皆さま。

 

祈りの力シリーズも最終回を迎えます。

 

これまでに述べてきたことのまとめとして、これからの社会が向かっていく方向性について提言を行います。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

Q.世の中の浄化とともに、自身の願望、運気アップも祈っていいのでしょうか。
 

A.公と私は分けたほうがいいですね。集団でやるときは公に関することでしょう。集団の利益に関すること。個人の祈りはまた別途行ってください。
 

Q.いやらしい考えかもしれませんが、これを行うことによって、自分の幸せにつながるという側面がありますでしょうか。
 

A.大きな気持ち、心を持っている、拡張しているということですから、その人の精神的な発達というか、自己成長というものを促す。そういう意味で、公共の利益を考える時間が持てることは、回り回って自分の利益にもつながります。

また祈りを通して多くの人たちのプラスのエネルギーと交流することによって、自分の運気も上がってきますよ。公の利益を考えられる人たち、そういう気持ちを持っている人たちというのは、ある意味、社会的にも安定している人でしょう。

そういう人たちが交流し合ったら、もっと高まって、お互いにプラスになります。それはいい仕事が来たりとか、いいご縁をいただいたりということにもつながります。

だんだんいい循環が起きってくるのです。だから、それは自分個人にメリットがあるといえば大きなメリットがあるのです。


Q.先生は企業経営においても、「スピリチュアル経営」ということをいっておられますね。
 

A.これは企業経営といった場合に、愛他的な精神を持つということ、利益の一部は必ずそういった人を助けるために使うということ。そしてエコロジーを企業活動の基盤として考えるということ、こういったことがスピリチュアル経営の要素です。

「ディープエコロジー」という概念があるのですけれども、これは生きているものはすべて平等であって、地球の自然保護問題というのは、人間だけの利益で考えるのではなくて、生きとし生けるものすべてが楽に、幸せになれるようにという考え方をします。

そういう意味で「あらゆる生命のための利益還元」ということをしていくのが、このディープエコロジーから導かれるスピリチュアル経営ですね。

これまでの経営は株主、経営者、従業員、顧客といったステークホルダー(利害関係者)の利益を追求するというものでした。

とくに株主の利益を追求する姿勢が最近強まり、さまざまな弊害を生んでいるように思います。そうではなく、「生きとし生けるものすべてが楽に幸せになる」ことをミッション(使命)とするような経営が求められているのではないでしょうか。

Q.人のために役立つのは何とかなるのですけれども、生きとし生けるものすべてに役立つ企業活動というのはなかなかむずかしいのではないでしょうか。
 

A.この地球の中で人間だけが生き物ではないということをまず考えるのです。人間は本来自然の一部でした。ところが、今、人間と自然は乖離してしまっているのです。対立するものになってしまった。自然を支配し、コントロールしようといる。その発想自体が間違っているのです。資源の枯渇も招いてしまうし。
 

Q.しかしながら、人間の行っている経済活動で、生きとし生けるものに迷惑のかからないものはないのではないでしょうか。
 

A.だから、その発想を根底から変えるということです。根本から。それは極論すれば、「人間にとってのもうけだけを考えない」ということです。経済成長を前提にした発想ではないのです。経済は減退しても構わないというか。つまり、それは貧しくなれということでもあります。

自分たち人間を中心に物事を考えないということです。地球ということを考えるのであれば、私たち人間はこの星の一員にすぎないわけです。その一員がもう80億人にまで増えてしまっていて、これだけ個体数が増えている生物というのは、非常に危険な状態なのです。

だから、人間の数は減るべきだというのがディープエコロジーの主張でもあるのです。ホモサピエンス、人間は適正な数まで減ったほうがいいと。それくらい迷惑をかけているのです。だからもっと人口を減らすということです。少なくていいじゃないかと。そうすると、食糧危機の問題はなくなります。

Q.ディープエコロジーの思想は比較的新しいものですね。
 

A.提唱者のアルネ・ネスは90年代以降のエコロジー運動に大きな影響を与えている人物です。本も何冊か出ています。それを読んでみると、スピリチュアリティということに大いにつながってくることをいっているのですね。彼自身は、そういう実践をやっているので説得力を持っている。自分自身の生き方も、ライフスタイルも。人間のライフスタイルを根本から変えないとだめだというんです。

それは自然と一緒に暮らす、あるいは自然に抱かれながら暮らすということです。都市生活だけをしている人から見たら、今は非常にほど遠い状態にあるから、いずれにしても不便とか、不自由ということを覚悟して、生活の質というものを多少落としてでも自然とともに歩むというようなライフスタイルに切り換えていかないと、地球規模の環境破壊は止まらないし、天候の異変もどんどんひどくなっていくでしょうし。

 

明らかに人間の人為的な活動によって、温室効果ガスが増えているわけだから、それによって、こういった温暖化現象、気象変動が起きているわけですからね。

そろそろ地球に対して「ごめんなさい」と謝ってやらないと、もう間に合わないですよ。
 

Q.スピリチュアル経営を超えた、スピリチュアル経済ですね。エコロジーの考えとスピリチュアルは、どのような部分で共通しているのでしょうか。
 

A.同じことになりますが、人間というのは、この生態系の中の一部にすぎないということです。
 

スピリチュアリティというのは、結局、自然との一体感をいうわけです。つまり、意識が拡張していったら、人とのつながりだけではなくて、自然とのつながりとか、地球とのつながりとか、宇宙とのつながりといったところまで発展するわけでしょう。
結局、自己意識が拡張するということは、いろんなものと一体化していく事を意味します。そのためには人間中心主義の発想ではもう限界なのです。


