皆さま

 

伏見稲荷大社は稲荷山と呼ばれる東山連山の1つを中心に、現在は神道の神殿と無数の祠から構成されている稲荷信仰の総本宮です。

 

明治の廃仏毀釈までは稲荷本願所愛染寺という真言系の寺院も建っていて、神仏両方の稲荷の聖地でもありました。
 

仏教系の本願所が稲荷山に成立したのは記録上、応仁の乱以降15世紀後半の頃であり、17世紀に確立されました。

 

本願所愛染寺の住職天阿上人(1598-1674)は真言密教にしたがって神仏習合的な稲荷の行法を体系化していった人物です。

 

天阿上人は近世に流行した稲荷神の使いとしての狐=眷属信仰に深く関与しています。

 

愛染寺では狐落としの祈祷を行い、稲荷系シャーマンの養成も行っていました。
 

 

稲荷一流大事

この祭文は伏見稲荷大社本願所愛染寺の初代住職天阿上人の自筆本に基づくものです。

 

その源泉は室町時代(1408)にまで遡ることができます。

 

愛染寺は神仏習合時代に伏見稲荷大社にあった真言宗のお寺で、両部神道に基づく祭事を行っていました。

 

以下に示すのは、いわゆる荼吉尼天法に関係する経文、祭文、真言の抜粋です。

 


荼枳尼天の図

 

もともと門外不出とされていたものですが、伏見稲荷大社(編)1957『稲荷大社由緒記集成-信仰著作篇』(伏見稲荷大社社務所)に収録され、公刊されました。

 

この時点で荼枳尼天法は「顕教」となり、その奥義もまた失われてしまったとも言えるでしょう。

 

とはいうものの、往時の祭祀の様子を知るためには十分すぎるほどの情報が含まれているので、雰囲気を嗅いでみたいという方向けに解説も加えます。

 

 

<大日如来真言>

オン・バ・サラ・ダ・ド・バン 七難即滅
オン・ア・ビ・ラ・ウン・ケン 七福即生

合掌印


――――

<荼吉尼本尊真言>

オン・ギヤク・ソワカ
ダキニ・ギヤテイ・ギヤ・カ・ネイエイ・ソワカ

(十万返  千返  百返  百三十五返 唱える)

 

――――

 

<三種神歌>

ちはやぶる、稲荷の宮の、しるしには

我思うことを、みつのやしろに

ちはやぶる、とよのみまえに、とのいして

我思うこと、神も答えよ

遠けれど、召せばぞ参る、召したまえ

富草も食べ、いえつとにせん

我胸を開きて、三返召し入るなり

 

――――

 

<稲荷和讃>

 

供物をととのえる……赤飯、餅、酒、菓子、油物

十七日間の願掛けの時は、午の日、午の時に開始し、子の日、子の時に結願する。

三日間の願掛けの時は、酉の日、酉の時に開始し、亥の日、亥の時に結願する。


 

帰命頂礼、観世音
垂迹、稲荷大明神
千手千眼、如意輪よ
大慈大悲、十一面
和光利物之化現は
三所権現、新也
四之大神、多聞天
田中之明神、不動尊
妙音化現、弁財天
地蔵応用、十禅師
命婦者、文殊垂迹
小薄普賢、等流なり
法性之都、おたちいで
同居の堺に、あとをたれ
衆生に、福徳得させつ
二世の願を、満て給え
我等が宿縁、深くして
信心誠に、あさからず
明神利生之本懐は
今更円満したまえり
我願既に、満ちぬれば
諸数の望みを、また足んぬ
除災與楽の、衆生者
皆人同じく、蒙りぬ
百年栄花、事ありて
後生善所の 刻には
本願まさに、顕れて
来迎しょうを 疑わず
此土の結縁、始めにて
彼の土の利物の、終わりなり
現世後生の、得益は
明神利生の、故そかし
極楽浄土に、生まれては
六神通を、具足して
娑婆に帰り、来たりては
一切衆生を、引導せん
一切如来、大慈悲
皆集一体、観世音
八寒、八熱、奈落かは
大悲一人代受苦

願以此功徳、普及於一切、我等与衆生、皆共生仏道

 

註.稲荷大明神の御利益を称える和讃。お稲荷様の神と仏が習合している様子がハッキリとうかがえる内容になっています。

 

――――

 

<稲荷心経>

本体眞如住空理
寂静安楽無為者
鏡智慈悲利生故
運動去来名荒神
今此三界皆是我
有其中衆生悉是
吾子是法住法位
世間相常住貪瞋癡之
三毒煩悩皆得解脱
即得解脱
掲諦掲諦   
波羅掲諦
波羅僧掲帝
菩提薩婆訶
多呪即説呪曰

 

稲荷真言 オン・キリカク・ソワカ (3回唱える)

 

 

和訳:


本体とは、真理そのものであり、それは空の理に住している
寂静、安楽であり、永遠絶対な者である


その 智慧と慈悲による利益のため、常に動き回り行き来するものがいる

これを荒神と名づける

今、全世界はみな私のところにある

そしてその中で生ける者全てが私の子供である


これは真理そのままの姿であり

生滅変化してやまない世間の相も永遠にそうであることが本来である


これを心得れば 貪・瞋・癡 の三毒煩悩はみな解脱を得る 直ちに解脱を得る
 

『往けるものよ 往けるものよ 彼岸に往くものよ 彼岸にはるか往く者よ 悟りよ共にあれ』

この真言を説けば すなわち次のような意味になる

「邪行の垢を取り除いて幸せにしてくださいますよう心からお願い申し上げます」

 

