白虎隊の悲劇が語られる時、
白虎隊よりも若年の少年隊の悲劇があったと
付属程度で触れられる二本松戦争、
いつかしっかり知りたいと思いつつ云十年、
待った甲斐があり非常に良い本に出合いました!
(教えて下さりありがとうございます!)
「数学者が見た」=数値データに基づくということで、
戦死者を人口で割った死亡率
銃砲の性能
などなど
幕末に興味を持ち始めて数十年、初めて見る定量的な
数字でようやく戊辰戦争の真実の一面が見られた気持ちです。
最初の方で出て来るこの表だけでもあれこれ想いがあふれ
何分でも眺めていられます。
こうして数字で見て、
・長州贔屓的に見ると、戊辰戦争前の藩内抗争、四ヶ国艦隊との戦争、
禁門の変~幕府との戦争を入れるとこの数倍になる訳で、
そうした人たちの犠牲を思うと明治政府を牛耳りたくなるのも
分からなくはない。薩摩も同じ。
・でもやっぱり会津の数字の突出にその凄惨さを感じ、長岡の
2倍近い二本松に絶句。
そんな、戊辰戦争で唯一”城を枕に討ち死に”した二本松藩の
特殊な精神性もしっかり描き出されているのがこの本のまたいい所
特にグッと来たり、ハッとしたりしたところをメモしていたら
いっぱいになりましたが、
全て書き留めておきます。
非武士階級の戦争関与は長州・奇兵隊だけではなく各藩同様であった。二本松でも非武士階級の戦死者が約1/3。
情報伝達速度の決定的な差 京~仙台1ヶ月、京~名古屋1日
鳥羽伏見前夜、庄内藩による薩摩藩邸焼き討ちの死者が50人。鳥羽伏見28人の倍。
序章、終章含む全9章の本作、内1つが「世良修蔵に見る東と西」
章タイトルに出て来る唯一の個人名でもあります。
彼の影響度合いの強さを改めて感じました。
この章を読んでいてもう1つ弁護を思い付きました。
宿泊先での振る舞いは当時の長州人(あるいは西日本諸藩)としては普通だったのでは。
高杉晋作や伊藤俊介も品川で・・・とかそうした記述をよく見かけます。
(と、私も彼の話になると長くなってしまいます)
後装式銃のもう一つの利点、銃剣が付けられる=重い刀を差さなくて済む=動きが軽快になる。
白河戦争 緒戦は東軍勝利。本戦では惨敗。全戊辰戦争の1/10もの死者。
東北の地にもニセ官軍が出没し、略奪行為などを行う。官軍の評判を落とした。
降伏≠無事 降伏しても隣藩を攻める先鋒にさせられるので相当な人的、物的被害が出る。
刀を背にさすのは、体が小さいと機敏に動けないから。格好つけている訳ではない。それでも少年兵は自分で抜くことができなかった。
二本松でも、賛美する人とその反対の立場の人。
(「忠臣蔵」を諸手を挙げて賛美できない赤穂人とちょっと違うけど、ちょっと似てる)
白虎隊は「慰霊」、二本松少年隊は「顕彰」
白虎隊の会津藩は徳川親藩でもあり藩祖の特殊な家訓がありでこの幕末の振る舞いが理解できるのですが、二本松藩は?最近まで知りませんでした。
丹羽家です。
織田信長の有力家臣であり、羽柴秀吉の羽の丹羽長秀を祖とする家でした。
長秀以降の丹羽家は全く知りませんでした。
本書は合間のコラムという形で戦国~幕末の丹羽家についても教えてくれます
江戸時代は実質譜代扱いで家格も会津より上!
しかし、ここまで幕府に義理立てする理由にはならないのですが、これが「武士」なのでしょう。
さらなる感想は3名の名言に含まれているので、それに任せます。
板垣退助
一藩こぞって身命をなげうち、斃れてのち已むまで戦い抜き、武士道の精髄を尽くしたのは二本松をもって最上とする
徳富蘇峰
会津・二本松があったから、日本は植民地にならずにすんだ
渡部由輝(本作者)
かつて東北にはかくも崇高な精神を有する集団がいた
東日本大震災直後の2011年6月の刊行でした
会津だけでなく二本松にも必ず行かねばなりません。