小学生時代に雑学知識を得るのに読みふけっていた学研まんが・ひみつシリーズ。

そのうちの一冊、『動物のひみつ』の中で特に記憶しているのは、ライオンやハイエナの群れのお話。

ライオンの方のお話は、「狩りをするときに、オスのライオンは直接狩りをせず、獲物から見て風上に立ち、自分の体臭を獲物に気づかせる役目をする」のだそうです。

で、実際に狩りをするのはメスライオンの担当なんだとか。

「おい、ただ立ってるだけかいw」

とツッコミが入りそうではあります。

(;^ω^)

 

一方で、ハイエナは群れのリーダーはメスなのだとか。

 

「どちらもメスの方が実質強いんだなあ......」と、子供心に、そういうところが印象に残ってましたね。このシリーズを一番よく読んでいた頃は。

 

 

 

蛇足ですが、サイヤ人も男性は働かなかったはず。

オスライオンと同じってことかな......?

(鳥山先生よく観察してますね......)

(;^ω^)

読書好きだったらしい母親の血筋なのか?影響なのか?(直接的な影響を受けた記憶はほとんどないのですが)、もともと母親の所有物であった活字本を読むことが多かった小学生時代。

 

母親が所有していた蔵書の一部に、講談社刊の世界名作全集の一部作品群がありました。

その世界名作全集の装丁は共通してこのような感じのデザイン。

 

人生で初めて読んだであろうイタリア文学作品(『おそらく人生初めてのイタリア文学「だった」』)も、実はこの全集の一冊でした。

 

この全集のラインナップは硬軟取り混ぜたような感じだったなあ...『赤毛のアン』から『戦争と平和』まで、『飛ぶ教室』から『二都物語』まで...色々な作品で構成されていた記憶があります。

 

で、この『あしながおじさん』。

文才を認められた孤児院の少女が、スポンサーのおかげで進学することができ、最終的にはシンデレラストーリーのような展開になっていくわけですけれども、作中のほとんどは「ヒロインが送る手紙文」で構成されています。最初と最後以外は、とにかく手紙文。

 

初めて『あしながおじさん』を読んだのは小学生時代、のちに「平易な英語にリライトされた学習者向けの英文版『あしながおじさん』」を購入したのが高校生時代。高校2年生後半から、「英語の手紙を書く」という行為にどハマりして、学校の授業中にこっそり英語の手紙をゴリゴリ書き続ける生活を当時送っていた私は、その「平易な英語にリライトされた学習者向けの英文版『あしながおじさん』」の手紙文の部分を全文丸ごと3回書き写す、という行動に走ってしまいました。

別に「努力しよう」とかそういう気持ちが特別にあったわけではなくて、「英語の手紙をもっと上手に書けるようになりたい」という欲求が非常に強くて、その欲求に従ったら結果として「同じ本の文章を3回丸ごと書き写す」という行動につながってしまった......というだけなんですけどね。

 

なので、物語の内容そのものよりも、実は「ああ〜英文版、丸ごと書き写し3回もやったっけ〜(遠い目)」な回想の方が強くリンクしている作品だったりするんですね、私にとっての『あしながおじさん』って。

いやほんと、高校時代はいうに及ばず、Eメール時代が来るまで随分と大量の英文手紙書いたもんだわ〜(苦笑)、という思い出にリンクしてしまいます。

 

まあおかげで、英語での発話力は向上したことを実感はできてたんですけどね。

また時間見つけてやらないとなあ、ちょっとずつでも>書き写し練習

そんなことばかり思い起こさせてくれる一作ではありますね、『あしながおじさん』は。

小学生時代に繰り返し繰り返し、むさぼり読んだ学研マンガひみつシリーズ。

本棚に並んでいたその「ひみつシリーズ」の一冊が『お金と切手のひみつ』。

近現代の人間社会とは切っても切り離せないお金=貨幣。

その成り立ちや基礎知識に、人生の早期に「学習漫画」という媒体で触れることができたのは、それがなかったよりはずっと良かったのかもな、と長い時間が経ち振り返ってみると思います。

 

小学生時代に何回も読み返した頃の記憶を辿り、今でも覚えているこの本の収録内容の一部といえば...

