都会的な大通りに面した所にありました。
でも、その存在はとても自然な感じでした。
説明板には足利直義の名前は出て来ませんが、
毒殺後に直義の邸宅地跡に造営したとも言われているようです。
いずれにしろ約700年前、ここであんなことやこんなことがあったかと想うと感慨深いです。
”プレ本能寺の変”(あるいは”ニア本能寺”の変と言うべきかw)の高師直の軍勢が尊氏の邸宅を取り囲んだのもこの辺りになる訳ですし
それに、大河ドラマで途中から足利直義が『三条殿』と呼ばれるようになって戸惑ったのですが、その呼び名の由来が良く分かりました