皆さま。
一人一人の思いは弱くても、同じ想念をより多くの人々が共有するようになると、それが集団意識となって大きな祈りになることがあります。
神社にしても寺院にしても、もともと人々の感謝の気持ちが積み重なって良い意識場となっているのです。
今回は大きな祈りについてお話しいたします。
よろしくお付き合いくださいませ。
Q.今、些細なことでも文句をつけたり怒鳴りこんできたりする「クレーマー」が増えているのが問題化しています。カスタマーハラスメントという言葉も定着していますし。病院も学校もクレーマーにビクビクしています。病院でも受付で、「入院の要領はどうなっているんですか」とか、患者さんがすごい剣幕で怒っていたり……。
A.病院の経営者は、本当にクレーマー対策に頭を抱えているのです。いつ訴えられるかわからない世の中ですから。学校はモンスターペアレント対策に必死になっています。そういうことがあると、また場もどんどん悪くなってくるのです。みんながもっと穏やかにならないと。それは本当に大事なことだと思います。
Q.みんながギスギスして、自分のことしか考えていない社会になってきているような気がします。
A.本当に成熟して自我を確立した人は、人に対しても受容的な態度をとれるようになってくるものなのですね。エゴイズムではなくてね。ある意味、人の痛みとか、苦しみとか、そういったものが共感できるようになるわけです。
その過程で、人との本当の意味でのつながりというものが認識できるようになる。それは身近な人とのつながりということに始まって、遠く離れた人とかね。それをもっと伸張すれば同じ星には生きているけれども、多分一生出会うことがないであろうという人とのつながりとかも。
Q.たとえば戦争や飢餓で亡くなってしまうかもしれないというような、地球上の見知らぬ人とのつながりですか。
A.そうです。そういった人たちのことも思う瞬間を持つ。そのために「大きな祈り」の心を持つということが大事だと思うのです。我々が生活していく中で、常時思うことはできませんからね。
Q.大きな祈りということですが、それはどのように行えばいいのでしょうか。
A.これは、ある程度自分が心にゆとりが持てるようにならないと、なかなか実践は難しいですけれども、例えば天変地異とか、災害が世界的規模で起こったりしますね。そういったことをひとつのきっかけとするわけです。
今年は能登半島地震がありましたが、そこで被災した人たちのことをおもんぱかる。亡くなった人のことも思いやるのです。
本当は大きな事件や災害もなくても、普段から、そういったもっと大きなこと、いろんな人のことを思いやって、万人が安楽に暮らせますようにというような祈り方ができればいいのですが、なかなかそこまでに至りませんよね。
だからなにかあったときをきっかけとして、なるべく広く、会社単位とか、日本単位とか、世界単位とか、だんだん祈りを広げていく習慣を持つといいと思います。
こうした「大きな祈り」はなるべく集団で持ったほうがいい。それも共通の運命とか、共通利害とか、なるべく人類が運命共同体なのだという意識を持った人たちが集まった方が、大きな現象は起こりやすいのです。たとえば学校で言えば部活動とか、サークルとか、そういう単位でもいいですけれども。
Q.集団というのは、何人ぐらいからということになりますか?
A.集団は三人以上から形成されますが、もちろん多ければ多いほど、効果というか、現象は現われます。そして強く祈れば祈るほど、現象は大きく強くなります。
日本経済回復とか、世界的飢餓をなくすとか、すぐには解決が不可能だと思われるような大きなことも、みんなが同じ気持ちで同時に思えば、本当にあっという間に解決できるのです。要はみんなの気持ちが一つになれば、物事は叶いますから。それは100%いく。
Q.祈る人の思いがひとつにならなければだめですね。
A.何かを実現させようとするならば、もちろんそうです。みんながてんでバラバラなことを考えているならば、結局は何も起こりません。人々の思いがひとつになれば、それは一個の「場」になるのです。みんなが同じ気持ちにならないと、それが合体融合しないから。
以前にも述べたように、私たちはそれぞれの「意識場」というものを持っていますが、それが全体的な集合的な意識場にはならないということです。大きな現象を起こすのであれば、それは集合的全体的な意識場をつくったほうが早いのです。
先ほどの病院の例でも、もしもスタッフがバラバラなことを思っていたら、そこの病院は、スタッフ同士も、患者さんともコミュニケーションが全然とれていないはずです。経営的にも破綻するでしょうし。逆にチームワークがいいところは「気」が一つになってくる。みんなの気持ちがひとつになっているから。
会社も同じです。チームワークがいいとか、悪いとかというのは、場がひとつにまとまっているかどうかということにもつながっています。
Q.日本の国をよくしようといって集まった100人のうち、一人が日本なんかどうでもいいと思っていたとしますね。そしたら、その九九人の意識は無効になってしまうのでしょうか。
A.無効にはならないけれども、マイナスのこと、逆のことを思っている人間がいれば、それによって現象が起こりにくくなるということがあると思います。多数決の論理というのがあるから、おおむねその方向に流れていくだろうけれども、全然違うことを思っている人がいれば、100%ということはあり得ないですね。
でも、逆に言うと、全員が同じ気持ちになるというのは気持ちが悪いことでもあるのです。私が懸念しているのは、ファシズムではないけれども、スピリチュアルとか、宗教の世界というのは、そうやってひとつにする、一体感を味わわせることで、人を救済したり、心の安寧、安心を得たりとかという部分があるのです。
ところが、みんな同じ意識とか、みんな同じ考えで統一しなければいけないということは、一人でも違うことを考える自由がないということですよ。だから、そこには多様な表現があってもいいなとは思うのですが。
その人ができる表現でいいから、少なくとも思いのレベルでは一緒で、違う表現をしていたらいいのではないかということです。そこはちょっと私は分けたいのです。多様性があっていいし、多神教的な発想がないと集団とか、組織というのは創造力が出てこない。クリエイティブにはなれないですから。
多様性を認めるということです。でも、そういう文化を日本は持っている。そういうのを取り入れてきているわけだから、そういう意味の寛容性は捨ててはいけないと思います。
Q.今、日本は政治も経済も、それから霊性の部分においても、非常に危機的状況にあるといわれます。この状態を脱却するためにみんなで祈るというのは?
A.それはもちろん、結構なことです。私の言っているのは、集団念力の力をカルト的な目的に使うことの恐怖であって、それをポジティブに、正義の祈りとして使うのであればまったく問題はありません。
多くの人が祈ればもちろんそれだけの効力があるし、意識場が形成されますから。
Q.みんなが心から祈ることが大事ですね。
A.それはもちろん気持ちを込めることです。真心というか、本当に本心からそう思えるかどうかということ。
よくきれいごとはいうけれども、腹の考えはどす黒いとか、どろどろの人がいますけれども、そういう人はいくら祈ったって、腹の中が真っ黒だから、その気持ちが出てしまって、まともな祈りをしない。残念ながらそういう人は本当に多い。エゴ・インフレーション(自我肥大)を起こしてしまっている。自分の利益だけですよ。
利他の心、感謝の気持ち、慈悲・慈愛の精神が今ほど必要な時代はないと思います。
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