皆さま

 

自分の祈り、想いが叶いやすい人とそうでない人との違いは何でしょうか。

 

この問題についてさらに詳しく掘り下げてお話しいたします。キーワードは暗示の力です。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

Q.ほかに祈りを叶えられやすい人と、叶えられない人と違いというのはあるのでしょうか。
 

A.叶いやすい人は、完全にビジョンをつくる力が強い人。想像力、イマジネーションが強い人です。それから、気の強さ、念の強さ。だから念力の問題ですよ。善悪は関係ない。念が強い人って、絶対それを形にするから。


叶いづらい人はさきほどいったシャドウの強い人ですね。それから自分の中にブロックが多い人というのがあります。
 

自分で自分にブロックをかけてしまう人です。ブロックが強ければ強いほど、いくら願ったり、拝んだりしたって、全部跳ね返されてしまうから。

 

そういう人は、まずブロックとか、緊張をほぐすというところから始めるのです。体の緊張をほぐすとか、そんなところから始めることが大事です。
 

Q.ブロックというのは願望実現を阻む壁のようなものでしょうか。それは前述のシャドウとは違いますか?
 

A.ブロックとシャドウは違います。ブロックは自分に対する規制。たとえば、あるブロックの強い人がAということを祈りますね。ところが、「Aということが叶うわけがない」という気持ちが、マイナスのベクトルとして常に出るのです。


「ダメに決まってるだろう」とか。上澄みと沈澱のようなもので、それが結局、現象を起こさないというか、ブロックになっているのです。それだったらもうヘタに祈願などはしないほうがいいということになります。祈れば祈るほどマイナスの現象を起こすことになりますから。

 

ようするに、ここで言っているブロックというのは、シャドウとは違って、自分の可能性を否定する感情や、マイナスの自己イメージのことなんですね。
 

Q.ではどうしたら本当に心から「そうなる」と信じて祈れますか。
 

A.「そういうことにならないはずがない」ということを自分に強く言い聞かせるのです。自己暗示にかける。つまり「A」ということを実現させようと思うのだったら、「ノンA」になるかもしれないという気持ちをつぶすことから始めます。

それはもう、「できないことはない、できないことはない」と自分に言い聞かせるのです。口に出したほうがいいと思います。

 

それは自己暗示ですから。自己暗示がひいては念力につながってくるのです。本当の取りかかりは「自己暗示」です。「できないかもしれない」という否定的なビジョンが湧いてきたら、それを消します。

 

暗示の力については、過去記事をご覧下さい。

 

 

また前述した「祈った後、忘れる」というのは、自分自身に対して否定的なイメージを湧かせない・持たないという意味でも有効なのです。

 

いつまでもあれこれ考えていると、シャドウがついてしまうから、ぱっと忘れてしまって、もうどっちでもいいやと開き直ったほうがいいのです。

 

結局、実現しないと本当に困るのだという不安が強すぎるから焦りにつながるのです。だから、どうでもいいやと開き直ったり、どっちに転んでも、人生、何とかなるさくらいに考えるということです。
 

私もまさしくそうなのですけれども、実際何とかなっていますし。どう考えても客観的にまずいという状態に追い込まれても、どうにかなってきたということがあるのです。

 

だから、一たん〝計らい〟というものを捨てて「あるがまま」「自然体」でいく。
 

こうしたい、ああしたいという計らいを捨てて、お任せするのです。

 

それは人に任せるでもいいし、大いなるものというか、神様任せという気持ちもいいでしょう。

 

だから、7日間とか、21日間とか、祈りの区切りというのは、そういう意味があるのです。7日間は拝みますけれども、終わったら、あとはお任せなのですよ。 


もうひとつ。

 

シャドウを消して、こびりついているいろんな穢れを一つ一つ祓うために有効な言葉があります。それが「六根清浄大祓」です。穢れを祓うにはこれですよ。ちょっと長いのですが。もうひとつ「天地一切清浄祓」というのがあって、こっちは短いのです。


