正一位 伊豫稲荷神社

 

皆さま

 

私たちの氏神さまは稲荷大神です。京都の伏見稲荷大社が総本宮になっていますが、いつもお参りに行けるわけではありません。

 

ですが、近くに稲荷神社はありますので、そこへは定期的に参拝するようにしています。

 

今回は氏神様である伊豫稲荷神社についてお話しいたします。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 




ご祭神:主祭神…宇迦能御魂大神 外 爾々芸命、伊邪那美命、菊理比売命、大宮能売命


由緒:「當社の創祀は弘仁年間(810-823)と伝えられ,現在の伏見稲荷大社の稲荷大神様をお祀りした全国でも由緒正しき稲荷の古社です。氏子地は仁平3年(1153)に伏見稲荷大社の荘園,山崎荘となった。山崎荘は後に河野氏の所領となり,神領地として稲荷村の知行が神主に安堵された。藩政時代は大洲領,後に分藩した新谷領となったが氏子地は両藩にわたり両藩主の祈願所となった。信仰上,神仏習合と呼ばれる時代には谷上山宝珠寺末院の十二坊が参道に並び建っていたが,正保4年(1647)ごろ,唯一神道を主張する星右京大夫(ほしのうきょうだゆう)によって社僧が追い払われ十二坊は廃された。享和2年(1802)正一位の神位が勅許となり,明治の制では郷社,昭和8年に県社となった。」(境内の案内板より)


私たちが最初に稲荷大神とのご縁をいただいたのが、ここ伊豫稲荷神社です。そこから稲荷大神との結びつきが深まるとは思ってもみませんでした……。

 

 

伊豫稲荷神社の拝殿

 

ここは愛媛県内の稲荷大神の元締め的な存在です。さらに、1200年前から存在する稲荷の古社というのも珍しく、勧請された京都の伏見稲荷大社と稲荷ネットワークで直結しています。

 

だから、伊豫稲荷神社で拝めば、その想いは伏見稲荷大社にもダイレクトに届くようになります。神仏習合の名残も多く、祭神にも修験道の神が認められます。

 

かつてこの地には背後の谷上山に山林修行の行場があり、神道、仏教、修験の行者が多数出入りしていました。唯一神道の影響で江戸時代に寺院は廃寺となりました。


さて、この神社のパワー・スポットは奥宮です。

 

まずは、本殿で参拝を済ませ、社殿右の道を進んでいくと、やがて朱の鳥居列が見えてきます。階段を上っていくと、奥宮にたどり着きます。

 


奥宮 命婦社・久美社

 

私たちはもちろん、他の巫師たちも奥宮は畏怖の念を感じさせられるくらいの神霊エネルギーであふれています。巫師にとってははっきりと神籤が降やすい場所なのです。

 

ただし、ここに祀られているお稲荷さまは、たいそう気性も荒く、好き嫌いがハッキリしています。

 

知り合いの巫師がここにお参りに伺ったときに

 

「お前はここへ何をしにきた。お前のような欲深い想いを持ってくるとは、この場が穢れる。ただちに帰るがよい。二度と来るでない!」
 

と、こっぴどく叱られ、逃げ帰ったといいます。こころのケガレをたいそう嫌う神さま(眷属)なのです。

 

奥宮の入り口上には空を飛ぶ九尾の狐に乗った女神の額が飾られています。これが荼吉尼天を象徴していることがすぐに分かるようになっています。

 


 

 

奥宮の中には、命婦社、久美社と呼ばれるふたつの社があります。

 

 

ここで拝み始めると、全身を気が駆け巡るような猛烈な反応がきます。この場所で「お言葉」を頂戴することもあります。ただ、日頃の行いについて「お叱り」を受けることも多く、まだまだ俗物的な自分から脱却していないと思い知らされることになります。

 

久美社は、地元では「久美さん」と親しみを込めて呼ばれています。ここには「九尾狐」に関する昔話があるのでご紹介しておきましょう。

 

久美さん

 

昔、九州から来たという旅人が、郡中の湊町にあった「門茂(かども)」という宿に来て泊まりました。この旅人は病にかかっていたので、しかたなく長い間、この宿に泊まること になりました。

そのうちに、持っていたお金も使い果たし、宿賃もはらえないようになりました。宿の主人はその旅人を親切にもてなしました。

元気をとりもどした旅人は、自分が今まで大切に持っていた細長い箱を出して、「この箱の中には、珍しい不思議なものが入っています。これは、わたしの命と同じくらい大切なものですが、今日まで親切にしていただいたお礼において行きます。」と、いい残して、ふ たたび旅に出ました。

宿の主人が、その箱の中をあけて見ますと、 大そうりっぱなきぬおりものに包まれたキツネの尾が出て来ました。つけねの切り口は、ミイラのようになっていて、尾は九つに分かれ、黄金色にかがやいていました。

この不思議な話は、やがて、町中に広がっていきました。ところが、これを見せ物にして、 ひともうけしようと考える五人組があらわれ ました。五人が、大金を出し合ってゆずってもらいました。

最初に家に持って帰った人は、まもなく最初に家に持って帰った人は、まもなく、 口実をつくって次の人に預かってもらいまし た。この尾は、ぞおっと背筋に寒さを覚えるような、不思議な力がこもっていたからです。 次の人も、長くは持っていませんでした。五人組の人は、誰かに預かってもらおうとしま したが、誰も預かってくれませんでした。

困り果てた五人は、キツネは稲荷神社のお使いであることを聞きました。そこで、さっそく、稲荷神社の氏子である、灘町の宮内小三郎さんら五十人ほどの人に買いとってもらい、稲荷神社へおまつりすることにしました。

 

それからはずっと、稲荷神社の宝物として、大切にされ、今は、宝物殿におさめています。

ある夜、稲荷神社の神主さんの夢の中に九 尾のキツネ(久美さん)が出ました。神主さんは、その尾を、神社の南のすみにまつり、久美社と呼びました。この久美社にお願いすると、いろいろな願いごとがかなえられるとい われています。人々は、「久美さん」とよんで、お参りするようになりました。

この九尾のキツネの尾は、九州の鍋島家に、ずっと昔から伝わっていた、日本で一つしかない宝物でしたが、蔵の番をしていた家来が、こっそり持ち出したものだといわれています。

この尾は白に茶色がかった毛がまざり、金色とも、白色とも見られ、元の部分から九つの尾に分かれています。

 

「伊予稲荷神社宝物館」文化財保存管理活用調査委員会(2023)より引用 

 

この九尾狐の尻尾は伊豫稲荷神社の宝物館に収められています。

 

御利益があるかどうかは、参拝に際しての自分のクレクレ念の有無、純粋な想い、祈願に際しての真剣な態度など、条件があります。一つでも間違えれば祟り神にもなりますし、逆に邪心のないこころで向き合えばお助けの力も加わると言うことです。

 

どうぞお参りに行ってみて下さい。

 

 

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