 

註.稲荷心経(とうかしんぎょう)というのは般若心経の稲荷バージョンであり、愛染寺に伝わるお経です。日本において編み出されたもので、サンスクリット原本やチベット大蔵経にない経典になります。嘘か誠かは知りませんが、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康もこのお経を読んで天下人になったという前説が経本の巻頭に書いてあります。伏見稲荷大社付近の神仏具店にいけば経文を売っています。神社でお経を売っているところがいかにも神仏習合の趣があります。

 


<秦乙足神供祭文>

謹請辰狐神王
謹請天帝尺使者
謹請天女子使者
謹請赤女子使者
謹請黒女子使者
謹請八大童子式神使者
謹請頓遊行式神使者
謹請須臾馳走式神使者
謹請十二神式神使者
謹請二十八宿式神使者
謹請三十六禽使者
謹請堅牢地神使者
謹請東方青帝地狐木神御子
謹請南方赤帝地狐火神御子
謹請西方白帝地狐金神御子
謹請北方黒帝地狐水神御子
謹請中央黄帝地狐土神御子
謹請野干博士野干御子
謹請長髪美麗豊福御子
謹請如意自在豊富御子
謹請天地両番所生

一万三千七百五十八人式神使者

みな来たりて座につき、献するところ尚饗 (再拝再拝)

 

註.秦氏の陰陽道式祭文。式神(式鬼)を召喚するための呪文が入っています。

 

 

 

以上が伏見稲荷大社に伝わる荼枳尼天法の抜粋となります。

 

これを全部通しでやると何時間もかかります。

 

おまけに、神道、密教、陰陽道が混ざり合っていて、それぞれの世界観について理解がないと修じることは難しいです。

 

なので、これは稲荷信仰の上級者向けの祭祀法だと思ってもらったらいいでしょう。

 

荼枳尼天(だきにてん)は、仏教の神(天)であり、夜叉の一種とされます。

 

この名前は、梵語の「ダーキニー」(Ḍākinī)を音訳したものです。また、荼吉尼天、吒枳尼天とも漢字表記され、吒天(だてん)とも呼ばれます。

 

荼枳尼“天”とは日本特有の呼び方であり、中国の仏典では“天”が付くことはなく荼枳尼とのみ記されます。ダーキニーはもともと集団や種族を指す名ですが、日本の荼枳尼天は一個の尊格を表すようになりました。

日本では、稲荷信仰と混同されて習合し、一般に白狐に乗る天女の姿で表されます。

 

伊豫稲荷神社 荼枳尼天の図

 

 

狐の精とされ、稲荷権現、飯綱権現と同一視されることもあります。また、辰狐王菩薩とも称されます。 荼枳尼天は剣、宝珠、稲束、鎌などを持物とします。

荼枳尼天の起源は、裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女=ダーキニーです。

 

ダーキニー

 

 

インド仏教や大乗仏教では、荼枳尼天は羅刹女の類であり、荼枳尼の害を除くための呪文などが説かれています。

 

また、中期密教では大黒天によって調伏され、死者の心臓であれば食べることを許可されたという説話も生まれました。

 

後期密教では性的儀式に関連づけられ、性愛信仰と結びついていった面もあります。

 

日本では、性愛呪術として邪教と呼ばれた真言立川流などもあります。

荼枳尼天は、日本では、開運出世や商売繁盛、福財をもたらす神として人気を集めています。

 

仏教稲荷としては、岡山県の最上稲荷、愛知県の豊川稲荷が有名です。

 

 

まとめ:秦氏の稲荷信仰とは?

 

 

神仏習合時代の稲荷信仰の様子を知るための資料として、今回は荼枳尼天法に関する祝詞、経文、祭文をご紹介いたしました。

 

皆さまの多くは稲荷=狐を連想されると思います。

 

しかし、狐が稲荷神のお使い、眷属であると認識されるようになったのは平安時代以降の話であり、江戸時代に確立されたイメージです。

 

深草地区に移住してきた秦氏は、最初から狐をお使いだと考えて祀ってはいませんでした。

 

木・火・土・金・水の五行の神々を祀り、自分たちの氏神=祖霊神を祀ったのです。

 

実際に今でも稲荷山を回ってみると、古代祭祀の名残をかいまみることもできます。

 

たとえば、長者社にある「剣石」は、磐座信仰の痕跡であり、巨岩をご神体として崇めるものです。

 

長者社の剣石

 

それに、傘杉社のある一帯は、水の神、蛇神信仰、龍神信仰のゾーンでもあります。

 

杉は「蛇」の象徴として、これも古くから続いている信仰です。

 

杉のご神木を拝む

 

こうした日本古来の信仰を破壊することなく、秦氏は自分たちが祀ってきた神々を上書きするような形で、稲荷山を神聖な山として拝したのです。

 

古代の自然信仰と動物信仰を併せる形で何重にも信仰が堆積していき、独特な信仰体系が形成されていったのが稲荷信仰です。

 

稲魂、穀霊信仰との接点もありますが、それが全てではありません。稲成り=稲荷と転化したという説は間違いです。後世の後付けです。

 

むしろ、神の脅威、威力の「威」が成り立つ偉大な神として祀られたのが、秦氏の「威成信仰」だといえるでしょう。

 

 

 

 

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