皆さま

 

呪師(じゅし)とは、寺院で祈祷や呪法を行った僧侶のことです。呪文を唱えて加持祈祷を行い、法会の後には呪文の内容を猿楽や田楽などの芸の形で演じます。

平安末期ごろから、華美な服装をして仏事の余興に呪法の内容を種々の技芸で表わすようになりました。
 

また、呪師は、呪い=まじないをする職業でもあり、呪禁師(じゅごんし)とも呼ばれました。

 

呪禁師は、日本古代の律令制において、宮内省管轄の典薬寮に属した官人のことです。 道教系の方術使いであり、彼ら呪禁師は呪文を唱え一定の作法にしたがって悪気をはらい病気や災難を除去しました。

 

陰陽師は天文・方相の吉凶を判断することが主な役割でしたが、道教の術法によって病気治しや予防を行う呪禁師は陰陽師とは別に置かれていたわけです。

 

奈良時代末期、吉備真備によって典薬寮は廃止され陰陽道に吸収されました。

 

 

呪術に関するマンガ、アニメ、ライトノベルなどが人気を博しているようですが、これをファンタジーとして楽しむ分には何も申し上げることはありません。

 

ただ、呪術を使った戦闘描写や人間離れした活躍は呪術の実際を正確に描いているとは言えず、誇張されたイメージを読者や視聴者に植え付けていて、空想の域を超えています。超人願望を増長させるような側面もあるように感じます。

 

ファンタジーとリアルの違いを認識するためには、呪術というものに対する固定観念を壊していく必要を感じます。

 

今回は、陰陽師の呪術=方術に関する話をします。よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

巫師の分類

 

呪術と霊能との間には深い関係があります。呪術師=霊能者でもあり、陰陽師の中にも呪術を専門にするものは霊能があります。

 

いわゆる霊能者には大きく3つのタイプがあります。

 

参考文献: 井上順孝(編)1990「新宗教事典」弘文堂

 

 

 


 
1)シャーマン型霊能者…憑霊、降神、脱魂の形で超自然的実在、世界と直接交流するタイプ。
 
2)審神者(抜魔師)型霊能者…自らは神懸かり、憑霊状態にならずに、むしろそうした状態にある人物と相互作用を行い、憑依した霊や降臨した神仏の判別やその言葉の解釈を行ったり、それらを慰撫、調伏することでそうした状態を鎮めるタイプ。
 
3)霊術師型霊能者…超能力や霊感などその人物に内在すると考えられているカリスマ的力能、あるいは何らかの物体や儀礼に込められているとされる超自然的力能を駆使するタイプ。

 
ただ、こうした学術的な分類は表面をなぞっているだけで、彼らの様子を外部から観察してそう見えるから○○型としているに過ぎません。
 
呪術特化型の陰陽師も上の分類に従うならば、霊能者の一種です。でも、一言言わせていただくならば、このような分類はまるで役に立ちません。
 
あるときはシャーマン型、またあるときには霊術師型、ときには審神者型になって仕事をします。
 
基本的に、陰陽師はオールラウンドにどのようなタイプにでもなります。得手不得手の個人差はありますが、一通り学んでおかないと一人前とは見なされません。

陰陽師になるための学校のような場所は存在しません。学校で学んで資格を取ったら陰陽師デビューできるような世界ではありません。そもそも資格などありません。資格を出したら足が付くからです。

 

 

基本的に血縁者で固められた一族のグループがあって、その中で資質・能力に秀でたものが選ばれ、陰陽師としての訓練を受けるのです。

 

しかも、その呪術=方術の理論と実践に関する訓練は幼少期から始まります。一族の中から何人かの子どもに、その特性に応じた内容の教育が行われていきます。

 

よく家に伝わる秘術を一子相伝で継いでいくという話も耳にはしますが、私たちが知っている限り特定の一人にだけ伝授されません。

 

全ての秘術を一人に教えたりはしません。何人かの子どもたちに秘伝を教えるのですが、その内容は子どもによって微妙に違います。集団で共有されている知識はありますが、これをどう発揮するかは子ども自身の特性次第です。

こうして何人かも子どもたちの中で成長した後に、家督を継ぐもの=代表者が選ばれます。後継者がなくなった場合に備えて、サブになるものもいます。

神道系、仏教系、道教系など、どこに修行の力点を置くかによって学ぶ場所は異なります。

 

あるものは神社で、別のものは寺院で、さらに国外で教育・訓練を受けるものもいます。

 

そうして、普段は別々、バラバラに活動します。目立つようなことはせずに、一般人としてふつうに暮らしているものもいます。

 

基本的に表に出て目立っている陰陽師は、「裏の存在」を隠すための替え玉に使われていることもあるし、自称陰陽師が増えることによって何が本物で偽物なのかを分かりにくくするカモフラージュとして利用されている面はあります。

 

それに、陰陽師が呪術を駆使していつも闘っているなどというイメージは実態からはかけ離れたものです。

 

毎日、身体を張って争いや戦いなど続けていたら命がいくらあっても足りませんし、呪詛呪術は使えば使うほど消耗も激しくなり、早死にするだけです。

 

