さて、③まで終わりました。

④にいく前に、(1)で書いたように、少し寄り道します。③です。

 

「 ③ ここで少し外れて、

    文系科目としての歴史や、

    歴史を学ぶ意味という見方から考えてみます。」

 

まず、文系科目としての歴史、ということについて。

 

文系、理系という分け方があります。

理系は算数、理科

文系は国語、社会科

 

なんとなくご存じの方も多いと思いますが、私はなんとなく、

算数、理科が得意だと理系、国語が得意なら文系

という得意不得意の分け方だと思ってました。

進路決定の場合は、特に算数が得意かどうかで決まるような気がします。

 

しかし、本質的にはもう少し深いものがあるようです。

 

例として2つ挙げてみます。

 

まず一つ目。

以前、「スタップ細胞」なるものがあるかないかという話がありました。

発見者という人がテレビ会見を開いた時のことです。

確か、日本全国が注目していました。 何を言うのか?

 

「スタップ細胞はありまーす!」

と言いました。

 

あの時の、見ていた人の反応が、文系理系できれいにわかれたのが印象的でした。

 

文系の人は、その人そのもの、その人の発言のしかたに注目しました

発見者の真摯な表情、訴え方をみて、

「あれは嘘をついているとは思えない」

と判断する人が多かった。

 

ところが、私を含めた理系の人間は、発見者の訴え方なんか見ていなかった。

それよりも、新しい実験データ、事実がでてくるかどうかに注目した。

結果としてなにもでてこなかったので、「これでは会見を開いた意味がない」と判断しました。

 

二つ目。

高校で文理に分かれるとき、数学が一番得意だった友人が、

「俺は文系にいくぜ。俺は人間に興味があるからさ」

と言っていました。

 

当時はいまいちその言葉の意味がピンときませんでした。

今は、本質的な言葉だと思います。

 

 

前置きが長くなりました。

 

文系科目とはなにかというと、

人間の世界の約束事・仕組みをまなぶ教科

であるといえます。

 

対する理系科目は、

人間以外の、自然の世界の約束事・仕組みをまなぶ教科

になります。

 

理系科目とは、そういう意味では、割と普遍的なのですね。

人類が存在しない、はるか昔の星や生物の成り立ちとか、

人間がいなくても起こりうる物質同士の反応など。

人間不在の世界でも通用することを学ぶ。

これを難しい言葉で自然科学という。

 

対して文系科目とは、言語である言葉もそうですが、

人間の世界の約束事を学ぶ。

法律も、経済もそう。

これを難しい言葉で社会科学という。

 

だから、文系科目を勉強すると、人間の世界(社会)がどういう仕組みで動くか、ということに詳しくなれるといえばなれる。

一方で、人が作り上げた世界なので、人によって簡単にその内容がかわってしまう。

そういう意味では、自然科学より、普遍性には欠ける。

 

「普遍性に欠ける」というと反発される方も見えるかもしれませんが、私から言わせると、どうしてもそういう面があります。

 

たとえば地図記号とか裁判のしくみとかでも、決まりを変えてしまうと、今までの知識が通用しなくなるわけです。

それに対して、一定の温度の真水1Lに対してとける塩の量というのは人間のルールで変えることができません。

 

「それでも地球は回る」とは言えるが、

「それでも郵便局の地図記号は『〒』だ」とは言えない

わけです。

 

スタップ細胞があるかないかのテレビ会見。

これも、考えてみれば、自然科学と社会科学の分野の取り違えから来ています。

 

「スタップ細胞」なるものは、人間の世界のことではない。

自然の世界でのことです。

 

だから、それがあるかないかというのは、自然の世界の言葉=「データがあるかどうか」で判断しないといけないわけです。

 

ところが、テレビ会見から「やはりスタップ細胞はあると思う」と判断した人の根拠は、会見をした発見者の人の訴え方でした。

それは、

「人間同士はこういう言い方をするときは真実をのべていることが多い」

という人間の世界での約束事だったわけです。

 

自然の世界でのことに、人間の世界での約束事を当てはめようとしてもうまくはいきません。

 

逆もまた同じです。

 

例えば、昨今の経済学というのはなにやら難しい数式を駆使して行う分野のような印象があります。

しかし、私のごく個人的な考えとしては、人間の世界のことですから、自然科学の方法(数学)を純粋に当てはめるのは限界があると思われます。

 

また、いわゆる「理系」の人は人の気持ちがわからない、頭が固いとかいわれることがあります。

「ぼく、オタリーマン。」というマンガをかいたよしたにという人が、「理系の人々」というマンガも書いていますが、理系の人間は「で、結論は?」という感じですね。理屈があれば人は動く、と思うところがあるというのは、自然相手のやり方が人相手にも通じると思ってしまうところにあると思います。

 

そういうことに気を付けるだけでも、かなり多くの勘違いが防げると思います。

 

さて、歴史に話をもどすと、歴史は文系科目である社会科の一分野です。

よって、人間の世界のしくみを学ぶ教科となります。

ところが上記で書いた通り、人間の世界のしくみというのは、その時その時の人間のやり方によって変わってしまうわけです。

 

それについて典型的な例としては、裁判員制度。

私たちの時にはそんなものはありませんでした。

すると、当時、「裁判とは」というテストで、仮に「一般の市民も判決に加わることがある」なんて選択肢を選んだら、完璧に×でした。

 

あるいは、成人の定義。ちょうど、20歳から18歳にかわりました。

これも、極端にいえば、2021年度までは、「成人は20歳から」の選択肢を選ばないと間違いになっていたわけです。

 

以前は×であったことが、しくみが変われば〇になる。

これが、文系科目の特徴です。

 

そして、歴史も文系科目である以上、学問としての「真実性」には限界があることを免れないと言えます。(長くなったので次回に続く)