[お金編]

・一円玉の重さ

日本で最初の流通貨幣と言われる、日本で鋳造・発行された銭貨が和同開珎

・日本円の貨幣と紙幣は、作っているところが違うこと(当時は大蔵省造幣局と大蔵省印刷局だった)

・現代の貨幣の形状で「通貨」という概念がある程度安定するまでは、いろいろな素材などの変遷があったこと

・中央集権制の下(もと)で「貨幣は額面通りの価値しか持たない」と法で定められるまでの間には、見た目の綺麗さや劣化具合で「良貨・悪貨」の区別がされ、変動相場だった時代も日本にはあったこと

・第二次世界大戦時のドイツマルクのハイパーインフレ

・紙幣を過失でうっかり毀損してしまっても、復元できる部分までの価値は日本銀行で新札に交換してくれる

 

[切手編]

・切手のミシン目の始まりは、櫛の歯だった

 

......とまあ、お金編の印象の方が強く残っているわけですが......

 

子供心にツボだったことのひとつが「紙幣を過失でうっかり毀損してしまっても、復元できる範囲までの額面は日本銀行で新札に交換してくれる」ことをあらわすふたつのエピソードでした。

 

ひとつは、「外出中のお金の隠し場所として、トースター(オーブントースターではなくブレッドトースト専用のポップアップ型トースターです)の中に札束を入れておいたら、帰宅してみるとトースターから火が出ていて燃えてる!という事態に。焼けた灰が崩れないように静かに日本銀行へ持っていき、灰から復元できた額面分だけを新札として交換してもらえた」というもの。

 

もうひとつは、「飼っていた犬が紙幣をボロボロに!しかも一部は食べたっぽい!やむを得ず、犬の糞の中から紙片を洗って取り出し、集めたものを日本銀行へ持って行って新札へ交換してもらった」です。

 

これらふたつのエピソードからわかるのは、貨幣・紙幣という形状そのものではなく、そこにセットされる「信用」がお金としての価値をもたらすのだということ。

「お金」というものを考えるときに、この「信用」という概念は欠かせないものだと思うのですが、我々はともすればお金の形状や見た目そのものに価値を感じて自分自身を見失いがちです。

 

「なぜ紙幣という名の紙切れ一枚が、コインという名の金属片が価値をあらわすのか」ということ、その基礎概念の部分を、『お金と切手のひみつ』というこの一冊を通して、ぼんやりとではありますが、小学生時代に何かしら感じられたのは良かったと思います。

それがわからないままに、一度もきちんと考えないままに年齢だけを重ねていくことは、知らないよりも損をすることが多いように思うからです。

 

大切なお金の知識について、漫画で楽しく、わかりやすく読めて良い一冊だったと思っています。

さて、2019年8月最終週の今週、Twitter上にてめいろま氏(@May_Roma)とひろゆき氏(@

hiroyuki_ni)の「フランス生活の現実」に関する...というか「実際のフランスってどうなの?」的な議論が熱く繰り広げられていた?模様。(全部きっちりチェックしたわけではなく、断片的にしか拾い読みしてないので、盛り上がってたように見えました、という感想なのですけどね)

 

実際にフランスに行った経験はない私ですが、とある本を読んでフランスに持った人生初の第一印象は、実は「犬のうんこ」。

読んだ時は1980年代前半、1983年に出版されたエッセイ本『おしゃべりパリジェンヌ』が、その「読んだ一冊」でした。

作者はダニエル・ミミさん。

日本人男性と結婚したことで、出版元から「パリの生活について本を書いてください」と依頼があったのでしょうか、内容全体の雰囲気が「パリのことを知りたい日本人に向けて書かれた」感じだったと記憶しています。

 

日本国内だけで日本に流布されてるフランスの印象を見ると、「花の都パリ」をはじめとして美しくてファッショナブルでキラキラしてそう......とか、若い頃に他の女性たちが「フランス人とかに間違えられるんやったらええけど、中国人とかは嫌やな」と会話してるのを偶然小耳に挟んで「日本人はアジア人なのに何言ってるのか...って、中国人の美人はむちゃくちゃ美人なのに」とか、なんだかどうも「憧れのキラキラワールド」?と思ってる?気配。

