皆さま

 

これまで、このブログでは転生型事例の研究を中心に死と再生のプロセスに関する体験について述べてきました。

死と死後の問題については、もう一つ重要な体験データがあります。

 

臨死体験( Near-Death Experience: NDE )と呼ばれる体験です。

 

今回は死と再生のプロセスにおける「死の直前」の段階に人は何を見るのかについてお話しいたします。

 

 

いつものように長文になりますが、よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

はじめに
 

これは1970年代から主に欧米の医療関係者から取り上げられるようになった死の瞬間における一連の体験です。

 

医療技術の発達によって、瀕死の状態に陥った患者の多くが救われたり、延命されるようになりました。それにともなって、医師から一度「死亡宣告」を受けたにもかかわらず、蘇生した後で「私は死後の世界を見てきた」と報告する人々が現れ、今や無視できないほどの数に上っています。


 臨死体験とは、医師によって一度は死亡の診断を受けたり、あるいは死んでいるように見えた人が、蘇生後に語る一連のイメージ体験をさす概念です。


 死の瞬間に人間の意識状態に大きな変化が生じることは古代から知られていました。わが国では、平安、鎌倉の時代から「今昔物語」「日本往生極楽記」などに臨死体験と思われる記述が残っています。


しかし、死の瞬間に人が何をどのような形で見聞するのかについて、学術的な資料収集が始まったのは比較的最近の話です。


 臨死研究の端緒となったのはアメリカの精神科医ムーディ( R.A.Moody,1975 )の著書「かいまみた死後の世界」です。この著書でムーディは150例の臨死体験者との面接を通じて臨死体験に核となる要素が存在することを明らかにしています。

 

臨死体験の要素

①言葉では表現することが困難である
②自分の死の宣告が聞こえる
③心の安らぎと静けさに満ちている
④耳障りな音が聞こえる
⑤暗いトンネルを通過する
⑥物理的肉体を離れる
⑦自分に霊的肉体が備わっている
⑧他の霊的存在と出会う
⑨輝く光を見たり、それに近づいていく
⑩自分の生涯の振り返りを行う
⑪「この世」と「あの世」の境界に近づく
⑫蘇生する

 

 

 

 

その後、臨死研究の方法論はより厳密になっていき、統計的な解析も駆使されて次第に臨死体験の特徴が浮き彫りになっていきました。その結果、ムーディが主張する臨死体験の要素は、多くの研究者の得た資料と一致していることが確認されています。


現在は国際臨死研究協会(IANDS)が中心となって、哲学、宗教学、医学、精神医学、生理学、心理学などの研究者が、活発な研究活動を展開するようになっています。

 

 

 


このような状況を踏まえた上で、臨死体験がもっている特徴について要点をおさえて参りたいと思います。

 

臨死体験の事例(独自データ)

この体験は、愛媛県で聞き取り調査を行った内容に基づいています。体験者は面接当時29歳になる女性で、これまでに2回にわたって死の瞬間の体験をしています。なお、体験描写は筆者が本人の証言をもとに構成を行いました。


体験者の証言によれば、これら一連の体験は強い実感と余韻を残しており、今でも詳細にわたって再生することができるが、言語化することが困難な性質を持っているとのことです。

《第1の体験》


彼女は中学1年生の時に、交通事故に遭った。そのとき最初の臨死体験をした。
 

なぜか自分の身体を自分が上の方から眺めているのである。事故の現場の様子ははっきり見えている。ただ、様子を眺めている自分には身体があるという感覚はなかった。フワフワ宙に浮かんでいるような感じで冷静に眺めている。
 

やがて、「ゴー」というものすごい騒音が聞こえてきた。とても耳につくイヤな感じの音だった。彼女は狭くて暗い空間のような所に急速に吸い込まれていった。トンネルのような感じである。突然空間が広がって明るくなった。見ると周りにきれいな花が咲き乱れる場所に出ていた。川も流れている。この風景は大変現実的なものだった。まるで立体写真を見ているようである。
 

