病が治るということは、

人生が生きやすくなる、ということ。

と私は思っています。


病は、普段の姿勢、動き、価値観、

思考、行動、生き方、在り方、

それらのクセが重なって病となるから。


痛みは、これ以上動かして欲しくない、

動かすと大変なことになるから発生します。

動けない、というのは、

動かないでほしい。

という体のメッセージ。


動けない体とは、

動けないことによって、

体が私自身を守ろうとしている。


病名が付こうと、そうでなかろうと、

体は悪いことをしているわけではなく、

悪くしないように、行動を制限させる。


どこかが調子が悪いというのは、

力が入っているからです。

力が入っていると、外部からの刺激を

そこで受け止めてしまう。

それは心も体も同じです。


何故、力が入っているのか?

いつ、力が入っているのか?

どんな選択で心に力がはいるのか?


それらを受け止めた場所が、

病気となり、怪我となります。


当然、力を抜けられるようになれば、

病は去り、快癒に向かいやすくなります。


力が抜けて克服した時には、

スポーツならば、より上手くなります。


怪我によっては、継続が難しくとも、

もっと自分に合った新たな人生の道をみつける

きっかけとなります。


人生ならば、生きやすくなります。

より幸せに近く、楽しく生きるようになります。


何故、病気になったのか?

と考えるより、

何のために病気になったのか?


だと思っています。


だから、氣功神田の施術は、

施術なのにカウンセリングになり、

カウンセリングなのに施術になります。

(施術を全くしないわけではなく、必要なければ無理にカウンセリングをするでもありません。)



近頃、精神と肉体の明確な繋がりを

感覚的に確信するようになりました。


例えば、肝臓は怒りの臓器と言われますが、

それは本当にそうなのです。


高い次元からこの世界を見られた人が、

気づき、残したのが中医学にある五行や七情

なのだと感覚しています。


怒りの情報を薄くして、

安心、大丈夫、という情報を上書きすれば、

背中にある肝兪穴あたりの筋肉の腫れ、

肝臓の固さは取れてしまいます。


最近の氣功神田の施術は、

ある場所に存在する情報の大本に

アプローチする形が可能になり、

ストレスとなる情報を抜くことが

できるようになりました。


また、クライエントさんの不調の根元の情報が

自身の身体を通して感覚できたり、

ふとそこに咲いている花に気づくように、

原因となる情報が入ってきたり

するようになりました。

(全然何もわからない時もあります。)


そこから辿るように話をすると、

「実は…、」と体の不調の根本となるような

本人からの話が出てきます。


そして、話が終わると、

不思議なことに身体が元気に戻っています。


以前はこんな風にはできなかったのですが。

意図的にできた、という感覚ではなく、

いつの間にそうなった、が正しいと感じます。


身体が治る、というのは、

身体の出すシグナルに気づき、

それまでよりも生きやすい状態に進歩する、

という意味なのだとこれまで思ってきましたが、

その感覚そのものという

施術になってきたと思います。




氣の世界の話。


本当に「ある」と思うことができれば、

物凄い力を発揮できる。


本当に「ない」と思えば、

ほぼ何も作用しない。


極論、

あると思えばある。

ないと思えばない。


量子力学の世界そのもの。


そういう世界はある、と思っている人にはとても作用しやすいし、ないと思っている人には作用はとてもしにくい。


ないと思っていても、知らずに意識や思う力は使っているから、作用しないわけではない。


こちらには、相手がどう思う関係なく

ある、という確信が揺らぎなくあることが

重要なのだ。


それ以上に、役に立ちたいという想いが

大切なのだ。


思えば、いろんな事が変わっている。

でも、私達が直面するのはいつもと同じ日常。

いつも経験している現実。


だから、気づくことは難しいが、


思ったら変わっている。