 

でも、私のフランス、それもパリに対する個人的な第一印象はこの本から得たものだったので、「街の道路には犬のうんこ」がくっきりと刷り込まれてしまいました。

同居人ヒゲ氏は、2000年過ぎくらいまでの過去の話ではありますが、実際にパリに行ったことがあるので、

 

私「読んだ本のイメージで、"犬のうんこ"なんだけど」

と訊(たず)ねてみると、

ヒゲ氏「うん、そうだよ」

 

と即答されてしまいます。

 

こういう、「憧れと現実の落差」というものは、フランス・パリに限らず世界中のどこでも起こり得ることで、実際に日々起こっていることで、パリにおける「犬のうんこ」は無数にあるそれら落差の中の一つでしかありません。

 

なのですが、くだんの「Twitter上にて展開されためいろま氏(@May_Roma)とひろゆき氏(@

hiroyuki_ni)の「フランス生活の現実」に関する議論」は、苦しい庶民側の目線を知っているであろうめいろま氏と、おそらくバカンスの域を全く出てないであろうひろゆき氏の論陣が、お互い「分断された世界」の状態にあるので、議論としては真っ向から対立してしまう状況になってしまうわけですね。

私が住んでいたインドだって、「そのコミュニティの中でだけ暮らしてる分には警備も24時間体制で、コンドミニアムは広くて瀟洒だし、メイドだって雇えるし、内部でだけなら綺麗で安全キラキラ世界」という富裕層コミューンもあれば、「世界一の低所得」という厳しい現実も両方あるわけです。

 

ただ、どこの国でも基本的には「庶民や貧困層の数は、富裕層のそれを圧倒的に上回る」ものですから、その実態から鑑みると「現実のサンプル数としては、どっちの言い分の方がたくさん実在する?」となると、めいろま氏の庶民目線の方になってしまうのだと思います。

 

で、まあパリについては、この『おしゃべりパリジェンヌ』という本から受けた第一印象、実際に行ったことがあるヒゲ氏やSNSでやりとりしてるフランス現住の方々、Twitterのハッシュタグ「憧れの欧州生活」で読んだツイートの数々が「インド生活と大差ないなあ」と思った経験......などなどから総合的に見て、私個人の心の中では「街の道路には犬のうんこ」に結局落ち着いてしまう......ということに。

実際に行ったらまた多面的な感想を持つのかもしれませんが......

 

フランスに憧れを持つ日本人もまだまだいるであろうと推測される中、実際のパリジェンヌが執筆したということもあり、どうしてもこの『おしゃべりパリジェンヌ』の「犬のうんこ」が印象深く残っています。

学研まんがひみつシリーズ『忍術・手品のひみつ』を子供の頃に読んだせいで、「麻、大麻」と聞くと「ああ、跳躍力を鍛えるためにその上を飛ぶのね」としか連想できなくなったのと同様に、若き日に『おしゃべりパリジェンヌ』で得た刷り込みが「パリの道路には犬のうんこ」という形で私の脳裏に残ってしまっているのです。

(;^ω^)

 

  • 単行本: 245ページ
  • 出版社: 福武書店 (1983/01)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4828811036
  • ISBN-13: 978-4828811031
  • 発売日: 1983/01

『日本沈没』第1巻に続いて、漫画家・一色登希彦さんの作品『日本沈没』第2巻・第3巻をKindleで7月25日に拝読しました。

 

 

個人的には、主人公・小野寺が語る”第2巻の60〜64ページ”のセリフが強烈に印象に残りました。

私が、日本以外の国にも行ったり住んだりしたことがあるから、より一層強烈に響き、染み入るセリフだったように思います。

「染み入る」というか、私の心の中にも潜在的にどっしりと鎮座している思いそのものが、明確に言語化されたセリフ...と言ったほうが、私個人にとってはしっくりくる感じです。

2005年を過ぎた頃から自分の心の中に数多降り積もったいろいろなことを、見事に言語化してくれているような思いに狩られました。