彼女の目の前には道が続いていた。二つの道が見える。その道は金色に輝いている。ちょうど分岐点のように二手に分かれている。向かって右の道はとてもきれいだった。しかし、左の方の道はイヤな感じがした。
 

そこで、右の道の方へ進もうとすると、向こうに男の人が立っている。彼は大声で彼女に向かって叫んだ。
「こっちに来るな!」と彼は言う。その声は風呂場の中で音が反響するように、大きくエコーがかかっていた。
  やがて意識がなくなった。次に気がつくと元の自分の身体に戻っていた。彼女は意識不明の重体になっていたのである。


《第2の体験》


彼女は17歳のとき、またしても交通事故に遭う。そして、再び奇妙な世界をかいまみた。
 

気がつくと、とてもきれいな草花が咲いている花園か草原の様なところにいる。彼女は楽園のような場所でひとしきり遊んでいた。

 


体験者の描いた「異界」の風景

 

 

この世にはない色彩に溢れている。でも、とても現実的な感覚をともなう世界だった。しかも彼女は、自由自在に空中を飛ぶことができるのである。フワフワしてとても気持ちがよい。
 

突然「ゴーッ」という大きな音が聞こえ始めた。目の前に真っ白な光が現れた。その光の中に男の人の姿が見える。
 

この光に導かれて行くのが気持ちいい。彼女はその光の中に入りたいと願った。早くしないと光は遠ざかってしまう。
彼女は光のトンネルの中に吸い込まれて行った。グングン下へ下へと降りて行く感じがする。トンネルを抜けると「こちらの世界」の様子が見えた。

 

病院の台の上に自分の身体が寝かされている。ひどい傷を自分の身体は負っている。医師と看護師が忙しく動いて自分の身体に処置を施しているのを彼女は上の方から眺めている。

 

その周り(処置室の外の様子も見えた)に家族の姿も見えた。母と姉が半狂乱になっている。家族は大声で泣きわめきながら、何度も彼女の名前を呼んでいる。でも、上の方にいる彼女の意識は客観的に家族が着ている洋服の色などを観察していた。
 

そのとき、処置をしていた医師が家族に告げた。「もうだめです。覚悟して下さい。」家族が声を上げて泣きだした。


その医者の発言を聞いて彼女は怒りを覚えた。「私はここにいる。私は死んではいない!」と何度も叫んだ。でも、彼らは上にいる彼女の存在にまるで気づかなかった。
 

こうして医師に絶望だといわしめた彼女の容態だったが、今回も奇跡的に回復した。突然彼女の意識が戻ったのである。
 

後日、現場に居合わせた医師と看護師から聞かされた話では、彼女は処置室で2~3分間にわたって心停止、呼吸停止状態になっており、臨床的には死亡したものと判断されていたという。


 

臨死体験の特性

 

それでは、臨死体験の基本的な性質についてこれまでに行われた研究に基づきながら説明していきます。


臨死体験は事故や急病、自殺などで瀕死の状態に陥った人々の約40%が少なくとも一度は体験しています。しかも人種や民族、性別、生活水準、学歴、年齢といった要素は、体験の有無やその内容に影響ない。それに加えて、体験者がどの宗教、どの宗派を信じていたか、ということも体験の有無やその内容にほとんど影響を与えません。


さらに、臨死状態にいたる状況要因(病気、事故、自殺)と臨死体験の有無その内容との関連性も特に認められていません。


ただし、臨死体験は体験者が臨床的にみて死の状態に近づいていたと判断されるほど、発生率が高まる傾向にあります。


こうした現象に対し、医学者の多くはこれを臨終時の心理生理学的な特異性に基づく幻覚体験であると解釈しています。たとえば、精神薬理学者のシーゲル( R.Siegel,1980 )は、臨死体験を幻覚剤や外科用麻酔剤の投与、発熱や消耗性疾患によって中枢神経系が興奮をきたした結果生じるものと主張しています。


また、精神医学者のノイエスとスライマン( R.Noyes & D.J.Slymen,1978-79 )は、臨死体験を生命を脅かす危機状況に対する自我防衛反応としての離人症的幻覚として捉えようとしています。


