プーチン王国崩壊と知床観光船事件の犯人 | studio Q

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2022,05,03

プーチンと知床半島観光船遭難事件、

そして、尺八リサイタルと映画『北風アウトサイダー』

 

【社会経済政治雑感:11】 

《ウクライナとプーチン》

 2月にロシアがベラルーシで予行演習をして、そのまま狙っていたウクライナに攻め込んで2ヶ月と1週間が過ぎた。マスコミのメイン・ニュースになっているから、客観的な意見ではなく私の推測による私見のプーチン考察をしたい。

なぜ攻め込んだのか? 彼は子どもの時から身体が小さいことがコンプレックスになっていて、相手の裏を取って陥れる術を身に付けて、権力を自分のものにしてきた。その成功で自分の力を過信して、ゴルバチョフが壊した(とプーチンは考えている)ソ連邦を取り戻せると考えるようになった。それを実現することの第1歩がウクライナ侵攻である。だが彼は、現在の状況になるとは考えてもいなかった。彼の周りには、彼の考えに逆らって物を言う人間がいなくなっていたからだ。権力者の歴史を見れば分かるように、今のプーチンのような状況になった時に崩壊の道を進み始めるのだ。ロシア帝国時代のピョートル大帝、共産党時代のスターリン(彼も体の小さいことがコンプレックスだったと推測する)、それに続くのが全体主義時代の自分だとプーチンだは思い込んでいたのだ。こうしてプーチンの崩壊は始まったと思っている。

 モスクワの若者がロシアを棄てて、フィンランドやポーランドへ亡命する行動を取りはじめた。高名なピアニストがコンサートでウクライナの音楽を演奏した。憲兵がステージに上がって来て演奏中止を命令したがピアニストは中止をしない。観客が立ち上がってピアニストを支援する。日本の戦争中の憲兵の行動を思い出した。国民を知らず、国民を愛していない日本の軍権力が崩壊したのは、外国の力だけではなく国民の密かな抵抗による内部崩壊だったと改めて思いだした。プーチン王国は数年のうちに崩壊するに違いない。

 

【社会経済政治雑感:12】

《知床半島観光船遭難事件》

 なぜこの遭難事件は起きたのか? 事件と言ったのは人間が起こした遭難だからだ。犯人は誰か? 観光船運営会社の社長だと直感した。理由は①誠意を持って被害者とその家族に向き合う行動をしない。②どう自分の責任を少なくして、自然が相手だと起きても致し方ない事故だと言おうとしている。③社長より船長の責任が大きいと思わせようとしている。④何とか収入を無くする中止はしたくなかったのが本音だが、その内心を読まれないようにしている。⑤記者会見をしたのが数日後になったこと。そこには自分のことしか考えていない心の狭い男がいたと感じた。

やっと昨日、海上保安庁が事務所と社長と船長の家宅捜査に入ったから、社長の犯罪とそれに追随した船長の共犯が明らかになるに違いない。

 

【芸術文化雑感:6】

古屋輝夫尺八リサイタル》 於:すみだトリフォニーホール・小ホール

 古屋輝夫の尺八演奏は素晴らしい。だが、それ以上の素晴らしさを再発見したリサイタルだった。オーケストラと共演も出来る尺八奏者であり、2013年以来、毎春パリ公演を続けている。今回も尺八の古典本曲、東京藝大を卒業したばかりの女性作曲家の新曲初演、筝、十七絃との合奏による組曲や和楽器の為の四重奏曲など意欲的な演奏だった。そこにあったのは古屋輝夫のチャレンジ精神と西洋音楽との一体化、そして尺八、筝などの和楽器の現代化という素晴らしい試みだった。12年前にお会いした時から感じていたことを再確認できたのである。

 今回、日本滞在中だったのでスタッフとして参加していたクレアシオン桂は古屋輝夫のパリ公演のプロデュース協力もしている。パリの音楽院をフルートで卒業して、フランスで音楽活動をしていたが古屋輝夫に弟子入りして尺八奏者にもなった。そんな挑戦が出来たのも、古屋輝夫という懐の深い音楽アーチストの存在なくては考えられない。このブログを書いている私も30年以上前の話だが、ヴァイオリンと尺八と三味線とパーカッション、六人の奏者による新曲演奏会を福島市と北海道旭川市でプロデュースしたことがある。和洋混合の楽しさに心が躍った。今回の公演は楽器の和洋混合はなかったが、譜面の和洋混合が素晴らしくて心が躍った。

 

【芸術文化雑感:7

《映画『北風アウトサイダー』》

 大阪府生野にある在日朝鮮人の町を舞台にしたノンフィクション・タッチの劇映画作品。プロデューサー・脚本・監督・主演の崔哲浩の自伝的映画だ。まるでドキュメンタリー映画のように登場人物たちを追っていく。劇映画なのだから役者が演じているはずなのだが、演技を感じない。まるでそこにいる人たちの生活を淡々と、しかし、熱い思いと愛情を込めてカメラは迫っている。

 第2次世界大戦戦後のイタリアで製作されて公開された『無防備都市』や『自転車泥棒』を思い出した。私は少年の頃、日本映画よりも先にヨーロッパ映画やアメリカ映画を観て映画の世界を目指したのだが、少年の私の心をいちばん惹きつけたのはイタリア映画だった。今でもしっかりと憶えている映画が『無防備都市』と『自転車泥棒』の2作品だ。ドキュメンタリーでも劇映画でもない作品だった。そういう映画が現代の日本で創られた。奇跡に近いと思った。主役のオモニ(母親という韓国語)を演じる永田もえ、日本人でありながら朝鮮人に同化しているがどこか同化出来ない若い女性を演じる新宮里奈。この2人は昨年のスタジオQの芝居に出演してくれた女優だが、永田さんはスクリプター、新宮さんは小道具係というスタッフでもあった。映画創りの原点である「俳優もスタッフとして映画創りに参加する」という行動を、映画に対する愛情を持って実践していた。私はそのことにも感動した。この映画が何処で公開されているか探すのは難しいかも知れないが是非映画館で観て欲しい。それが出来なかったらDVDで観て欲しい。この映画鑑賞を訴えること、それが私の崔哲浩さんとスタッフ、キャストのために出来る細やかなことだ。