【講演+自己紹介文】を書きました。ぜひご覧ください! | 【実録・倒産社長の奮闘記】~こうして店は潰れた!~小林久ブログ

【実録・倒産社長の奮闘記】~こうして店は潰れた!~小林久ブログ

老舗スーパー三代目→先代の赤字1.5億円を2年で黒字化→地域土着経営で中小企業の星に→中小企業診断士試験に出題→早過ぎたSDGs →2017年まさかの倒産→応援団がクラファンで3,000万円支援→破産処理後は「笑って泣かせる」講演講師に。『現代ビジネス』コラムニスト



【失敗から学ぶ経営学】~百年老舗スーパー“破綻”の教訓

 

創業百年を超える老舗スーパーを立て直したものの、最終的に破綻を迎えた。

順調に見えた歩みの裏には、忍び寄る落とし穴があった。倒産を通して知った人の「冷たさ」と「優しさ」。経営者としての慢心と再生を経て、いま振り返る“失敗から学ぶ経営の本質”とは――。

 

 ~成功体験の裏に潜む落とし穴~

 

私は山梨県で創業105年を数えたローカルスーパー「やまと」の三代目社長でした。

そして2017年末、信用不安から端を発した納品停止により、長い歴史に幕を下ろしました。2001年の就任当時、先代(叔父)から引き継いだのは1億5千万円の累積赤字。月末には資金ショートの危機に直面し、「あと数日で倒れる」と言われた状況下での事業承継でした。

 

親戚や銀行にも見放され、当時39歳だった私は“崖っぷち“の覚悟で改革に取り組みました。それまでの行き過ぎた安売りをやめ、赤字店舗を閉鎖し、甘え体質の親族社員をすべて解雇。人件費・家賃・電気代の三大コストはもちろん、利益の根源である「仕入れ原価の見直し」は、私の仲人でもあったメイン問屋にも、関係を断ち切る覚悟で挑みました。

 

なかでも、創業時から付き合いのある「メインバンク」をあえて変更した決断は、社内外に強い反発を買い、大きな後悔を招くことになりました。それでも「ここで変わらなければ未来はない」と信じてやり抜き、2年後には念願の黒字転換を果たします。

 

「地域のおかげで復活できた、今度は恩返しだ!」そう考えた私は、経営の軸を社会貢献へと大きく舵を切りました。“買い物難民“向けの「破綻スーパー再生(全16店舗中12店舗)」、移動販売車、家庭生ごみの堆肥化、フードバンク支援――。いずれも補助金に頼らず自前で取り組みました。

 

この経営手法は、会計専門誌に特集され、中小企業診断士試験の事例問題にも採用されました。ただ、その「成功体験」こそが、後の破綻を呼び込むことになるとは思いもしませんでした。

 

心のどこかで「正しいことをしていれば、きっと報われる」、そんな“打算”があったことは否定しません。 しかし、身の丈に合わない社会貢献は、限りある既存店の利益を食い潰し、次第に経営のバランスを崩していきました。

 

気づくと、会社は再び大赤字に落ち込み、代替わりのときと同様、再び資金繰りに奔走する毎日が始まりました。怖くて怖くてたまらず、夜も眠れませんでした。そうなると経営者は冷静な判断ができなくなり、自分に都合の良い情報や人間ばかりを吸い寄せるようになります。経営とは、順風満帆の時ほど危ういものです。よく言われることですが、まさに「成功体験」は、経営者の判断を鈍らせます。

 

~倒産して初めて見えた、人の「冷たさ」と「優しさ」~

 

月々の返済や支払いが厳しくなり、銀行にはリスケ、仕入れ先には支払い日の融通をお願いしました。毎日問い合わせの電話が鳴り響く中、歯を食いしばって頭を下げて回りました。「身から出たサビ」とわかっていても、周りの評判を気にして、いつも笑顔でいることはとても辛かったです。

 

身の丈を超えた社会貢献が原因で赤字に転落してから、紆余曲折の末に4年後、会社は再び黒字化を果たすことができました。しかし、決算上は黒字でも、現金がなければ会社は倒れます。これは私が身をもって知った現実でした。当時、手持ち資金はギリギリで、余裕などまったくありません。そのうえ仲人の会社から全面移行したメイン問屋の経営体制が変わり、対応がさらに厳しくなりました。