 これに対し、オシスとハラルドソン( K.Osis & E.Haraldson,1977 )は臨死体験ないし臨終時体験に関する比較文化的研究の中で、投薬、高熱、脳の機能異常といった幻覚誘発要因は臨終時に見えるビジョンにあまり影響を及ぼさないことを明らかにしています。

 

加えて、幻覚誘発要因が末期患者に見られるときには、逆に臨死体験様のイメージやビジョンが生起しなくなることも見いだしています。つまり、臨終時に見える死者や宗教的人物のビジョンは患者の意識が清明な状態において生起しやすくなるのです。


また、セイボム( M.B.Sabom,1982 )は臨死体験と離人症的幻覚、自己像幻視、夢などの幻覚体験との比較考察をおこなっており、臨死体験のイメージ要素と他の脈絡から生起する幻覚の内容との間にかなりの相違点が存在することをあげています。


このように臨死体験の解釈を巡っては、多くの仮説とそれに対する反論とが交錯している状況があります。


笠原敏雄(1989)は、体験内容の著しい普遍性や体験者の肉体から遠く隔たった場所で起こった出来事を感知した事例が存在することから、少なくとも一部の事例においては単なる幻覚の域を越えた体験要素が含まれており、通常の医学的、生理学的解釈は妥当性を欠く場合があると述べています。
 
ただ、臨死体験は実際に死亡してしまった人の体験ではなく、あくまでも蘇生者の報告です。したがって、この種の体験が肉体と精神が独立に存在したことの証拠であると即座に結びつけるのは議論の余地はあります。
 

臨死体験の余波効果

これまで見てきたように、臨死体験は精神の死後存続にかかわる問題に結びつく性質をもっています。しかし、見逃してはならない側面は、臨死体験によってもたらされる体験者の大きな人格変容です。

 

下の囲みをご覧下さい。

 

臨死体験後の人生観、世界観の変化

【%は体験後、それが強まった人の割合を示す】

 

1.他者に対する配慮

①人に手を差し伸べたい…………………86%
②他人に対する同情………………………95
③忍耐強く耳を傾けることができる……86
④他者に対して寛容になれる……………81
⑤他者に対する洞察………………………81
⑥他者の理解・·…………………………… 90
⑦他者の受容………………………………86

2.死生観

①死に対する不安 …………………………  0
②死後の生命を信じる……………………95

3.自己超越

①生きることには深い意味がある………95
②内なる神の存在を感じる………………95

4.宗教意識

①宗教への関心 …………………………  43
②宗教的感情 ……………………………  86
③聖なるものへの関心……………………86
④礼拝への参加 …………………………  81

5.物質主義的態度

①物欲……………………………………     0
②高い生活レベルへの欲求……………  14
③富の追求 ………………………………    0

 

*アメリカ人の臨死体験者21名を対象

 

出典: C.Flynn  1982  Meanings and implications of near-death experiencer transformations.  Anabiosis,2,3-14.

  
 

これをまとめると、臨死体験によって体験者の多くは①他者に対する気遣いを示すようになり、②死に対する不安が減少し、③自己超越感を覚え、④宗教への態度が肯定的になり、⑤物質主義的価値観からの脱却が生じることが明らかになりました。同じような知見は、ムーディ、リング( K.Ring,1980 )、セイボムらの面接データによっても得られています。


このように、臨死体験者は単に死を美化するのではなく、むしろ自分がいまここで生きていることの意味について深い洞察を得るようになるのです。

臨死体験の超常的性質

さらに臨死体験者には大きな心理的変化が生じるようになります。リングとロージング( K.Ring & C.J.Rosing,1990 )の行った調査によれば、臨死体験後に生じる身体的、精神的な変化として、①光や音に対する感覚が鋭くなる、②自分の心が拡張していく感じが生じ、③色々な情報が頭の中に洪水のように溢れ出てくる感覚、④霊感や直感的な心の働きが強くなる、などがあげられています。


また、サザーランド( C.Sutherland,1989 )によれば、臨死体験者には、体験後に透視、テレパシー、予知などの超感覚的知覚( extra sensory perception: ESP )と思われるような現象が頻発するようになるとの報告もあります。

