皆さま
私たちの親神様は先祖代々、稲荷神さま(母神)と海神さま(父神)と決まっております。
お稲荷様とのご神縁は深く、いつも私たちの進むべき道をやさしく照らしてくださり、海神(わたつみ)の神さまは道を外れそうなときにきびしくお叱りの言葉を投げかけて律してくださいます。
今回は、母神さまの降臨鎮座された場所の中でも、伏見稲荷大社の奥の宮と呼ばれている折上稲荷神社について、巡礼記としてご紹介いたします。
よろしくお付き合いくださいませ。
折上稲荷神社のHPをご覧になれば分かるように、ここは伏見稲荷大社と同時期に田の神として降臨された聖地にあります。
京都へお参りに行くときには、伏見稲荷山を挟んでレイライン上にある大社と折上様の両方に必ず参拝するようにしています。
最近はインバウンドも復活して伏見稲荷大社の方は日本人よりも外国人の方が多いような状況が続いていますが、あまりにもにぎやかすぎる環境では信仰や真剣に祈りを
捧げるのに苦労をすることになります。よほど早朝に参るか、それとも夜参りに絞るとかの工夫も必要となります。
これに対し、折上稲荷神社の方は、どういうわけか、いつお参りに行っても静寂そのものです。けっして無名な所ではなく、働く女性の守り神として知られている神社でもあるので、よほどタイミングに恵まれているのかもしれません。
祈りの場としての静謐性が保たれていることは、集中して拝める神社の一つになっています。
折上稲荷神社の本殿
まず、本殿でご挨拶をしてからいつも拝み倒すお社が三九郎稲荷社へ。
折上稲荷様が降臨されたときにお使いとして共に降り立った三頭の白狐をお祀りしているお社となります。
三九郎稲荷社
人生の三大苦労=「人間関係・健康・お金の苦労」を取り除いてくれる苦労狐の御利益があるとされます。
その右手には、札辻大明神と弁財天社があります。
札辻大明神社・弁財天社
仏教稲荷については以前解説していますが、稲荷神と弁財天との間には親和性があります。
中央には白蛇のお姿をした石とご神鏡が置かれ、両脇にはお狐様がいらっしゃいます。ここでもひたすら拝み倒します。
稲荷塚 中臣群集墳跡 古墳稲荷の典型例
中臣群集墳墓群は、栗栖野丘陵にある円墳の群集墳から成り立ちます。
いずれも6世紀末から7世紀前半に造られ、13基の古墳があったといわれていますが、大部分が破壊され、残った古墳の一つが折上神社古墳で、稲荷塚と呼ばれています。
ここには多くのお塚があって御利益巡りができるようになっています。
私たちがお参りに行く目的は、依頼された仕事が成就するように力添えを頂くためであってて、自分の利益、私利私欲ではありません。クレクレ参拝だけは間違ってもしません。
写真撮影については、全て参拝が終わってから神さまにお断りを入れます。
その上で正中(参道中央=神さまの通り道)からすこし左右にずれたアングルから撮らせて頂いています。
カミゴトをする立場としては、何よりも神さまと向き合い、一心不乱に拝んで「結果」を頂くことが目的です。あとは参拝したときの証拠として写真を撮らせて頂くようにしています。許しが降りないときは写真も撮りません。
参拝後、三九郎稲荷社のお社の脇に「メッセージ」が張り出されていたことに気がつきました。
その内容を以下に記して結びといたします。
嫌いな人間について 三九郎稲荷神社
我々が職場などで嫌いな人間で悩むと、むしろ自分自身がその相手に支配されることになります。そしてそれは、我々の睡眠・食欲・健康・幸福までに及んできます。
相手は、少しも傷つかず、かえって我々自身が、日々、地獄の苦しみを味わうことになります。つまり、ネズミー匹追い出すために、家全体を焼き払うようなものです。
相手を憎むことにより精力を果たし神経質になり、寿命まで縮めていることを知ったら、相手は手を打って大喜びするでしょう。
好まない人間について考えたりし、一分間たりとも時間を無駄にしないことです。
嫌いな人間の炎が自分の体の中へ入ってきたら、すぐさま消し忘れることです。考えてはいけません。そして尊敬する人を、愛する人を、楽しいことを心に入れましょう。
せっかくの人生、嫌いな人間について考える時間がもったいない。価値のあるものだけに費やさなくてはいけません。嫌いな人間のことを腹が立つといって至るところで悪口を人にいいふらし、その人間を「持って離さず」、身を滅ぼす人がなんと多いことでしょうか。
神道では言霊信仰といって、言葉には霊力が宿っていて、いい言葉を唱えると幸せ
が悪い言葉を唱えると不幸がやってくると古くより言われます。
人間関係にご利益のある三九郎稲荷さまのお札を祀り、お守りを所持してください。
そしてあなたを助けてくれる人に一人でも多く恵まれ、嫌いな人間に悪口を言われようが、「そんなことに構っている暇がない」という自信に満ちた態度で、いきいきと輝いている人物となってください。
日本の言霊信仰(ことだましんこう)は、言葉自体に霊力が宿っているという信仰です。
この信仰によれば、ある言葉を口に出すと、その内容が実現するとされています。古代日本では、言葉には霊が宿り、その霊の力が作用して言葉に表されたことが現実になると考えられていました。
言霊信仰は、祝詞(のりと)や忌言葉(いみことば)など、言葉の選び方にも影響を与えています。例えば、祝詞は神事で唱えられる特別な言葉であり、忌言葉は縁起を担いで避けられる言葉です。また、万葉集には「言霊の幸はふ国」と詠まれるなど、言霊の概念が古くから大切にされていたことがわかります。
現代でも、言霊の考えは日本の文化や日常生活に根ざしており、「痛いの痛いの飛んでいけ」のような言葉にもその名残を見ることができます。
言葉には人を動かす力があるという古来の信念は、今日においても意識や行動に影響を与えています。言霊信仰は、日本の精神文化の一部として、言葉の大切さを教えてくれるものです。
関連記事
お問い合わせ等はこちらへ
↓
よろしければ下のバナークリックお願いいたします
↓