幕末の”賢侯”と呼ばれた殿様に焦点を当てた4つの短編。
表題作であり土佐の山内容堂公を描いた「酔って候」、これが力作。
半分のページを占めます。
しかし、残り3編も短くとも内容の濃い秀作でした
では1編ずつ。
酔って候
改めて土佐の山内容堂公。「竜馬がゆく(四)」で描かれている通り”できるいい男”。
後世が評するまでもなく自身が強烈に織田信長を意識していた、と描かれていました。
しかも、今回読んで今更ながら気付きました。容堂は号で名は豊信。
名からも信長さんとの運命感じていたかもです。
きつね馬
薩摩の島津久光公。
司馬さんは彼については手厳しい。
西郷隆盛が言った通りの地五郎(田舎者)であり、西郷・大久保に上手く使われ、自身が行った上洛、江戸出府が生麦事件のように意図せず時代を大きく動かした道化として描かれてます。
最近読んだ新説では辛うじて「博学」だった程度。
しかし、随一と言っていい賢侯の兄が間近に居て、名門、最強の薩摩の実権を握る、責任感、焦燥感、劣等感、それらがないまぜになったものがあったのではと思います。
寺田屋事件のように、西郷・大久保を討つこともできたはず。それをしなかった点も褒めるべきではと思い至りました。
伊達の黒船
宇和島藩 伊達宗城公と、
「花神」にも登場し理系的に蔵六さんの次に好きな喜蔵さん(前原巧山)のお話。
四とも五とも六とも言われる賢侯の中で圧倒的な小藩。それが日本で最初の黒船(蒸気船)を自力で作る。船体が蔵六さんで蒸気機関が嘉蔵さん。
(「花神」序盤の好きな所ですし、大河ドラマでの愛川欽也さんがまたピッタリなのですが、総集編観た時に書いてないまた観ねばです。)
その難しさについての司馬さんの例えが秀逸
この時代宇和島藩で蒸気機関を作ったのは、現在の宇和島市で人工衛星を打上げたのに匹敵する
その難度からいくと圧倒的に嘉蔵さんの方が大変。提灯張り職人だったというのは司馬さんの誇張かと思ってましたが、本当のようです。日本人の技術力の象徴のような人です
一方の伊達公率いる宇和島藩。討幕~維新に至っては全く目立たなくなります。小藩故の悲しさか、本家の仙台伊達家とのしがらみか?徳川本家と尾張徳川家のような関係もありだったのでは?
今後のテーマの1つです。近くて遠い宇和島にもいつか行かねば。
肥前の妖怪
肥前佐賀藩 鍋島閑叟公。
薩長土肥と並べられながらも特異な藩、というより特異な藩主閑叟公。
黒船が来る前から西洋技術を取り入れ始め、アームストロング砲に代表される最新兵器を製造してたのに改めて驚きました。
佐賀も縁がなく全く行ったことがないのです。熊本には何度も行っているのに。
吉野ヶ里とセットで行くかな~