 

下の囲みをご覧下さい。
 

臨死体験の前後における超常的経験と信念の変化

 

                       一般人       NDE前     NDE後

1.超常的経験

    透視                  38%        43%          73%

    テレパシー       58         46             87

    予知                  --            57           89

    デジャヴ            --            76             84

    直観                  --            60             95

  啓示              43           37           92

  正夢              42           43           76

    体外離脱            14         18           51

    霊的存在の知覚   27           24           68

    奇跡的治癒        --             8           70

    オーラの知覚      5           14             47

2.超常的信念

    超能力        39          44             97

    生まれ変わり     31          39             79

  死後の世界          42          47           100

    死の恐怖           --           78               0


*一般人のデータは、アメリカ、イギリスの調査に基づいている。
*臨死体験者のデータは、オーストラリア人40名(男性13;女性27;7~58歳)に基づく。

 

出典  C.Sutherland 1989 Psychic phenomena following Near-Death  Experiences: An Austraian study. 

        Journal of Near-Death Studies, 8,93-102.

 

 

ただし、これらの知見は体験者の主観に基づくものであって、実際に体験者の周囲でどのような「現象」が発生しているのか(いないのか)、その事実関係を裏づけるようなデータを得ていく必要はあると思います。

 

 

地獄の臨死体験もある

臨死体験の最近の研究動向として脅威的な臨死体験(Frightening Near-Death Experience)のデータが蓄積されているので、これについても論じておきます。

ある体験を否定的=ネガティブと呼ぶことは、それが価値がなく、恩恵をもたらすものではないというニュアンスを含みます。恐怖に満ちたNDEは、これを克服するには大きな勇気が必要ですが、至福の体験と同様に人々の人生を転換させる可能性をもっています。

したがってこれを「否定的」というよりも「脅威的」と呼ぶ方が適切です。

グレイソンとブッシュによれば脅威的なNDEには次の3つのタイプがあります。



1.脅威的なNDEは至福の体験と共通の特徴を含んではいるが、物事が急激に展開したり、あまりにも見慣れないものだったり、自分の意志の制御を超えたものであるために恐怖を覚える。

2.虚空の体験においては、人々は宇宙空間のように感じるかもしれない形のない虚無のなかで、自分を完全に孤独であると知覚する。彼らは孤独と感覚の欠如に恐怖するかもしれず、あるいはこの世界や自分が実体を伴うと考えてきたもの(自分自身を含む)が実際は存在しておらず、決して存在しなかったものだというメッセージを受け取る。

3.「地獄」の体験において、(この研究でもっとも報告数が少なかったパターン)人々は醜く恐怖に満ちた風景の中に自分がいると知覚する。ときとして激しい苦悩に苛まれているいるように見える人々の集団を見ることもある。多くの体験者はその後自分はただそれを観察しているだけだったと報告するが、まれに自分自身が地獄の責め苦を味あわされていると知覚した人もいる。


出典:Greyson,B. & Bush, N.E. 1992 Distressing near-death experiences. Psychiatry,55, 95-110.

 

1970年代のムーディ、キューブラ=ロスのころにはまだケース数が少なく得られた体験を十分に咀嚼されていなかった感がありましたが、研究が進むにつれて臨死体験が至福で喜びに満ちたものだけでなく、脅威や恐怖、苦痛に満ちたものもあることが少しずつ発掘されてきているようです。

 

 

アンジー・フェニモア/ 宮内 もと子 訳 1995  臨死体験で見た地獄の情景  同朋社

 

 

 

 

この著者のアンジー・フェニモアは、自分の存在が家族の負担になっていると思い悩み、 夫と二人の子どもを残して死ぬことを 決意しました。 ナイフで手首を切った後、薬を過剰摂取したことによって意識を失い、臨死状態になったときに「地獄をみる体験」をしたと述べています。
 

 

