「伏線の回収」とは小説や映画などで、のちの展開に備えて、それに関連した事柄を事前に「ほのめかして」おき、最後に明らかにすることをいう。
慣れてくると物語の途中で犯人が分かったり、ちょっとした仕草から犯行の動機を見つけることもあるが、そこは作り手も分かっているので、ワザと違うエサを蒔いてくることも多い。
イカつい顔の男が犯人では何の面白味もない。そして2時間も観た後、「犯人は双子だった!」「実はすでに死んでいた!」などという「回収」をされると、時間を返して欲しくなる (笑)
👤「こうなると思ってた!」「やっぱりな…!」とドヤってる様では遅いのだ。よく家族に「そんなのも気付かずに観てたの?」と笑われる自称:映画通の私。
🎬映画なら『ユージュアル・サスペクツ』なんかがこの「伏線の回収」のお手本としてお勧めかもしれない。この流れにハマると「どんでん返し」の映画しか観られなくなる(笑)。まあ、物ごとがどんでん返さないと、映画にも小説にもならない訳だが(^^ゞ
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☝️仕事も人生もこの「伏線の回収」をするためにあるとも言える。必死に勉強したり、様々な経験を積むのも、転職するのも、最後にそれをいろんな形で回収するためだ。
これから先の結末に向けて、ありとあらゆる伏線を仕込む。「種を蒔く」と言い換えてもいい。どれだけ種を蒔いても、回収(収穫)できる保証はないが、種も蒔かなきゃ芽も出ない。水もあげなきゃ枯れてしまう。都合よく「肥料」に恵まれたらいいが、路地物の野菜は耐えることで甘みも増していく。
✅伏線の回収ができる人生には、しっかりしたシナリオ(脚本)が必要だ。
しかし台本通りの人生などあり得ないし、あなたの思い通りにもならない。私など伏線が多過ぎて、生きている内に回収しきれない(笑)。人の成功を盛り盛りに讃える「胸糞映画」より、「どんでん返さない」映画の主役になろうと決めている。
👤それにしても最近、芸能界や政治・経済の事件でも『策士、策に溺れる』人の多いこと…
(シナリオが悪いんだな!笑)
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