読書好きだったらしい母親の血筋なのか?影響なのか?(直接的な影響を受けた記憶はほとんどないのですが)、もともと母親の所有物であった活字本を読むことが多かった小学生時代。

 

母親が所有していた蔵書の一部に、講談社刊の世界名作全集の一部作品群がありました。

その世界名作全集の装丁は共通してこのような感じのデザイン。

 

人生で初めて読んだであろうイタリア文学作品(『おそらく人生初めてのイタリア文学「だった」』)も、実はこの全集の一冊でした。

 

この全集のラインナップは硬軟取り混ぜたような感じだったなあ...『赤毛のアン』から『戦争と平和』まで、『飛ぶ教室』から『二都物語』まで...色々な作品で構成されていた記憶があります。

 

で、この『あしながおじさん』。

文才を認められた孤児院の少女が、スポンサーのおかげで進学することができ、最終的にはシンデレラストーリーのような展開になっていくわけですけれども、作中のほとんどは「ヒロインが送る手紙文」で構成されています。最初と最後以外は、とにかく手紙文。

 

初めて『あしながおじさん』を読んだのは小学生時代、のちに「平易な英語にリライトされた学習者向けの英文版『あしながおじさん』」を購入したのが高校生時代。高校2年生後半から、「英語の手紙を書く」という行為にどハマりして、学校の授業中にこっそり英語の手紙をゴリゴリ書き続ける生活を当時送っていた私は、その「平易な英語にリライトされた学習者向けの英文版『あしながおじさん』」の手紙文の部分を全文丸ごと3回書き写す、という行動に走ってしまいました。

別に「努力しよう」とかそういう気持ちが特別にあったわけではなくて、「英語の手紙をもっと上手に書けるようになりたい」という欲求が非常に強くて、その欲求に従ったら結果として「同じ本の文章を3回丸ごと書き写す」という行動につながってしまった......というだけなんですけどね。

 

なので、物語の内容そのものよりも、実は「ああ〜英文版、丸ごと書き写し3回もやったっけ〜(遠い目)」な回想の方が強くリンクしている作品だったりするんですね、私にとっての『あしながおじさん』って。

いやほんと、高校時代はいうに及ばず、Eメール時代が来るまで随分と大量の英文手紙書いたもんだわ〜(苦笑)、という思い出にリンクしてしまいます。

 

まあおかげで、英語での発話力は向上したことを実感はできてたんですけどね。

また時間見つけてやらないとなあ、ちょっとずつでも>書き写し練習

そんなことばかり思い起こさせてくれる一作ではありますね、『あしながおじさん』は。