これを祈るときに唱えることによって、自分の中の穢れ、汚れを消し去ることができ、祈りに集中できます。これは本当に効果がありますよ。
 

特にシャドウの強い人、邪気・邪念が強い人は、この祝詞を何百回でも唱えることをお勧めします。最低でも自分の年齢の数は唱えてほしいと思います。

 

市販の祝詞集に入っていますので、お手元にあるといいでしょう。

 

自分のリズムで、暗記していても祝詞を目にしながら、たどたどしくても構わないから心を込めて奏上してみてください。

 

Q.願をかけ始めている間の日常生活はどうすればいいでしょうか。
 

A.もっとも大切なことは「日々を穏やかに過ごす」ということです。神と向き合っている時間ですから。常に高きもの、崇高なるものとつながっているのだという心持ちでいることが大事です。


けんかなどはとんでもない話です。それは絶対我慢して、怒らないこと。怒っちゃだめです。感情が乱れるということはやってはいけないのです。感情は喜ぶということでも乱れます。それはそれでいいけれども、やはりなるべくそういうものは振り回されずにフラットでいる状態がいいのですよ。

 

一喜一憂しないことです。


子どもを叱るというのはしつけだから構わないけれども、「叱る」というのは、感情で「怒る」というのと違うから、そこは区別することです。
 

いろいろ感情をかき乱すような出来事もあるでしょうが、とにかく期間中は穏やかにやることですね。特別な時間なので。言ってみれば非日常の時間ですよ。
 

怒りの波動が出ている家とか、そういう心理状態とのときに拝んだり、祈ったりしたって、それは相殺されてしまいますから。
 

今は凶悪事件などがいっぱいあります。メディアのニュースを見るとそこでまた感情が乱れますよね。だからこの期間はなるべくそういうものの情報も入れないのです。

 

つまりもう外界からの情報を隔絶する、遮断するというくらいの気持ちでいたほうがいいですね。外部からの情報に振り回されるというのはよくないのです。内側の神なるものと向き合う時間ですから。
 

もちろんそれで、特に心が乱れないという自信があるのなら、別にメディアからの情報を見ても構わないけれども。平常心を保つ。平静を保つ。心に波風が立たない状態を目指すのです。
 

Q.けんかを売られても買わない(笑)。
 

A.少なくともその期間は買わない。そういうところで精神を鍛練するのです。実は願掛けをやっている期間というのは、大抵の場合、じゃまが入るものなのです。

 

挑発されたりとか、けんかを売られて、心をかき乱されるような出来事が起きたりするのです。それを「お試し」といっているのですけれども、自分の心を試されているということなのです。どこまで動揺せずにもちこたえられるかという。


そこでけんかを買ってしまったり、大きく感情を乱してしまったりすると、その祈りは「御破算」です。もうおしまい。やり直しになってしまいます。
 

だからその意味でも最初のうちは願掛けは最短コースの七日間からはじめたほうがいいでしょうね。
 

Q.願いごと自体も小さいものからはじめたほうがいいかもしれませんね。
 

A.それはありますね。とりあえず小さなもの。疑いの余地の差し挟まれないくらいの小さいレベルだったらブロックにもじゃまされにくく、願いが叶いやすいですから。
 

Q.祈りの心を起きてから寝るまで保ち続ける必要はありますか。

A.それは祈るときに思い切り向き合えばいいわけで、それ以外は普通に生活すればいいと思います。


もしちょっと暇ができれば、願望達成のイメージなどをちょっと頭の片隅に置けばいいでしょう。ただそれも始終イメージしている必要はありません。

 

当然日常生活をしなければいけないわけだから、そういう生活上の活動に従事しているときは忘れていてもいいのです。

 

このように、暗示の力というのは人の行動を変化させ、イメージを明確にさせ、行動や考えも変わるから積極的になっていく力として働くのです。

 

 

 

 

 

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