Q.「大きな祈り」をしていると、いわゆる「至高体験」が感じられる可能性がありますでしょうか。
 

A.至高体験というのは個人の願望成就でも起こるし、大きな祈りでも起こりえることです。光を感じる人もいるし、恍惚状態にもなります。それはもうすごい「感動体験」です。ものすごく感動して、感情が込み上げてくる。魂が震えるというのが一番合っているのでしょうが。ものすごい感動を伴う体験ですね。
 

それは向こうから来るものだから、いつとはいえないけれど、私の場合だったら拝んでいる最中にどーんと来ます。

霊地に行ったときに、たまたま体験する人もいます。そこへ行って、ひどく感動して、なぜかわからないけれども、涙がぽろぽろ出るといった体験ですね。そういう反応が出てくる場所が、本当は一番自分に合っている場所なのです。霊的というか、波長がその人に合うのです。

Q.それは「解脱」とか「悟り」の体験ということでしょうか。
 

 

A.それとは違います。至高体験というのは感動体験、「悟り」というのは、「なにもない状態」ということですから。

私がいつもいっているのは、生まれたばかりの赤ん坊のような状態、子どものような天真爛漫な気持ちに戻るということが「悟りの状態」ということで、それが人間の一番ナチュラルというか、自然な姿なわけです。

ただ、まったく赤ん坊と同じということではなくて、私たちが大人になっていき、自我を確立した上で、そういった気持ち、赤子のような気持ちになれるかということなのです。それが本当の心の平安だと思います。

そのために必要なのは意志の力だと思います。自分がどういう人間になりたいかという意志です。

完全に天真爛漫な赤ちゃんの姿を人間の理想像と考えていくならば、それに向かって進んでいく途中で、必要なものだけは入れるけれども、不必要なものは捨てるということです。

 

余分なものは切り捨てていくのです。余分なものというのは、生活のムダを省くということでもあるし、自分にこびりついた穢れ、汚れを少しずつ落としていくということでもあります。

社会的地位や立場も、財産も、すべてを切り離していったとき、最後に「何もない状態」になったものこそが、本当の「自分」なのですから。

特に、「人生の午後」、中高年になったときに、どこまで自分の所有しているものを手放していけるか、さらに高齢者にとっては、自分の老いと死の問題に直面するわけで、死を超える希望を持ちながらも、今ここに生かされているという実感を保ちながら、一日一日を穏やかに安らかに暮らしていけるようになることが課題になると思います。

Q.天真爛漫といっても特殊詐欺もいる中では、自己防衛も必要ではないでしょうか。
 

A.意識を拡張していくと、そういうものと自然と出会わなくなっていくし、縁がなくなる。変わってくるのですよ。何も考えない、純粋な心でいれば、詐欺もよってきません。

そういう人は自分で所有しないのでしょうね。所有しないから、だましとられるものもないし。
 

ここまでの話をまとめてみましょう。私たちは必ず死を迎えるときが訪れます。人は生まれて、成長を遂げて、一人前の社会人として生産活動に携わり、やがて老いていき、病んでいき、死に至ります。

人生の午前から正午、つまり社会の第一線で活躍するようになるまでは、精一杯努力して、一生懸命に働いて、これが自分なのだというアイデンティティを確立することが課題です。そういう時期には、自分の目ざすものを追求し、手に入れ、ときとして現世利益を願うことは自然なことだと私は思います。

また、生きていく中で、不安になることや悩んだりすることも自然なことです。何も考えずに、悩みをスルーしてしまうとか、現実と向き合わない、自分と向き合わずに流されて生きていくよりも、厳しい現実や辛いと感じている自分と向き合い、深く内省をして生きるための智慧を磨き高めていくことが大切です。絶対に悩みや苦悩から逃げないことですよ。

そして、人生の午後、中年期や老年期にさしかかり、仕事もリタイアしてからは、そうやって自分が獲得してきたものを、「自分のおかげだ」と考えずに、「神仏のおかげ」、「ご先祖様のおかげ」、「自分を支えてくれた人様のおかげ」だと考え、目には見えないつながりや、人間を超えた力に対する畏敬の念と感謝の気持ちを持って、自分を支えてくれた人たち、さらには社会や世界のために何か役に立つことをして、恩返しをしようと思うことです。

 

そのような行い(カルマ)の積み重ねが、あの世や来世の自分の有り様を変えていくきっかけになります。

そのときに、自分が培ってきたものを社会的に還元する。自分が所有してきたものを手放して、それを人や社会、世界のために役立てるアイデアを考えてみる。

 

みな、お陰様で生かせてもらえているのですから、自分の人生の幕を下ろす前に、何か1つでも陰になってくれた存在に恩返しをしていくことが肝要なことだと私は思います。

そういう1人1人の思いが「大きな祈り」につながっていけば、これほど素晴らしいことはないと思います。

 

【祈りの力 完】

 

 

 

 

 

 

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