秦霊性心理研究所

 

所長 はたの びゃっこ

 

 

過去記事で取り上げた「転生型事例の研究」の記事ですが、長文になってしまい、これでも大幅にカットしているのですけど、まだ書き足りない話もあります。



この記事では、前世と現世の間の記憶=Intermission(中間生)と呼ばれている時期の記憶について、日本人の事例からカズヤのエピソードを紹介しています。

この事例で特徴的なのは、いわゆる「反省部屋」にいたという箇所です。実は、これには検証不可能な逸話も記されていますので補足しておきます。


カズヤの事例は、自殺事例というよりも「やり残した仕事」の事例に近いように思えます。イアン・スティーブンソン(2001)は、転生型事例における「前世の人格」はしばしば「やり残した仕事」を抱えていると指摘し、それは「母親のような人が亡くなり、世話を必要とする幼児や幼児を残した人」を指し、または「死亡時に支払う(または回収する)借金を抱えていた一部の人々」のようであると述べています。

カズヤの感情は「やり残した仕事」の一例としても分類できるようです。彼[=ジュン]は生前、親しい人たちに対して十分な愛情を示してこなかった。 また、彼は自殺にまで至った自身の不法行為によって彼らをひどく傷つけたが、彼らに償いをしていなかったのです。 それが彼の「やり残したこと」への負い目となっていたようです。

ハラルドソンとマトロック(2017)は、イアン・スティーブンソン、ディーター・ハスラー(2013)によって報告された 10 件の自殺事例を取り上げています。

 

 

 


それによれば、自殺の場合、前世の人格から次の誕生までの期間は非常に短く2 日。その他に、4週間、5週間、 4~8週間、 8週間、 4ヶ月、10ヶ月、17ヶ月、 18か月、 そして最長が5年9ヶ月でした。

カズヤの場合はそれよりも長く、7年8か月となります。

しかし、カズヤの長い「中間生」は、単にミドリの元に戻るつもりだったカズヤの前人格であるジュンが異母妹の妊娠を待たなければならなかったためかもしれません。

カズヤの中間生の記憶のもう一つの興味深い特徴は、大門氏がインタビューした3人の子供たちは皆、「中間生」の状態でカズヤと一緒にいたと主張し、お互いにそう約束していたということです。

カズヤと三人の子供たちが「地上」で一緒にいるという約束に関する「生前の記憶」には検証可能な要素はありませんでしたが、三人の子供のうち二人がカズヤと同じ記憶を持っていました。

カズヤと同じように、マサトシ(当時13歳9カ月)とハルカ(当時12歳1カ月)は、4人で会う約束をした場所(実在する場所)に来る前にこう主張しました。しばらく一緒に「反省室」で過ごした2人は、 暗い場所の印象と、前世での不正行為による罪悪感について語りました。

ハルカ(女性)は、アジアの国、おそらくモンゴルに住む利己的な女性としての前世の記憶を語りました。彼女は、自分を着飾るために家族のお金を使うのに忙しく、家族のことを全く顧みませんでした。 彼女の死後、家族の誰も彼女の死を悲しんでいないのを見て、自分の生き方を後悔しました。

そこで彼女は「反省室」に入り、これまでの行いを振り返りました。 もう一度やり直さなければと感じたとき、彼女は生まれ変わることを決意したのです。

彼女はまた、母親を喜ばせるために「プレゼント」を持って母親のところに来たことについても話しました。 母親によると、ハルカが幼い頃、いつも美しい葉っぱや花、石などの「プレゼント」をあげて彼女を喜ばせようとしていたと言います。

一方、マサトシは前世の記憶ではなく、「反省室」について詳しく語っています。彼は、誰も部屋への入室を強制されているわけではないが、何か悪いことをしたと感じる人は自らの行為を反省するために意図的にその部屋に入ると強調しました。

彼は前世で戦争に参加したことをぼんやりと覚えていると述べていて、その時の行動がおそらく彼が「反省室」に入った原因だったのではないかと述べました。

というように、「記憶」が複数の人間の間で共有されているケースがあることを示しています。

これらの事例で述べられている内容が真実かどうかを確かめる術はありませんが、少なくとも調査対象となった子供たちの語る「あの世」のイメージは、自らの前世における行いを自発的に反省するような「場所」があって、そこで来世をどのような環境で過ごすのが望ましいかについて「自分で決める」と語っていたことです。

転生型事例の研究から伺える「カルマの法則」とは、基本的に自分の過去の行いを振り返り、これを修正しようと試み、「次の世」を自分の意志で選択するというもののようです。全ては自分で引き受けるのが大原則になっています。

 

仏教の因果応報の概念とは少し様子が違うように思われます。「因果応報」は「よい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」という意味です。善悪の因縁に応じて吉凶禍福の果報を受けることを意味します。

 

上記の事例では、悪い行い=負のカルマに対して反省を行い、それを償うために、あるいは「やり直すため」、そしてやり残したことを次の世で達成するために生まれ変わってきたのだと子供たちは述べているわけです。

もし、未完の仕事があると思うのなら、それを実現するために同じ家族、親類の元に生まれ変わることもできます。

それに、自分が前世でロクな行いをしてこなかったと気づいたのなら、次の世では行いを改善するように考えて、「新たな人生の選択」をしていると言うことになるのです。

報告されている事例では、より善く生きる、為しえなかったことを為すという選択をして、慈悲深さを身につけて行っている子供たちの物語が中心となっているように思います。

しかし、もし自分の行いを間違っているとは思わず、反省心のかけらもなく、反省部屋にも行こうとしない場合には、どのような来世が待ち受けているというのでしょうか?

転生型事例の研究は、自然発生的な前世の記憶を説明する人々(ほとんどが子供)の事例を 2,500 件以上収集しています。そのうち 1,700 件以上が解決事例となっていて、これは、子供に関する情報や子供から与えられた情報から子供の前世の身元が発見され、記録や目撃者の記憶によって確認されたことを意味します。

 

そのような子供たち 1,200 人のサンプルでは、​​276 人 (23%) が、現在の人生の前のインターミッション(中間生) を覚えていると述べました。これらの証言と輪廻転生そのもののパターンは、多くが来世を選ぶときに基本的には「自由選択」であることを示しています。

 

ただし、事例によっては「霊的存在」によって選択が支援されることもあります。さらにまれには、選択が強制されたり、場合によっては禁止されたりすることもあります。

 

 

まだまだ、この問題は深堀する必要があると言えるでしょう。少なくとも転生型事例で語られている内容と、世界中の様々な宗教で説かれている内容とは必ずしも一致しないと言うことは出来ます。今後、この問題については連載記事という形で論じる予定です。

 

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