幕末、第二次長州征伐時の芸州口方面軍を辿ります。
錦帯橋を出て岩国城がある横山をぐるっと半周してから、ブラタモリで出て来た旧山陽道(下図赤線)を行きます
が、その前に黒矢印にある大好きなお店に寄り道
錦果楼(にしきかろう)
山口県でチラチラ見掛ける和洋菓子店・果子乃季(かしのき)の岩国城特別店(?)。
特別な店名に外観です。
ここは和菓子も洋菓子も美味しいのです
この日は、定番のはす餅と季節の栗菓子。
岩国はレンコンが特産で、地元ではレンコンのことも「はす(蓮)」と言います。
はす餅は餅にレンコン粉末が練り込まれており、独特のモチモチ食感でメッチャ美味しいです。
因みに、岩国レンコンは穴が1つ多くてこれが吉川氏の九曜紋と同じなのは凄い偶然
では、
旧山陽道の峠を越えると小瀬川に行き当たります。
そこを下流に進むと「封境之地」碑がある彦根藩の攻め口になります。
今回は反対側の上流、榊原・高田藩の攻め口へ。
Googleさんのお力を借りると、山を挟んで二手から攻め岩国城へ向かう作戦であったのが良く分かります
で、少し上流に行った所が小瀬川の渡し口。
説明板には『大化の改新で・・・整備され』とあるので、源義経も足利尊氏も豊臣秀吉も幕末の志士たちも誰もかれもここを渡ったのでしょう。
立派な碑が吉田松陰の歌碑です。
その最期、萩から江戸に送られる時に読んだ歌が刻まれています。
夢路にも かへらぬ関を打ち越へて 今をかぎりと 渡る小瀬川
「世に棲む日日」では萩~江戸送還の描写はちょっとしかなく、小瀬川を渡る様子もこの歌も出てきません。詩作(漢詩)を盛んにやったと描かれていました。
が、記念に
現在の渡し口はこんな感じ。まだまだ幕末頃が偲ばれるようないい風景です。