意識拡張の次元でいうところの下位微細次元や気の次元でやり合っている限り、魔の道に墜ちていくだけなのです。

 

なので、防衛的な意味での結界などは張ることはあっても、戦いや争いを仕掛けるようなことしません。エネルギーの無駄遣いですし、破壊しかもたらさないような行いは厳に慎み、社会の中で目立たないように暮らしているのが「裏の存在」です。

 

 

四国陰陽道


四国陰陽道の世界に目を転じてみると、とても古い伝統があります。奈良・平安時代どころか、古墳、弥生、縄文の昔にやっていたような原始的呪術が未だに大手を振ってまかり通っています。
 
しかも、そういうカビの生えたような化石のごとき非科学的、非(物質)文明的なものに一般の人が相談や仕事の依頼をしています。名前を言えばビックリするくらいの有名人も中には含まれています(絶対に言えません)。

 

またそういう世界でキャリアを積みたい、陰陽師になりたいという人々が門を叩くこともあります。

 

しかし、家系の外にいるものは、「表向きの弟子」になることが許されても、秘教に関わることは教えません。あくまでも血筋、DNA、そして家系的な意識を共有するものにしか教えないのです。

 

他の地域がどうなのかは知りませんが、四国の場合は山林修行者の伝統が原点にありますので、その流儀に従った体系を師匠について学ぶことになります。師匠は自分が編み出した独自の方術の体系を教えるので、師匠によって内容はまちまちです。

 

 

眷属・動物霊・式神を使役するもの

 

いわゆるサイコパスのような人物が呪術を習得すると、自我が増長して自分が神の領域に入ったと錯覚するようになり、自分の利益のためにだけ動くようになります。魔の道に墜ちてしまった戦士気取りの術士です。<術>に溺れているだけですが。

 

自己愛や反社会的性格が強いほど、とても攻撃的な振る舞いをみせるようになり、自分が敵だと認定したものを「調伏」しようとします。彼らにとって「悪」とは外敵のこと。自分を脅かすような相手だと思い込んだら神や仏の名を使って「呪術戦」をしかけます。

 

ここでは陰陽師同士の争いや戦いついて、少し引いた目線でお話しします。

 

基本的に陰陽師は祓い、浄化、結界などはしますが、呪詛代行や呪詛専門といったことは無縁の存在だということを忘れないようにしてください。

 

 

呪術戦においては双方が駆使する非人間的な意識エネルギー(眷属や動物霊を含む)のパワーレベルの違いによって勝敗が決します。

 

たとえば、蛇対蛇の場合、イメージ的には巨大な蛇の方が小さい方を飲み込んでしまうと、飲み込まれた方がダウンします。

それぞれに憑いている眷属あるいは動物霊の飛ばし合いになるわけです。
 
実際、現代の陰陽師も眷属(動物霊)の使役、操作は課せられた仕事を完遂するために必要なスキルです。

 

最終的には自分独自の動物霊をこしらえることになりますが、すでに普及している眷属を自分の配下にしてしまう場合もあります。
 
彼らは眷属(動物霊)の声や姿を当たり前のように認識できます。

 

単なる想像上の産物ではなく、気の次元(エーテル体)、微細意識の次元(アストラル体)にまで認識の範囲が広がると、誰にでもその存在を感じられるはずです。
 
いずれにしても、彼らは日頃から自分の気や念も補給してやりながら、眷属の世話をします。

およそ眷属の憑いていない陰陽師などいません。これが彼らの守護神の正体です。
 
陰陽道自体は明治に壊滅的打撃を受けて表舞台から姿を消しているので、土御門家などは神道系の宗教法人として残ってはいますが、秘教的要素を継承している子孫は事実上いません。

 

陰陽道の場合、賀茂氏、安倍氏以外にいくつかの家系があって、それらが<方術>を継承しています。(表に出ない人は改姓改名していて先祖が誰とか言いません)

 

「式打ち」は今でも行われています。見えない次元で眷属(式神、式鬼)を飛ばしているのです。
 
彼らは、方位・方角にすごく気を使いますが、四方八方からのエナジー・フローを把握しており、それぞれをカミと見なして方位のカミを祀るのです。このエナジー・フローの調節をすることも重要な方術の一つです。
 
また、彼らがマスターしている方術の1つに、古代中国から伝来してきた蠱道があります。これには、昆虫、人体の一部(髪の毛、爪など)、排泄物を使うものなど多様なものがあります。

 

呪具や呪物を使うことはありますが、秘術とは自然のエネルギー(陰陽五行の気)を利用して人体に気を巡らせるものなので、本来身一つあればできるものです。

 

よく考えてみてください。

 

過去記事で書いたように、安倍晴明の母方は中国からの渡来人です。妖狐使いの母のDNAを受け継いでいました。晴明の師匠だった賀茂忠行の先祖には山林修行者であり、修験道の開祖とされる役小角がいます。

 