地獄というのは、ある特定の次元でもあるが、基本的には、心の状態といってよい。死んだあとの運命は、その人が考えてきたことで決まる。現世においては、自分や他人の心に闇が広がるのを許し、そういう考えに基づいて行動すると、その考えがしだいに強固になり、より忌まわしいものになっていく。わたしは、実際に死ぬずっと前 から地獄にいた。ただ、自殺するそのときまで、自分の行動の結果から逃げまわっていたので、自分が地獄にいることに気づかなかったのだ。しかし、死んでしまうと、似 たような考えの人がひとところに集まるので、心の状態はずっと明確になる。そうした運命は、人間が現世で選んだ生き方と、 まったく自然に、矛盾なくつながっている。人間の一生 は、創造という永遠の過程からすれ ば、心臓が一回脈打つほどの時間に すぎないが、それでも重要な真実の一瞬であり、転機である。永遠の過去と永遠の未来を生きるわたしたちの魂のあり方を、その 一瞬が決めるのだ。



少しコメントをつけておくと、脅威を感じるような体験は語るのもおぞましいですから、報告数も少ないでしょうし、これまでの報告事例には確かに偏りがあった言わざるを得ないでしょう。

ただ、ネガティブ体験の真の体験率はわかりませんし、なぜ、どのような人がネガティブ体験をするのかもはっきりとしたことはわかっていません。

また、上記の2のタイプの体験などは「色即是空」を象徴しているようなパターンですし、東洋の神秘思想ではむしろ「常識」となるでしょうが、自我の強固な西洋人にとって我を失うことは恐怖以外のなにものでもないのでしょう。

このようなことから、どうやら臨死体験=極楽浄土オンパレードという見方は一部を切り取ったもののようであり、実際には多様な意識体験が含まれているという風に理解しておいた方がよいのかもしれません。つまり「魔界的臨死体験」も一定の割合で発生していると言うことです。

私たちの深層意識から生じるイメージは実に鮮明でパワーを持っているので、それを物質的なもののように思うかもしれません(科学的唯物論ではいかなる「現実」も物質的なものがベースにあるという前提に立つことになる)。

 

このため、人類の歴史が始まって以来寄せられてきたNDEやこれに関連する報告が人々に天国や地獄がどこか特定の場所にあると信じさせるようになったのかもしれません。こうした信念は世界中のあらゆる文化において重要なものであり、もっとも古い文献記録にまで遡ることもできるものです。

もう一つの見方は天国や地獄は非物質的なリアリティであり、心理的、霊的にはきわめてリアルなものだけれど、時間や空間を超えて存在するものであり、文字通りの「場所」と言うよりも、内的な状態を表したものかも知れないというものです。

 

この見解にしたがえば、天国や地獄はリアルだが非物質的な「状態」、おそらくは「心の状態」が投影されたものと理解できるでしょう。それは脳の生物-化学的な反応から生成された幻影ではなく、魂=「意識」そのものの状態が外側にあるように見せているのだととらえた方が適切な表現になるように思います。

 

この点については仏教に深層意識に関する理論もあるので、別の機会に触れることにします。

 

 

参考文献

 

Moody,R.A. 1975   Life After Life: The Investigation of a Phenomenon—Survival of Bodily Death. Mockingbird Books

Siegel, R. K. 1980  The psychology of life after death. American Psychologist, 35, 911–931.    

 

Noyes , R. , Jr. & D. J. Slymen . 1978-79  The Subjective Response to Life-Threatening Danger.  Omega, 9, 313-21 .

 

Osis,K. & Haraldson,E. 1977  At the Hour of Death New York: Discus.

 

Sabom,M.B. 1982 Recollections of Death: A Medical Investigation.New York: Harper and Row.

 

笠原敏雄 1989 超心理学ハンドブック ブレーン出版

 

Ring,K. & Rosing,C.J. 1990 The Omega Project: An empirical study of the NDE-prone personality.Journal of Near-Death Studies,8, 211-239.

 

Greyson,B. & Bush, N.E. 1992 Distressing near-death experiences. Psychiatry,55, 95-110.

 

アンジー・フェニモア/宮内 もと子 訳 1995  臨死体験で見た地獄の情景  同朋社

 

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