皆さま。
今回は「霊感、霊能、霊媒体質」についてお話しします。
まず、大原則を先に書いておきます。
私たちは「目に見える現実の世界」から逃げ出さないことが肝心です。
現実逃避をしたところで、何の問題も解決しません。
自分が霊感・霊能・霊媒体質になったという人はゴロゴロいます。
しかし、その多くは現実逃避から「目に見えない世界」が見えるようになったという人です。
霊能力と霊媒体質、霊感体質は同じです。
修行をしたお陰で霊力がついた。
ある日、突然、神様(光)が現れて霊能力者になった。
あなたは、そういう話を信じますか?
過酷な修行といいますが、日本の修行は適当で楽な方です。
中国やインドの修行は、誰でも出来る簡単な修行法などはありません。
しかし苦行をしたから霊力がついたといった話は大げさに言っているだけだと思います。
ただし、鋭い勘、直感は身につきます。
厳しい修行とは単に霊能力を身に付けるだけではなく、自分の精神、考え方を変える為の修行のことです。
霊能者は依頼者の代理として「魔物」、「霊」を自分の体に受けてから祓います。
つまり、人の身代わりになって、たとえ自分の命と引き替えになっても祓い続ける宿命を背負っているのです。
その為には肉体を鍛えなければ霊や魔物にやられてしまいます。
そこで滝行、寝ずの行などをします。
ですが、これも霊能力とは本来は関係ないトレーニングです。
真の霊媒体質、霊感体質、霊力は生まれ持つ力が全てなのです。
途中で、霊感、霊媒体質になった。
言い換えると、途中で霊能力がついた人間は「魔の爆弾」を背負わされたのと同じです。
いつ爆発するか分からない魔物や低級霊、行者の霊が憑きやすくなります。
自分で勘違いして霊能者として生きることは、最後に見返りを求められ、自分だけでなく家族も含めて「大切なもの」をその代償に取られます。
これは私の前の代から経験した事ですが、私たちの一族は山伏系、僧侶、霊感占い師などの祈祷や祓いを数多く手がけてきました。
霊的なプロのはずなのに、どういうわけかプロが祓いや祈祷を依頼してくるのです。
理由は簡単です。
自分で祓う力がないからです。
山には悪大蛇、悪天狗がいます。
修行で亡くなった霊、動物霊、獸などが頻繁に現れやすい場所が山です。
川や海、湖は自殺霊や霊界を探してさまよう霊が現れやすい場所です。
ただし、水の波動は生きている人間、死んだ人間も同じ波動を持っていますから、たとえ取り憑かれる事があっても祓う事は簡単なのです。
海でとり憑かれた場合は塩水ですから、塩の力で命は守られます。
塩は祓いに使うからです。
ただし、山や火、炎の関係する場所で霊に取り憑かれた場合、とても厄介です。
大蛇は人間の欲、特に妬みや憎悪の念が大好物です。
たとえば、天狗は飯綱権現以外は悪魔と同じです。
なので、そういう魔物に取り憑いたら、憑かれた人は精神を病み、病魔に冒されたり、家庭不和、事業や仕事を失います。
山伏系や修行僧の霊に取り憑かれたら、中々簡単には外れません。
なぜなら、宗教に関わった霊だけは魂も肉体はもちろんのこと、運命、運気まで乗っ取ってしまうからです。
誤解してほしくないのは、私は修行僧や山林修行者の死者の霊が全て悪霊だといっているのではありません。
死んでもなお、修行を続けている霊もいます。
また、ある程度の霊力を身につけた人の霊は、生きている人を導く力を持っているケースもあります。
さて、途中で霊媒、霊感体質になった方、途中で霊能力を授かった方は、早く手を打たないと地獄を見ることになるので注意して下さい。
大蛇や神仏に関わった死霊は、初めは信じさせる為に、あらゆる力を得たように信じ込ませます。
その人の魂を支配し、あたかも自分が全知全能の神になったかのように誘導するのです。
その結果、「途中で霊媒、霊感体質になった人」は、「苦しみという名の玩具」で弄ばれる結果になりやすいのです。
途中から霊感、霊媒体質になったという人の場合、女性は初潮を迎えた頃から、男性は恋愛や女性を意識し始める頃からが悪霊や魔に忍びよられます。
その時に感情の変化や乱れが生じると、取り憑かれるのです。
その点、生まれ持った体質や霊力とは意味がまったく違います。
生まれつきの霊媒、霊感体質はあくまでもその家系の遺伝です。
・前世で修行中に亡くなった、あるいは修行が中途半端な状態で亡くなった。
・前世で自殺した。
・前世で罪が深く、来世で償うと神に誓った。
・神仏に対して無礼を犯したか、あるいは神仏に縁がある者に対して罪を犯した。
・前世の罪を償う為に神が与える宿命を受け入れた。
・そして霊感、霊媒体質の人間と同じく、修行中に中途半端で学んだり、神から与えられた事を志半ばでやり終えることができなかった。
このようなカルマを背負っている人は、現世でも霊的な問題と直面し、霊的に敏感な体質になることがあります。
これは悪い意味で言っているのではなく、本物の霊感、霊媒体質、霊能力者もいれば、低級霊、悪霊、邪霊、獸霊に取り憑かれた霊感、霊媒体質、霊能力者も存在するという事を知って欲しいのです。
人間は皆、生まれ育った環境も違います。
宿命が違うだけでなく血筋、先祖、前世、使命、全てに違いがあるのですから、神社も神様も皆、それぞれ違うのはごく当たり前なことなのです。
皆が同じ神社、同じ神様と相性が合うとは言えません。
霊能者の場合、どのような神仏を信仰するかは、まず相性が合うか合わないか、ご縁があるか、家系、前世を調べてからでないと危険な結果になります。
霊媒体質や霊感体質は辛く苦しいだけです。
自分で自分の体質と向き合い、その苦しみを少しでも和らげるための方法を習得しなくてはなりません。
・祓える時に祓い、自分で祓えないなら他力を借りてコントロールをする。
・自分の意識の波動を調整し直す。
・信仰=自分だけの神様を持つ。
自分の魂の中に神様は宿っています。
それが宿命なのです。
命は自分だけのものではありません。
肉体も魂も命も全ては神様からの借り物なのです。
人生が修行であり、地獄も極楽も現世にも存在し、私達は人生の旅をしています。
私たちは、それぞれの人生の中で旅をしているのです。
明日は何が起きるのか?不安もあれば、楽しみもあります。
辛さや悲しみが湧いたら夜空を見つめて下さい。
楽しい、嬉しい時は自分をほめてみて下さい。
自分の家族をほめてあげて下さい。
自分だけが楽しむのは、もったいないですよ。
同じ気持ちを分かち合う時が悟りなのです。
麗月 謹上再拝
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