【潰れた店を引き継ぐということ】 | 【実録・倒産社長の奮闘記】~こうして店は潰れた!~小林久ブログ

【実録・倒産社長の奮闘記】~こうして店は潰れた!~小林久ブログ

老舗スーパー三代目→先代の赤字1.5億円を2年で黒字化→地域土着経営で中小企業の星に→中小企業診断士試験に出題→最年少山梨県教育委員長→早過ぎたSDGs →2017年まさかの倒産→応援団がクラファンで3,000万円支援→破産処理後は全国の経営者に寄り添う日々

 


今はなき弊社は「破綻スーパーの再生」を軸に業績を伸ばしていった。全16店舗中12店舗が、なんらかの理由で閉店の憂き目に遭った店である。多くは近隣に大手スーパーが出店したことによる経営不振での倒産。そこには行き場を失くした店舗・従業員・顧客・取引先がいる。

「正義の味方気取り」でその店に飛び込んでも、従業員からはほぼ歓迎されない。潰れたとはいえ歴史やプライドもあり、従業員もパートさんを含め思い入れのある場所、お客さんにも様々な思い出がある。そこに土足で踏み込む訳にはいかない。

「敵討ち」の気持ちはひとまず置いておき、私はビジネスとして成り立たせるために知恵を絞る。
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以下、引き継いだ店を開店するまでにやったこと。

✅従業員は基本パートさん含め、全員継続雇用、取引先も維持する

✅時給は弊社の基準に合わせる(ほぼ増額)

✅リース物件は交渉して全て買い取る(ランニングコストを抑える)

✅賃貸の場合は家賃はそのまま維持、その代わり一年後に見直す(ほぼ下がる)

✅旧店長は他店舗に異動、既存の店から店長を配置(全権委任)

✅扱い商品は全店統一するが、その地域の人気商品は拡充する

✅残った生鮮品は一番近い夜間営業の店舗に運んで売り切る(廃棄ロス防削減)

✅地域の商工会に加入して、新参者を自覚する。そして社長の私が近隣にあいさつに出向く。 こんな感じ。


従業員や取引先は喜んだ。古株の従業員はそれを機に辞める人もいたが、それは致し方ないことでもある。
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💡ここで忘れてはいけないことがある。
潰れた原因を競合店のせいにする旧社員もいる。レジでお客さんと「そろそろこの店も危ないわよ…」などと悪い噂を流していたパートもいる。店舗閉店の責任の一端はそれぞれにもあるのだ。その違う血を受け入れなくてはならない。(言葉は悪いが)ある種の「透析」が必要となる。それが新旧社員にとっても刺激になる。

📝 私は、①人助けで引き継いだのではないこと、②今までのいい加減なルールは一切認めないこと、③買い物は自分の店で胸を張ってできるように努力すること、④成績が上がれば待遇も上がること、を直接伝えた。
これまでと同じことをしていたらまた潰される…。

「せっかく潰したのに余計なことをしやがって💢」などと言われ、「ヤドカリ商法」「乗っ取り屋」と競合他社に揶揄されたが、引き継いだ店舗は高齢者を中心に活気を取り戻すことができた。

⭐️利は義の和なり(利益は恩義の後についてくる)⭐️
「きれいごと」で生き残ろうと必死だった平成後期。

しかしこの様な再生店舗の寿命はもっても5年。あてにしている高齢顧客が「旅立て」ば、店の存在価値は無くなってしまう。時間の経過と共に収益は悪化し、既存の収益店の利益を急速に食い潰していく。そしてライバル店はその収益店を潰すために近くに出店攻撃攻勢をかけてきた。

良かれと思って12店舗も手掛けたが、私の経営判断が甘く、M&Aや業務提携、事業譲渡の難しさを痛感した。

「きれいごとで商売ができるか!若造め💢」
なにも言い返せないのが今でも悔しい…。