっています。

 

私たちは古式に則って、その手順を守り、相手の心身や相手に起こる出来事に影響を及ぼすテクニックを知っているのです。

 

これには何千年も前から行われてきた古代呪術の祭祀というものもありますから、今ではほとんど知られていないものも含まれています。一族の口伝もありますし、実際に古代の祭祀場や遺跡にまで赴いて古代人が使っていた呪術について学んだりもしました。古いものを呼び起こすのです。


話を整理すると、「気を操る」、「念を操作する」、「術を使う」、これが祈祷師の3大スキルといってもいいと思います。


この3つのスキルはそれぞれのケースによって使いわけをしています。しかし最終的には自分の気力とか、念の力の勝負となります。全身全霊を使って、体でそういうものを飛ばす。テクニックはもちろんありますが、最後はその人の気力と思い、想念の力です。

 

Q.さきほど話に出た「集合的意識」とはユングの言う集合的無意識と同じような概念なのでしょうか。


A.基本的にはそう考えて結構です。意識の世界は個人の中でのみ広がっているものではなく、「集合的な意識」という宇宙規模のネットワークだと思うのです。それが相互にリンクしあっているということです。
 

つまり私たちの考えでは「意識」とは、個人の境界を越えた、情報の集積されたシステムではないかということです。


集合的意識がまず土台にあって、そこに個々人の意識がポコッ、ポコッと水の泡のように出ているというイメージで考えると分かりやすいと思います。個々人の意識がそういう集合意識を通して、相互リンクしているという、そういう形でイメージしたほうが、この世界というか、この宇宙というものがつかみやすい。


いわゆる夢のお告げとか、虫の知らせ、シンクロニシティなどというのもすべてそうした意識の「相互リンク」だと思います。


Q.私たちの意識というのは、誰とでもお互いにリンクしあっているのですね。

 

A.意識というものは時空を超えて、ある人物とほかの人物との間で「同調」する性質を持っていると考えられます。集合意識の領域では、自覚ができなくても、いろんな情報の交換が起こっているのです。

早い話、瞬間的にこちらが思ったと同時に、相手のほうで何か起こっているということです。ここにAさんがいて、Bさんがいるとします。AさんがBさんに対して、呪詛の気持ちを持ったとします。思った瞬間に、Bさんの身に不幸が起きるということです。その逆もありますが。


AさんとBさんの意識がリンクしていないならば、たとえAさんが「呪ってやる」と思っていても、Bさんには何も起こらないはずです。しかし、Aさんがそうやって腹の中で、あいつ、もう死んでしまえばいいのになどと思っていると、それは意識の領域を介在して、ほんとうにBさんに悪影響が及ぶのです。


しかしながら、現実問題として必ずBさんに作用が及ぶかというと、そうとはいえません。Bさんに「守りの力」が働いている場合がありますから。守りの力というのは、守護霊の場合もあるし、Bさんのそのときの運気の問題もあります。Bさんが運気上昇の真っ最中であるならば、多少の恨みつらみなどは跳ね返してしまいます。


逆に守りの力が働いていなければ、本当にやれるということがあるのです。私たちは実際の経験として、そういうことを何度も見てきたのです。その経験を通して、意識というものはつながっていると信じざるをえなくなったのです。


経験上の理論だけではなく、結局、そう考えないと筋が通らないわけです。そういう文献物もいろいろ読んだし、やっぱりそうなのかと考えざるを得ないなと。


アメリカではトランスパーソナル心理学に限らず、医学系や、生命科学など、理系の人たちがそんなことを堂々といっています。


一例を挙げればアメリカの医師・ラリー・ドッシーが挙げられます。この人はCAM(相補・代替医療)の世界的権威です。彼は医療のあり方を3つのレベルに分けています。


第一期は肉体的な医療。これは従来の西洋医学ですね。第二期は心身の相関した医療で、東洋医学の考え方に近い。第三期はサイキック、スピリチュアル・ヒーリングです。このレベルに来ると、物理的な医療はなにもしない。専門的な知識などなくても、集合意識にダイレクトにつながり、情報を引き出し、病気を治癒させるということです。


眠れる予言者といわれるエドガー・ケイシーなども、まったく医学的知識はなかったけれど、集合意識(アカシックレコード)にアクセスして、「この人にはこういう薬を処方する」という情報を引き出していたと考えられます。


集合意識というのは「宇宙的な意識」と言い換えてもいいのですが、あらゆる宗教などもここにつながることを最終的な目的としています。そのためにみんないろいろ修行するわけです。ただ、そこへ意図的にアクセスできる人間はやっぱり限られた人ですね。

 

 

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