この二家が交わったことで、日本陰陽道は呪術の面で大きく展開していったわけです。

特に平安中期以降、安倍氏は安倍晴明を輩出した系統が主流となり、中世からは土御門家と名乗り代々陰陽師の家として知られるようになりました。

という話は表向きの話で、そこには古代中国の王朝との深い縁もあって、陰陽道の源流となる「鬼道」と呼ばれる方術は、中国の初期道教がベースになって日本化していきました。

中国の呪法もダイレクトに伝えられています。時が移り変わって、現代でも中国の<仙人>と日本の陰陽師は交流があります。
 
現代中国には国家機密扱いになっている人々の存在があります。このことを知らない「陰陽師」がいるとすれば、それは「自称陰陽師」です。
 
こうした裏事情をあまりにも詳しく書くことはタブーなので、これ以上言挙げしません。

 

光の方術と闇の方術について、古来から伝わる呪術体系を継承している人々は実在するとだけ申し上げます。

 

 

意識拡張と呪術戦


呪術戦は、基本的には眷属同士の戦いでもあります。互いに憑いている眷属を飛ばし合うものです。
 
ここで、神仏意識(元因意識)が人の攻撃や争い事に荷担したり、関与することはありません。
 
あくまで眷属(より厳密には動物霊)レベルの独立した非人間的な意識場が攻撃に利用される(というか味方に付ける)のです。
 
見えない次元で眷属同士がサバイバルゲームをやっており、最後の一体が死に絶える(というか「喰われる」といいます)か、恐れをなして退散したり、寝返ったりして、味方が一体もいなくなった方が詰んで負けます。
 
最終的に、さまざまな眷属の使役法を熟知している陰陽師が生き残ります。キャリアがものを言う世界です。
 
呪詛をかけられた者は、心身が衰弱し、最悪の場合死に至ります。
 
仲間がサポートすることで、ある程度は呪詛の効果を緩和することは可能ですが、これを解くには最終的に本人が自力で霊的防衛法を確立する以外に次善の策はありません。

 

あるいは廃業宣言をして足を洗い、以後一切霊能の世界に足を突っ込まないと言う誓いを立てることです。
 
しかし、一番ひどい目に遭うのは、こうして呪詛を繰り返してきたお尋ね者です。

 

何人もの相手を滅亡に追い込み、呪術戦に勝利を重ねてきた者も晩年には一気にその反動が返ってきます。心身が一気に病むようになっていきます。それでも生前は何とかやっていけたとしても、死後の反動もあります。すべては自業自得というわけです。
 
最近は、ネットも発達しているので、そのルートを使った「念飛ばし」も盛んに行われています。

意識は情報であり、エネルギーでもありますから、ビットの海であるネットを伝って誰かさんの邪気・邪念が侵入してきてもおかしくはないと思います。

人の意識に干渉する方術があります。

 

それは相手の見る夢に影響を与えて、精神的に追い詰めるやり方です。

これを幻魔・夢魔といいます。

 

  • 夜な夜な悪夢に苦しめられる。同じパターンの悪夢を繰り返し見る。
  • たとえば、夢の中で壁から誰かさんの手が出てきて自分の首を絞めてくる。
  • 思い切り首を絞められて、苦しくなり、ゲホゲホいいながら必死でもがいて、ようやく振りほどく。
  • 気がつくと寝汗でびっしょり濡れている。
  • 首のあたりが痛くてたまらないので、鏡でみたら首に絞めた跡がくっきりと出ていた。

次第に自分の意識に侵入していき、自分でも分からないうちに海や川の側まで誘導されるようになり、そのまま海や川に入り込んで溺れる。

 

これが夢や幻覚を利用した意識干渉の一例です。
 
人間のもつ感情、特に恨み、憎しみ、嫉妬などの感情は容易にエネルギー化して他者に向けられます。これは素人でも同じことです。
 
プロの場合は一定のエネルギーをより長期間にわたって継続的に流し続けることができるので、相手によりダメージを与えることが可能となります。
  
呪詛に詳しい人物に言わせると、霊的抵抗力のついている人間ならば呪の想念エネルギーに対して反射的、自動的に対応することができるので、そのままほとんど自覚することなく鏡のように反射して返っていきます。
 
いちいち反応することなく、ほとんど全自動でブーメラン効果が生じるというわけです。
 
闇堕ちした陰陽師の場合、しばしば激しい呪詛合戦が生じることもあるので、意図的、意識的に呪詛返しをすることになります。これをやると最初に送った側にその数倍の反動が返ることになるのでとても辛い思いをすることになります。
 
個人的な感情から、恨みや敵意、嫉妬を抱き、自尊心を維持しようとすることの愚かさ、浅はかさをよく考えてみて下さい。
 
これらの感情は人間の心の中に巣くう動物霊のエネルギー源でもあります。

狐、蛇など古来より動物憑きの報告はありますが、人間も動物なのです。自分が動物霊化して「先祖がえり」を起こしているのが、闇堕ち陰陽師の最大の特徴だと言えるでしょう。

 

尋常な人お断りの世界です。君子危うきに近寄らずです。

 

(続く)

 

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