奈良旅に戻って、終盤。
わずか数ヶ月前にブロ友さんに教えてもらい衝撃が走った場所へ。
(なので長くなります
)

(7/7越塚御門古墳について書き足したのでさらに長くなりました
)

飛鳥の谷を走る近鉄線を挟んだ反対側の峰へ

意外と住宅街が続きます。
それを抜けると!
教えてくれたブロ友さんとほぼ同じ場所からの写真だったのに今気付きました

手前に蒲の穂、奥の丘に白亜の古墳、古墳の∧とその向こうの稜線の∨!(「ダ・ヴィンチ・コード」的見方です)
もうここから神秘的

もう一漕ぎして到着。
牽牛子塚古墳(けんごしづか こふん)・越塚御門古墳です。
このアングルで見えるのが越塚御門古墳。
わずか12年前に発見されたばかり!
斉明天皇の孫娘であり天武天皇の妃であり持統天皇の姉という、大田皇女の墓と言われています。
牽牛子塚古墳は!!!
安藤忠雄の現代建築、はたまた最新鋭のステルス戦艦(↓ネットより拝借)を彷彿とさせます

復元とはいえ、これが1300年も前の古墳とは!
正面から。
金沢城の切り込み接ぎの石垣も凄かったですが、それより更に1000年前にその上を行こうかという技術があったわけです。
背面から。
正面に戻って、石室がのぞけるのも

ここで人が途切れた隙にグルっと動画を。
先ほどまで行っていた山谷が見渡せます。
それに鳥のいい声

0:10頃には鶯(実際は山にこだましていい響きでした)
そして、0:16には谷で農作業されていた方のくしゃみ

今回実際行ってみて、人の生活と遺跡が調和しているのも奈良のいい所だと実感しました

ここの被葬者は斉明天皇。継体天皇と同じく「お墓に会いに行ける天皇」となります。
この斉明天皇がまたすごい。
・2人目の女性天皇
・天智天皇、天武天皇の母
・2度即位(重祚)
・1度目(皇極天皇)の時に、大化改新と言われていた乙巳の変
・史上初の譲位を行う
・半島への軍事介入のため筑紫へ行き、そこで没
・その後白村江の戦い
波乱に満ちた生涯に、「牽牛子」というイカツイ感じの古墳名なんですが、牽牛子とはアサガオとのことでちょっとホッコリでした

あとは、八角墳の解説パネルが秀逸だったので記録として