 

加えて業界の一部で、「やまとが元気になっては困る」という復活を望まない声がささやかれていました。同業他社の中には、私の経営手法を「売名行為」や業界の和を乱す「スタンドプレイ」と見る人もいました。補助金に頼らず、社会貢献で他社と差別化する姿勢が、先輩経営者の反感を招いたのだと思います。

 

黒字化を果たして間もなく、私が買収提案を断った競合チェーンの出店攻勢や、問屋の取引条件の変更など、見えない圧力が少しずつ強まっていきました。メイン問屋からは「日繰り資金繰り表」の提出を求められ、現金がじわじわと吸い上げられていきました。並行して他の業者から追加保証金や支払いサイトの短縮を迫られる――まさに“兵糧攻め”のような毎日でした。

 

そして2017年12月、ちょうど資金が尽きたその日に、多くの問屋から納品が停止され、すべてが終わりました。商品が入らなければスーパーは店が開けません。後に友人の取引先から、「Xデーは前から決められていた」と聞いて愕然としましたが、経営に「想定外」などあってはいけません。

まさに“そうは問屋が卸さない”という現実を突きつけられた思いでしたが、すべては対応が遅れた私の責任です。その日の午後、全店長を集めて今日で閉店することを告げましたが、すでに覚悟していたかのように、誰一人私を責めませんでした。

 

~失敗が教えてくれた、経営の本質~

 

倒産の翌日、店舗には従業員たちが次々と出社してきました。同じ職場で長年苦労を共にしたパートさんは、「社長、最後までしっかりやりましょう」。むしろ「社長、元気出してください」と励ましてくれました。

 

消費者からの電話が鳴り止まず、「あんたを責める人はいない」「やまとのおかげで買い物難民にならずに済んだ」という声が地域から届きました。しかし、私は嬉しさよりも「大変なことをしてしまった……」という自責の念に駆られました。

 

私は、破産するにも多額の処理費用(1,000万円)が掛かることを知らず「万事休す」でした。しかし、生活資金も尽きた私に、地元有志がクラウドファンディングを立ち上げてくれ、わずか2週間で3,000万円もの支援金が集まりました。逃げ出したかった「債権者集会」も、多くの取引先が債権放棄を申し出てくださり、「またやり直せばいい、従業員は面倒見るから」と温かい言葉をかけてくれました。

 

あれほど怖かった「倒産」は、絶望ではありましたが、孤立ではありませんでした。住む家は変わりましたが、今でも私は生まれた町で暮らしています。精一杯やった人を、社会は決して見捨てません。きっと皆さんの周りにも、静かに寄り添ってくれる人がいるはずです。

 

自分には無縁だと信じていた「倒産」を経験して、私は経営の本質を初めて実感しました。企業は関わるすべての人の信頼関係で成り立っています。私はその場しのぎのやり繰りに追われ、長期的な時間軸に立つことができませんでした。

 

「あれもした、これもしたのに」と自画自賛して、うまくいかないのは人のせいという“他責思考”は経営者にとって致命傷です。当時の私は、先が読めない“勘違い経営者”でした。今はそれをはっきり自覚しています。

 

苦しいときに助けてくれた銀行や取引先、沈みゆく船(やまと)に最後まで乗り続けてくれた従業員たち、毎日買い物に来てくれた常連さん。そして「倒産」という最悪の結果にもかかわらず、私を見捨てずに救ってくれた地域の皆さん。他の経営者が同じ思いをしないためにも、私にはこの経験を悩める方々に伝える使命があると信じています。

 

どんなに辛い現実も、ユーモアをもって伝えることで人は耳を傾けてくれます。だから私はあえて“みっともない話”を明るく話します。失敗を笑いに変えて伝えるのは、商人として生きた私の「特技」なのかもしれません。

 

経営とは、勝ち負けの世界ではなく「続けること」に価値があります。どん底まで落ちても、人は必ず誰かに支えられて立ち上がれる。私はそのことを、この身で知りました。

もし今、あなたが苦境に立っているなら、その失敗を笑える未来を信じてください。

 

さあ、本当の勝負はこれからです!